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いつのまにか「わたし」になってた

この間、ふと気がついたことがある。

わたしはいつの間にか変わっていた。

知らない間に自分の中で大きな変化が起きていたことに気がついた。

あまりにも自然に変化していたので、自分でもその変化に気がつかなかった。

それは何か…

「わたし」になっていた。

気がつけば「わたし」と自然に一人称を書くようになっていた。

メールを書いていて気がついた。

自分のことを「わたし」と自然に無意識に打っていた。

ちょっと驚いた。

2年前まで、文章を書くときの一人称はずっと「ぼく」だった。
noteをはじめた頃の文章を読むと自分ことを「ぼく」と書いている。

いい年して「ぼく」はないかなと思っていた。
でも「ぼく」以外に自分のことを書くのはなんとなく違和感があった。
「オレ」はえらそうだ。
「わたし」にもなんだか抵抗があった。
大人びている感じがする。
もうじゅうぶんに大人ではあるのだけど、「わたし」に見合う中身が伴ってない気がして少しむずがゆい気がした。

その頃読んだ「三行で撃つ」という本に、「僕」を「わたし」に「一人称を変えただけなのに文体が変わった」と書いてあった。そのことによって思考そのものにも影響があり、人格にも影響するということが書いてあった。

そうか。
一人称、そんなにすごいのか。
試してみるか、と思って挑戦したのが2年前。

2021年6月1日のnote。

この日からわたしは一人称を「ぼく」から「わたし」に変えることにした。

メールの一人称も、noteの一人称もすべて「わたし」。
やるなら徹底してみようと「ぼく」と書くことをやめた。
すべて「わたし」。
ときどき文章の雰囲気によって別の書き方をしたこともあるかもしれないけど、基本的にすべて「わたし」。

最初は慣れなかったので、かなりの違和感があった。
一度「わたし」と書く度に、うっとくるような違和感があった。
自分が自分でないような、そんなふわっとした感じがあって、ちょっと書き心地が悪かった。
「わたし」は、かなり意識しないと書けなかった。
そんな違和感を持ったまま、ひと月、ふた月と「わたし」と書き続けた。
違和感を感じつつ「わたし」を意識して「わたし」と書いた。
メールではなんかちょっと違和感があってできるだけ一人称を書かなかった。

次第に慣れてきつつ、おそらく1年くらいは、意識して「わたし」を使っていた。
いつ切り替わったのか、はっきりわからないのだけど、気がつけばなにも考えずにいつのまにか「わたし」を自然に使うようになっていた。
2年経ったいま、完全に「わたし」は自然になっている。

先日、ふとメールに自然に「わたしは〜」と書いていることに気がついて驚いた。
もうそこには何の意識もない。
無意識になっている。

「ぼく」は「わたし」になった。
いまはもう「ぼく」と書く方にどちらかというと違和感を感じる。

もう「わたし」は「ぼく」ではないのだ。

いまわたしは「わたし」の思考で世界を見て、文章を書いている。
つまり、これはもう思考が変わっているのだ。

これはとてもすごいことだ。

意識してずっと続けるうちに、それはいつのまにか無意識に変わる。

人は変わる。
変わることができる。

それには「続ける」ことなのだ。
小さく続けて積み重ねると人は自然に変わる。

小さな積み重ねで人は変わる。
これは本当だ。
最初はそれを意識してやることから始まるけど、いつの間にかそれは無意識化する。

小さな変化を「続ける」ことで、それがやがて「自分」になる。
すべてのことが、きっとそういうことなのだ。


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