見出し画像

地方自治体。大きな事は良いことか?

上京し、公益法人の研究員(実際はコンサルタントなる汗をかかずにゼニになる仕事ね)になって数年後。今では合併で消滅してしまった小さな小さな自治体を何度か訪ねた。当時の村長さんは70代。無競争で三期目の村長だったかと記憶している。人口500人に満たない小さな村で、我が村よりも小さい。戸数150ほどだったかと。なんでも良いから提案してくれ!と言われて。2日ほど地元に宿泊し、ほっつき歩いた。昔から現場主義者なので、村を歩かないと提案は出来ない!と。年間予算が10億円弱。職員数が20名。議員が6名。そんな感じだったかしらね? で、提案したことがあります。

その1,役場の窓口業務の一部は、個人宅にしたら如何です?

その2,村の入口(県道が一本だけ)に関所をつくりましょう!

その3,郷土料理が残っているので、数軒共同で食堂をしましょう!

その4,ベテラン職員を一名だけ、営業担当にしましょう!

そんな感じだったかな? 面白い村長さんで、やろう!と云っていただいた。合併前の故郷の集落程度の村でもあり、当時、限界集落が点在していた山間の村。村の職員全員(と言っても20名ほど)に提案の場を設けていただいて、議員氏も同席。1時間ほどのプレゼンで出た質問は多数あったが、ことごとく、答えることが出来た。まぁ一部の議員氏と職員氏は最後まで???だったようだが、合意形成の場では無いし、これは愉しい仕事だが、命懸けになるなぁと・・・。帰郷後に外部の客員も含めて打ち合わせし、正式な提案書と予算書と予算をどこから分捕ってくるかを書いた。通常の自治体向けの仕事からは逸脱した提案だが、村長はOK。助役も同席されて面白いねっ!やりましょうや!と云ってくれた。人生の中で最良の提案書の一つだったかと今でも思っている。仮の覚書を交わし、正式には契約書作成は一ヶ月後。後に速攻で受託業務を開始することになっていた。空き家のひとつを財団の拠点にすることも内諾を得ていた。

矢先に村長が亡くなった。当然だが、最大の牽引者が亡くなれば、なにもやりたくない皆さんも多い役場内の雰囲氣は様変わりし、無かったことになった。人生の中で、数え切れないほどの悔恨を抱えているが、あれは痛恨事だった。後に、近隣の市に吸収されて村は消滅した。

現在、1726自治体の中の最小人口の村は、高知県の大川村。人口が400人弱の山間の村。自治体は小さければ小さいほど、成果が即現れる。村人と役場が一体で面白いことを挑戦し続けてますね。たぶん、議会も議員のなり手がいなくなり、直接民主制とかになったような記憶がありますね。20年ほど前に一度だけ訪ねたことがあったっけな~ 数時間の滞在だったが。

ちなみにこの村の財政力指数は、0,09です! いいんじゃないですかね?総務省は面倒な村だなぁと感じていると思いますが(*^^*)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?