嘘をつき通すと決めた日

私が4つか5つのとき。

母がくも膜下出血で倒れ、数ヶ月入院しました。

いま、患者さんのなかに
当時の私と同じ年ごろのお子さんをもつママさんがいます。

先日たくさんお話をしました。

とても強い方で、1日も早く家に帰るためにリハビリに励んでいる。

でも、ある日。
耐えきれず私に涙を見せました。

誰にも言うまいとしていた想いが、不意に溢れてしまったようでした。

病気になった自分は、子どもに何をしてあげられるのか。
もし障害が残ったら、どうしたらいいのか。
さみしい思いをさせているのがつらい。

悩みましたが、
私は、幼いときの自分の経験を話すことにしました。
あまりにも境遇が似ていたから。

年齢で考えれば、私はママさんの気持ちに共感する。
でも、家で待っているお子さんの気持ちも、きっとあのころの私と遠からずだと思った。

「分かる」と言えば傲りだし、勘違いだけど、
経験したぶん、想像はできる。

だから、話しました。

お母さんと、お話できるだけでよかったこと。
「おかえり」と言われるだけでよかったこと。
面会日がうれしくてたまらなかったこと。

お母さんに『何か』を求めるわけじゃない、
お母さんが帰ってきてくれただけでよかったこと。

さみしくはなかったつもりでも、一時期赤ちゃんがえりをしたらしいこと。
おばあちゃんとたくさん会えてうれしかったこと。
お母さんに髪がなくても、驚かなかったこと。

お母さんのごはんが食べたかったこと。

いま思えばだけど、母の入院で知らず知らずいろんな我慢をして、そのせいか甘えん坊に育ったこと。

幼稚園にお迎えに来てくれた日が、忘れられないこと。

あくまで『私の話』だけど、と前置きして、
思いつくかぎりの記憶を話しました。

子どもって、意外と強いこと。
ママがママでいてくれればそれでいいって思ってること。

嘘なしに、私はそうだったから。

嘘なしに、そう話しました。

さらけ出して話したことは、
幸いにも良い効果をもたらしたようで、

ご自身のお子さんの話をたくさんしてくれました。笑顔で。

ママさんは、
いまも、今日も、がんばっています。

隠れて泣いているかもしれないけど。
毎日、毎日がんばっています。

あの日、私の前でたくさん泣いて、たくさん話して、
目標を見つめ直して、毎日がんばっているママさん。

ごめんなさい。
ひとつだけ嘘をつきました。

最後に聞かれたこと。

『お母さん、元気?』

「はい、元気です」

ごめんなさい。
あれは嘘です。

「それから10年くらい経って、
また脳出血を起こして、だからもう、母はいないです」

言えなかった、そんなこと。

母は母、その人はその人。

体質もなにもかも違うのは分かっているけど、
目の前で、これから元気になろうと頑張っている人に、

どうしても本当のことは言えませんでした。

これからも、その嘘だけはつき通します。

でも、嘘に嘘を重ねることはできないから、

「母は元気にしています」

私の希望も込めて、この言葉しか言わない。

そう決めました。


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