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第二成人式の提案

成人の日。袴を着るか。スーツを着るか。それとも…?なんて、大したことない論点をずっと考えていたあの頃は平和だった。世界がものすごく狭かったんだろうな。人間にとってはそっちのほうが、実は幸福なのかもしれないけど。

それでも東京に出てきて、様々な仕事をしていれば、世界はもっと広いものだと気づいてしまう。前回のnote「2020年以降の日本に向けて。3つの課題と提案、そして問い。」 でも書いた通り、日本はもう若くない国だ。成人の日は、SNSでおじさんたちが過去の思い出を晒す日になってしまった。

しかし、問題はもう少し上の世代だ。親世代を見ていると、65歳で定年退職してから、めっきり引き籠りになってしまう人が多い。特に男性。会社人間だった人ほど、他のコミュニティに関わってこなかったせいか、孤立化する傾向にあると思う。人生100年時代で、少子高齢化が進む日本にとっては、その世代がニートになるか、労働力になるかは、生き残りの分岐点なんじゃないか。

実際に、75歳までを労働人口にできれば、2045年でも日本の労働人口は大きくは減らない。何かしらの仕事をすることで、人間関係をつくることができるし、最大の予防医療になる。政府は、定年を70歳までに引き上げるように企業に努力義務を求めたが、終身雇用制度によって給与もプライドも高まっている老人を、企業がキープするのは容易ではない。それ以外の打開策が求められている。

そこで「第二成人式」というアイデアを考えてみた。それは、その年の3月で定年退職予定の65〜70歳の人が参加する式。親を見ていると痛感するが、今の時代の65歳なんてまだまだ元気だ。ただ会社人間がいきなり地域に戻ってきてもうまく切り替えられない。そこで「第二成人式」に集まり、定年後に地域社会の中で“どのような役割を担うのか”を宣言するのだ。

つまり、地域での役割を見つけ、新たな地域同僚を見つける会。長い間、組織の中で生きてきたおじさんは、分かりやすい設定(式)と役割(肩書き)がないと、隣の人ともどうコミュニケーションしていいのか分からないものだ。逆に、キャリア上の決め事にしてしまえば、プライドの壁も超えていける可能性がある。

(良くあるおじさんクラブのように資産の比べ合いにしないためにも、過去の設定は引き継がずにフラットに新しい役割を決めるのが重要だ。)

各自治体の中にある町内会がハブになって主催していけば、街コンのごとく、一瞬で日本全土に広まる可能性があると思う。そのくらい、おじさんは新たなつながりを求めている。自動車メーカー、旅行会社や保険会社など、スポンサーも大いに集まるだろう。そのくらい、おじさんの蓄積したつながりは経済力がある。彼らのポテンシャルは、そのまま日本社会のポテンシャルだ。

「おじさん」の再定義?

ここまで書いておいてなんだが、そもそも「おじさん」という言葉が日本をダメにしてると思う。範囲が広すぎる。油断すると僕ですら若い子を目の前にすると「おじさん的にはね、」と言いかねない。しかし、寿命も年々伸びて人生100年時代なんだから、年齢に紐づいた呼称もアップデートされるべきだ。

厚生労働省の提言『健康日本21』の資料では、幼年期0~5歳、少年期6~14歳、青年期15~30歳、壮年期31~44歳、中年期48~54歳、高年期65歳以上という区分をしている。これはナンセンスだ。

ここは大胆に、49歳までは「青年」ってことでどうだろう。キムタクが今年48歳、有吉弘行は46歳。ザキヤマが44歳。岡村隆史が50歳。松本人志で56歳。そう考えると納得感ないだろうか。(こういうのは徐々に慣れていくものだ)そして、50歳〜79歳までが「おじさん」つまり現役世代。80歳以降ではじめておじいちゃん(高齢者)になる。そう捉えると、一人一人の自己肯定感も、歳とっていくことへの気持ちも、少しは高まっていくはずだ。

少子高齢化は日本にとっては変えられない状況だが、その中の設定は変えられる。もしも「第二成人式」をやりたい人いたら、お声がけください。