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人生は「思ってもないふう」になる

だいたいいつも行き当たりばったりだ。

基本的には何も考えてない。

無駄な事ばかりしている。

少し昔話をする。

わたしが20代の頃、世の中はバブルが崩壊して就職氷河期と呼ばれている時期だった。

わたしが通っていた大学。
自由さが売りのような、それほど優秀とは言えない大学だった。
わたしが選んだのはのは芸術学科。
芸術に興味があったわけじゃない。
一番映画に近そうだからというだけの理由で選んだ。
「映画監督になりたい」なんて思っていたけど、そのためのことは何もしてなかった。
芸術系の講義はほとんど選択しなかった。
実技の講義は出席が必須で面倒くさかったからだ。
ほぼどの学科の授業を受けても単位が取れるのが芸術学科の良さでもあった。
だから経済とか文学とか出席しなくても単位が取りやすい講義ばかり選択した。

わたしが大学に入った頃。
もうバブルは崩壊していたはずだけど、まだその残り香が日本には充満していた。
だから将来なんか考えなくても、どこか就職して自動的にどうにかなるんじゃないかなと思っていた。
そのくらい世界は浮かれていた。
わたしは浮かれていたわけじゃないけど、何も考えなくてもどうにかなる、くらい気楽に考えていた。
そんな折りの突然の就職氷河期。
数年で世界は一変した。
大学4年の時に参加した就活説明会で前年の芸術学科の就職者は「1名」だけだったと言われた。
大学を卒業して就職できた人数が1人。
そういうところに通っていた。

1名…。
たぶん自分は就職はできないなと思って諦めた。
記念に数社、憧れていたゲーム会社を受けてみたけど引っかかりもしなかった。

どこでも働けないなら、自分でどうにかするしかない。
フリーランスなんてかっこいい言葉を当時知っていたかはわからないけど、
仕事は自分で作るしかないと、なにもできないくせに思っていた。

だからといって何かやったかと言ったら、結局何もやらなかった。
バイトだけしていた。

そんなときバイト先の先輩職員とはじめたのがフリーペーパー作りだった。
特にやりたいことも何もなかったから、その人が「やりたい」と言い出したことに乗っかった。
言い出しっぺが実務作業を何もしない人だったので、紙面の編集やレイアウトを他に誰もやる人がいなくて、わたしがやった。
たまたま、誰もやる人がいなかったから初めてやってみたのが「フリーペーパー」の「紙面」の「レイアウト」だった。

就職とも仕事とも何の関係もない。
「遊び」の延長。
言ってみたらすごく「無駄」なことだ。

そのときは「デザイン」って言葉すら意識してなかった。
「シンプルでいいデザインだね」と言われて、それがデザインというものだと知った。

始まりは、その程度だ。

そうやって、お店のチラシだったり、本の注文書だったり、小さな雑用のような仕事を頼まれるようになった。
そうやって「仕事」が始まっていった。

たまたまやった「無駄」なことから「思いがけず」わたしの仕事は始まった。

「デザイナー」になろうと思ってなったわけじゃない。
たまたまだった。

まさかそれが一生の仕事になるなんて思ってなかった。

何が、何になるかなんてわからない。
このときの実感がいまも生きている。

考えてみたら、本を出すことだって、頼まれたからだった。
何年も前に頼まれて、そこから時間はかかったけど、頼まれたから始まった。

書くテーマを見つけるのにすごく時間がかかった。
その間、無駄なことをたくさんはじめた。
例えば、毎日踊る。
これは究極の無駄かもしれない。
何の得もない。
でも踊ったことを本に書けたことが大きかった。
そこがよかったと言ってもらえる感想が多い。
つまり本の中心として機能している。
そのためにやったわけじゃない。
でも無駄は無駄ではなくなった。

無駄なことをたくさんやっていたおかげ救われたことが人生にはたくさんある。
新聞社に勤めたとき。
20世紀の本の編集をすることになり、歴史や経済や政治のことはまったくわからなかったけど、学生時代、一切勉強をしないで無駄に誰よりも映画を観まくっていたこと、ゲームとアニメに青春を捧げたことが結局役立った。
おかげで主にカルチャーの20世紀史を任せてもらえるようなった。

たぶん、ずっとこうだった。
「無駄」なことをたくさんする。
その無駄に生かされている。

この繰り返しが、たぶん、いまの自分を作っている。

「人って思ってもみないふうになるものだからね」
映画メタモルフォーゼの縁側で、70歳を過ぎてBLにハマる女性のセリフ。

なにがきっかけで、人生がどうなるかわからない。
思いがけない方に人生は転がる。
人生は「思ったように」はならない。
人生は「思ってもないふう」になるのだ。

昨年本を出したことで、また30年前にフリーパーパーを作ったときみたいに、思ってもないことが起きはじめている。

無駄に始めた色んなことが、「何か」になるときがくるかもしれない。
そのために無駄を積み重ねているわけじゃない。
無駄なまま終わる無駄な事だっていっぱいある。
けど、結局、無駄を積み重ねることが、最終的に自分をどこか知らないところに連れて行ってくれる。
そんな気はしている。

だから意味も目的も関係なく
無駄な事をやってみる!
わたしにはそれがあってるのだ。

無駄を愛そう!
無駄を積み重ねよう!

それがわたしのライフテーマだ。


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ほぼ同じ内容ですが…
「続けるラジオ」第5回です
しゃべってから、掘るためにnoteを書くというのがいい流れなのかもな!


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