見出し画像

答えよりも問いを。

カネボウの新しいブランドCMが賛否両論らしい。何のために化粧をする?という問いに始まり、多様な女性たちや文化を描いていく素敵なムービー。ただ最後の最後の「生きるために化粧をする」というコピーで価値観の押しつけになってしまった感じがする。表現としては本当に素晴らしい出来栄えなので、締め方が本当にもったいないと思う。

https://youtu.be/C86Sgcke5YI

改めて思うけど、もう答えが大切な時代じゃないんだよね。答えを決めてしまうことは、目指すものを一つに決めてしまうことになるから。みんながそれぞれ前を向ける問いのほう大切。正しい答えを示すスローガンではなく、良質な問いを含んだスローガンが愛される。多様性をエンパワーメントしたいなら、ブランドの答えなんて要らないんだよな。ブランドが主役でなく、一人一人の人生が主役だから。

そんなことをTwitterでつぶやいたら「それでは、良質な問いを含んだスローガンの具体例を教えてください」と質問がきた。そこは自分で調べて考えようよと思ったが、それはまぁいい。NIKEのJust do it.もUnder ArmourのI WILLも、もっと言えば、Black Lives MatterもSDGsも、ブランド側の一つの答えを提示してるというよりも、一人一人が意味を見出せる問い。僕が仕事で関わらせてもらった、STORESのGo Original.も、VICTASのI AM NEXT.も同じ。答えは人生のほうにある。

 ・ ・ ・

ブランドコピーの話からは逸れるが、そもそも答えがないと安心できないのは、日本の20世紀の後遺症だと思う。どこかに正しい答えがあると思って探してしまう。問いを抱えている状態が耐えられないから、すぐに誰かに答えを求める。結果的に自分での思考が育たずに、人生のフォロワーに成り下がる。それに甘んじてブランド側も分かりやすい答えを示してきた。「これが、XXだ!」と。

どうしてつい答えを探してしまうのか。それは「選択絶対主義」みたいなものが、教育の中で刷り込まれてしまっているからだと思う。問題が出されて、選択肢の中から答えを選ぶ。ABCDの中に一つだけ正解がある。マークシートなんてその典型。正しいものを選ぶことが全てになる。

でもそれは義務教育のようなレールがきめられてる世界の話で、実際の社会の中では、正しい選択を見つけることよりも、選んだものをいかに正解にするかのほうがよっぽど大事なスキルだと思う。特に今のような情勢や常識が揺れ動く時は尚更。僕の短い人生の中でも、何人も、はみ出し者から時代の寵児になってきた友人がいる。彼らはみな、今みんなが注目する終わった正解を見てなかった。それに惑わされて行動を変えることはなかった。自分だけの問いを育てながら、時代の中でオリジナルな答えにしていった。

「偉大な思想になどならなくていい。偉大な質問になりたい。」寺山修司のその言葉を僕は今も大切にしている。


※上記の言葉が間違ってないか、確認のために検索したら、2014年の僕の黒歴史のようなインタビュー記事が引っ掛かった…言ってること6年前と変わらないね。(noteじゃなくcakesですよ)きっと成長してないわけじゃない、ブレてないだけだ。Go Original...!!

イマ輝いているひと、高木新平「“偉大な質問になりたい”と寺山修司も言っていた」