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大丈夫、意味はあとからついてくる

目標を持つということがどうにも苦手だ。

目標なんか必要ないとは思わない。
大谷翔平なんか見てると目標の大事さは痛いほどわかる。

目標大事だ!
痛いほどわかる。

自己啓発書や生き方の本を読むと、まず最初に「目標を持とう」と書いてある。
「好きなことを見つけてそれに全振ろう」「ぶっ飛んだ目標を持とう」
ああ、自分には無理だなと思ってしまう。

やりたいこととか、特にない。
ぶっ飛んだ目標、ないな。

いや、やりたいこと、実はあるのかもしれない。
できればずっと映画見て、まんが読んで、ゲームして寝っ転がっていたい。永遠にできる気がする。たぶんそれが理想。実際、会社をやめてからしばらくそんな沼に落ちていた。たぶん、今でもこれを許してしまうといつでもその沼に落ちる。
本当にやりたいことをすると人生が詰む気がする…。

それが本当にやりたいことなのかはともかくとして、とにかく本当に目標もなく何となく生きてきたのだけど、何とかなっている。
けっこううまくいってる。

やってることは、たった一つ。
目の前のことを全力でやってる。
ただそれだけだったりする。

頼まれたことを全力でやる。
ときどき頼まれていないことも全力でやる。

本当にバカみたいな事だけど、それをやるだけで、けっこうどうにかなってる。

頼まれたことを頼まれた以上やると、それが次の何かを連れてきてくれる。

最初に頼まれる事なんて、本当にどうでもいいようなことだったりする。

わたしの場合はバイト先の先輩にフリーペーパー作りの手伝いを頼まれたのが始まりだった。
その先輩が本当に何もしない人だったので、編集もレイアウトもなぜか全部やることになった。
当たり前だけどノーギャラ。
その人が本当に何もしない人だったので「ふざけんなよ!」って思いながら作ってた。まじ、意味がわかんない。
ただそれをずっとまじめに作ってた。
就活も諦めて将来どうするか考えなきゃいけないときに、何やってるんだろう?って思ってた。
ただそのフリーペーパーを見てくれた人がいて、それで小さな仕事を頼まれるようになった。
それがデザインの仕事につながった。
よくわからないで始めたことが、いつの間にか仕事を連れてきて、来た仕事を手を抜かずにやっていたら、いつの間にかその職業の人になっていた。
まさかそのまま20年以上もその仕事で食っていくことになるとはそのときは思ってなかった。
意味はあとからついてきた。

何かを始めるとき、だいたいいつも何も考えてない。

何年か前に仕事に行き詰まった。
壁に当たって、どうしたらいいのかよくわからなかった。
どうしていいかよくわからなかったから、とりあえず踊ってみた。
自分でも意味がわからない。
でも毎日踊ってみることにした。
1日5分踊った。
でもそこに大きな学びがあった。
まさか仕事において一番大事な事をダンスの中で発見するとは思ってなかった。
そして練習を繰り返して達成することの達成感を得る喜びもあった。
いつの間にか壁は消えていて、毎日踊るという新しい習慣が生まれた。
本当にどうでもいいことだけど毎日積み上げてたら、やっぱり意味はあとからついてきた。

何かを続けると、後から意味がきちんとついてくる。
これを始めた意味って、きっとそういうことだったんだなってわかってくる。

最初から意味がわかってて始めることより、何だか意味がわからないことをやってみたときの方が得るものが大きい気がしている。

ジョギングも、noteも、読書も、特に目的があって始めたわけじゃない。
でもやってるうちに意味がついてきた。
いまもよく意味がわからないで続けていることがたくさんある。
そのうち意味がわかるのかもしれない。
それがわかると嬉しい。
だから続けるんだろうなって思う。
去年の大きな気づきは「継続は趣味」ってことだったけど、それは「続けることの先に意味を発する喜び」に出会いたいからなのかもない。

意味はよくわからないけど、とりあえずやってみる。
ずっと続けてみる。
すると意味がついてくる。
この繰り返しが自分を前に進めている気がする。

いまもまた意味のわからない新しいことをはじめてみている。
何でそれをやるのか、自分でもよくわからない。
けど、大丈夫、意味はあとからついてくる。
たぶんそのうちわかってくる。…と思う。ま、何もなくていいけど。
とにかく、まずは続けよう。


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