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育て親さんに知ってほしい養子が産みの親に思うこと

こんにちは。
養子当事者の志村歩と申します。

今回は私が25年の人生で産みの親に対して
抱いてきた思いを時系列で紹介しようと思う。

読み進めていただく中で、少々強い表現があるかもしれませんが、当時の私の偽りのない正直な気持ちということで、ご理解いただきたい。
また、強い感情を持って書いているため、うまくまとまっていないかもしれません。

後半部分は有料となりますが、活動を応援していただける方は、ぜひご購読いただけると幸いです。


①幼稚園編(無意識)

以前の記事で述べた通り、私は幼い頃から育ての親から真実を告げられていたおかげで、かなり早い段階から自分が育ての親と血縁関係がないことを自覚し、理解していた。

初めて自分が周りの同年代の友達と少し違うことに気付いたのは、幼稚園の年中のことだったと思う。

私は何気なく自分の友達とその子のお母さんに 「僕にはお母さんが2人いるんだよ」と言った時に、友達は驚いた表情をし、友達のお母さんは気まずそうな表情だったことを覚えている。


当時の私は自分の発言が他者にとってどれほどの衝撃を与えるものかについて、当然ながら全く理解していなかった。つまり、生みの親に対する感情も全くなかったのだ。


②小学校編(無自覚)

小学生になり、幼稚園の頃より自分の出自について言う相手を選ぶようになったと思う。
それは前述の友達のお母さんの気まずい顔が頭に残っていると言うよりかは、良いリアクションをする人たちばかりではないと言うことを子どもなりに学んだからだと思う。
それが良いことか悪いことかわからないが、子どもながらに学んだのであれば、それはそれで良いのだと思う。

地域によって異なるが、私の出身の小学校では10歳の頃に2分の1成人式というものを行った。
このイベントには頭を悩ませている養親さんも
たくさんおられるのだろうと思う。

私も当然のことのように、幼い頃の写真を用意し、親への感謝の手紙を書き、その場をやり過ごした。
だがその時には、自分には育ての親と産みの親という周りの友達とは違う環境に置かれていることを理解していた。

それが理由なのかは定かではないが、何とも言えない不愉快な気持ちになったと言う記憶がある。
今思えば、それが考えたくないタイミングで出自について考えさせられた時の正直な感覚なのだろう。



③中学校編(無関心)

中学生になり彼女ができた。
まだ結婚するような年齢ではないのに、なぜか自分の出自について明かしたくなった。
おそらく好きな人には自分のことを丸ごと受け入れて欲しいと考えたのだろう。

リアクションと呼べるものはほとんどなく、
勇気を出して人に言うほどのものでもないのかなと思った記憶がある。
ただ否定もされなかったので、そこに対する喜びに近いものは確実に自分の中にはあった。


④高校生編(不信感)
高校1年生の頃だったと思う。
育て親と民間あっせん団体の勧めで、産みの親に対して手紙を書いたのだ。
結果としては返事をもらえたのだが、内容は当時の私が想像もしていなかった衝撃的なものであった。

私は結婚をしてあなたには弟がいます。

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