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2004年12月8日

音楽ファンの多くは「12月8日」というと、元ビートルズのジョン・レノンの命日と答えると思います。
しかし、ヘヴィ・メタルファンはダイムバッグ・ダレルの命日だと答えるでしょう。

ダイムバッグ・ダレル(Dimebag Darrell)は、元PANTERAで、元DAMAGEPLANのリード・ギタリスト。

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彼がメジャーシーンに躍り出るきっかけになったのがPANTERAの5thアルバム『Cowboys from Hell』です。アルバムタイトルトラックの「Cowboys from Hell」。

そして、「Domination」。


6thアルバム『Vulgar Display of Power』から「Mouth For War」。


7thアルバム『Far Beyond Driven』から「I'm Broken」。


ダレルの最期は、ライブ中に射殺されるという衝撃的なものでした…

2004年12月8日、ダレルはオハイオ州コロンバスの「アルロサ・ヴィラ」というナイトクラブで、ダメージプランのパフォーマンス中に殺害された。犯人はオハイオ州メアリーズヴィル(コロンバス郊外)出身で25歳の元海兵隊員、ネイサン・ゲール(Nathan Gale)という男である。
コンサートが始まってすぐの午後10時頃、男はナイトクラブに入って来た。そのまま下手(ステージの左側)から入って反対側の上手(ステージの右側)まで進み、至近距離から9mmベレッタM92FSでダレルの頭部にめがけて発砲した。あまりに唐突な事件であったため、誰もこの最悪の事態を回避することができず、またオーディエンスの中にはライブの演出と勘違いする者もいたという。さらに、近くにいた客を人質にして男はピストルを乱射し、合計15発もの弾丸を発射、ダレルはそのうち3発を撃ち込まれて即死した(その後の司法解剖で、3発目が致命傷だったと判明)。他にも客、警備員、クラブの従業員の計3人がこの時の発砲で死亡し、客やバンドのメンバーら7人が負傷している。ネイサン本人も、直後に駆けつけた警察官によって射殺されたため、事件の真相は謎のままである(彼に捕まっていた人質は助かっている)。事件の一部始終はステージ内のカメラおよびナイトクラブの防犯カメラにより記録されており、一部がテレビで放送されている。
この日は奇しくも、同じく拳銃で射殺されたジョン・レノンの24回忌に当たるが、それがネイサンの行動の引き金となったかどうかは分からない。ただ彼の自宅からは、“ダレルがパンテラを解散させた”ことを恨んでいたと記された日記が発見され、事件中にもそうした内容の言葉を叫んでいたという証言がある(さらに「パンテラの曲は俺が書いた物で奴等が盗作した」と友人に度々語っていたとも言われている)。後に、ネイサンがかつて統合失調症によって精神病院に入退院を繰り返していた事も明らかになった。その凶行に使用したピストルは、彼の母親からプレゼントされた物であった。
この事件は、ロック界全体に大きな衝撃と悲しみを与え、ザック・ワイルドやケリー・キングなど親交のあった多くのプレイヤーが悲痛なコメントを残している。後にダメージプランのメンバーは、チャリティーライヴを行い、この他にも追悼イベントが開催された。しかし、会場に来ていたベーシストのレックス・ブラウンは入場を断られ、ヴォーカルのフィル・アンセルモも遺族から来場を事前に断られていた。フィルはこの事件によるショックにより、引退を匂わせるコメントを寄せ、その後暫く"DOWN"で活動再開するまで音楽シーンから姿を消してしまう。
後に、遺族がセキュリティ上の不備からこの事件が発生した物と断定、アルロサ・ヴィラを提訴(民事損害賠償)している。現在、ダメージプランのパトリック・ラックマンは、この事件に触れる事は少なく、「BURRN!」誌のインタビューに対し、「もうあの事件から遠ざかりたいんだよ」とこぼしている。

以上、Wikipediaから引用。

ダレルは2004年に亡くなりましたが、ずっと心の中で彼のギターと共に生き続けています。


〜追記〜

ダイムバッグ・ダレルの悲劇から17年 事件現場のナイトクラブが取り壊される


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