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定住と流転(巨人への便り)

突然、FACEBOOKに見知った笑顔が現れた。
30年ほど前に訪ねた山形県置賜地方に住む巨人だった。
身長は190cmを超えるから世代としては、異質。
が、巨人と表現しているのは、農の世界、地域にどっぷりと浸りつつも
地域のため、未来のための活動を続けてきていることにある。
とても、おいらには出来ない生き方。

書き下ろし書籍を斜め読みした後に書いた巨人への便りが以下
あと一か月で73歳になる。
いま、手掛けている事業をカタチにして、来年から、3割の時間は行脚の時間に当てようと思案していた。産直時代、財団コンサル時代、幾多の恩人に出会いをさせていただいた。
過半は、冥土の住民になっている。
昨年、一昨年と続けて、これまでか?と思う変調に見舞われた。
が、帰郷後知り合ったジジイたちと在京時代の仲間に救われた。
鎮魂と青春時代と壮年時代を振り返り、エネルギーを蓄える旅にしたいと思案している。
外国も因縁のあるミャンマーとパラオ共和国とラマさんが元氣ならばダラムサラだけは訪問したいとも考えている。
旅に出られるのもあと数年であろう。

30年ほどになるんだろうか?
麻野吉男氏がつくばに訪ねてきて、一緒に貴殿の町に出向いてから・・・。
笑顔の素敵な大男がでっかい手で卵を配達しているのに同行したことや朝日岳の原生林を訪ねたことくらいしか記憶にない。

そもそもが、俺って薄情なのか?と思うほど、過去を記憶していないんだよな~
市村一榮翁ともなんども同席してたのに、さして言葉を交わさないままに、彼は冥土へ逝かれた。取り残された感が否めなかったが、思い出すのは、彼の庵で開かれる集会の間中、囲炉裏で火の番をしていたことくらい。

沖縄のヤンバル集落には25年通った。
岩手の紫波町にも10年通った。
前者は、資金まで投じた滅私奉公のボランティアだったが、とある作物に遭遇し、これはなんとかなるかな?と思案もしている。平均年齢が70歳になった40戸ほどの集落との縁。

地域に根差すことの難しさと飛び回ることの安易さを感じている。
2011年の311の折は福井県で長めの仕事をしており、鯖江に居住していた。
311を知ったのは、夕刻になってからのこと。
故郷も震度5以上に見舞われており、道路も鉄道も寸断されていることを知ったが、何も出来ないであろうと様子見をしていた。
電話がつながったのは10日後のこと。問題ないからかえって来るな?との父親からの電話。
福井の知人と三年間被災地に入り、除染低減と実践をしてやめた。
國をあげての表土剥離のシナリオがしっかりと描かれていたからだ。

おいらのことを書きたいわけでは無い。

書籍が届き、前書きとあとがきを読んで、中は斜め読みさせてもらった。
禁を犯して、試験中の加温ハウス内で二時間ほど読んだ。

麻野氏も貴殿も土に根差した人生だね。
おいらは流転の末に、今浦島を続けて6年。
毎朝、神棚に並んだ先祖さまたち、先達に拝礼し、日の丸のぼりを玄関先に立てて、暮れに入手した前掛けを絞めておいらの戦場に出向く日々。
流転で得た知恵と知識。
6年間で感じた農業・農村は、滅びゆくのを待つばかり。
農業委員会の会長に就任した唯一無二の循環農業推進者が居る。
彼の豚ふん堆肥と食品残差を資源化することを生業にしている法人と役所の三者で地域内循環農業推進の覚書を締結して三年。
すべてが無駄とは思わないが、当地の農業と農民は滅びる。
滅びたあとは、資本が入り込み転売されることになろう。百姓が居なくなった。みながみな農民に成り下がった。

昨年4月に農地法が改定された。
面積の縛りが無くなり、誰もが農地を購入できることになった。
金融資本の策謀の結果であろうと感じている。
貴殿の書籍の中にも、出てくるが、国境を無くそうとしている世界金融を牛耳る一部のクソ共が起こしたエセパンデミックはその予行演習であったろうとも感じている。

長くなるので、やめとくが、知った不幸が詰まっている書き下ろし本だね。
たぶん、活字に出来ない思いが背後にたくさん鬱積しているんであろう。
でも、ポジティブな菅野芳秀はそれには触れず、掉尾の一振に邁進してるな~

が、とりあえずの感想兼この時期になにゆえ、菅野芳秀や麻野吉男と再開した必然を想いつつ・・・。
『まるごと菅野芳秀』が詰まった一冊ね!
読後感想は後ほどね。

菅野芳秀著
麻野吉男著


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