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【怖い話】『引』のドア

「心霊スポット見つけたからさ、今夜肝試しに行こうぜ」

大学生の夏休みは極めて長く、余程実家が裕福かバイト漬けの毎日でなければ、時間はあるけど金が無いという月並みなものになってしまうだろう。
得てして僕と友人のJくんは、そんな平凡な大学生のカテゴリに属していた。

そんな退屈を打破したかったのか、Jくんはすこし興奮した様子でLINE通話をかけてきた。

もちろん暇を持て余していた僕は二つ返事で了承し、その晩、彼を車で迎えに行くことにした。

女の子でも誘えばまた違った楽しみ方があったのだろうが、生憎僕とJくんの大学は理系で、女の同級生なんてほとんどいなかった。かといってナンパをするような時代でもないし、勇気もない。おまけにマッチングアプリに課金する金も勿体ない。
女友達なんてものは手の届かない幻想だった。

今思えば、侘びしい男二人の肝試しだけども、退屈をしのげるなら何でも良かった。それほどには刺激に飢えていた。

心霊スポットを心霊スポットたらしめるのは、やはりその由縁だろうと思い、彼と合流して早速その話を教えてくれとせがんだ。

Jくん曰く、カルト宗教団体が集団で焼身自殺をした跡地だという。
僕たちの住む街の隣にあるT市、そのT市役所の分館に当たるSコミュニティセンター。

もともと人里離れた場所にぽつんと建てられていたのだが、事件があって以来、より一層誰も寄り付かない廃墟となっているそうだ。
現象としては単純で、正面玄関から入って左手に進んだ会議室、事件現場となったその部屋に焼身自殺した霊が出る、とのこと。

ただし、条件があるようだった。
通常、その部屋はドアを引かないと開けられないようになっており、事実取っ手のそばにあるマークも『引』と書かれているそうだ。
しかし、引いても開かない場合、つまり押すことでドアが開いてしまったら、その亡霊たちに出くわしてしまう、というものだった。

「押すか引くかの二分の一って、確率高いよな」

そんな単純な確率計算で良いのか、と思ってしまうのだが、こういうものは雰囲気から作るのが大事だ、小さいことは気にしないでおこう、そう思いながら夜のT市をおんぼろの軽自動車で飛ばす。
陰鬱とした都会になりきれない田舎の夜の街並みが、後ろへ流れていく。

時刻はもう、深夜1:00になろうとしていた。


あっという間に、いかにも淋しげな目的地に到着した。

邪魔にならなそうなところに路駐をして、早速目的のコミュニティセンターへと乗り込む僕ら。

入口には黄色と黒のコーンバーと、両端に相当に色褪せ朽ちた三角コーンがあった。よほど人の手が介在していないのか、あるいは噂が本当で誰も寄りつかないのか。

バリケード用のはずなのに、ひょいと一歩で跨げる。
気休め程度でしかない、まるで無意味だ。

しかし、両足をその内側に置いた瞬間、ぞわぁっという寒気が身体を貫いた。

確か、境を跨ぐという行為そのものが呪術的に大きな意味があるんだったっけ。呪術廻戦で言っていたような気がするが、あれは川に限った話だったか。

Jくんはというと、うきうきともニヤニヤとも言える妙な顔つきで、辺りを見回している。
どうやら寒気を感じたのは僕だけのようだったので、気のせいだと思うことにした。

入口のガラスドアから中へと入る。これで立派な不法侵入だ。

それにしても、心霊スポットってこんなに簡単に入れるものなのか。立入禁止のテープだったり、厳重な鍵がかかっていてもおかしくないものなのに。

そんな些事が頭をよぎるが、Jくんの「おい、ここじゃねえか」という声にかき消された。

二人で事件現場と察される会議室の前に立つ。
ドアには『引』のマーク。

コミュニティセンターの入口からもそう遠くない。
こんなところで、集団自殺を。

どうせ事件を起こすなら、火事に気付かれても早々に発見されにくいような、もっと奥まった部屋にすればいいのに。
すぐさま消防と警察がやってきて、生半可に大火傷を負うだけ負って生き延びてしまった人なんかもいるんじゃないか。

そんなことを考えるくらいの余裕があった。

「お前、まずは引けよ」
Jくんは相変わらず妙な顔つきで僕に言う。

ビビる僕が見たいのか、幽霊に会いたいのか、それとも不法侵入をしているこの非日常を楽しんでいるのか。

何はどうあれ、端から僕は自分でドアを開けてやるつもりだった。
実のところ、暇つぶしにはなると思ってはいたが、普段からあまり僕は霊の類を信じていなかったからだ。

もちろん、と頷き右側のドアに触れる。

「行くよ」

一拍置いて力を込め、引いた。



ぎいっ…

ドアは、いとも簡単に少し開いてしまった。

二分の一を外したか、と何故か少し申し訳ない気持ちになってJくんの方を向くと、「とりあえず、中見てみようぜ」とあまり意に介していなかった。

相槌の代わりにそのままぐいっとドアを引くと、そこはただの会議室だった。焦げの跡一つすらない、ただただ使われていないだけのかび臭い無人の部屋。

やっぱり、ただの噂話だったのか。
「ガセネタ仕入れて来たな、おい」と茶化すと、Jくんは「………え?…ああ、うん、そうだな」と返した。

仕入れた刺激の種が不発に終わったのを、そんなに落胆しなくてもと思ったが、実際僕も拍子抜けしていた。

なんとなく手持ち無沙汰になり、手に取ったままのドアにふと目をやる。

「…なんだ、これ押せる仕組みになってないじゃん」

そう、その会議室の左側のドアは床と天井にロックで固定されており、右側のドアを押すと干渉してしまうようになっていた。両側ヒンジのようだが、引く使い方しか想定してないようだ。

一応、左側のドアを動かしてみる。

きちんとロックがかかっており、びくともしない。
これでは押して開けることなどできない。

 噂話の根源が物理的に否定されてしまっては、元も子もない。

どこか腑に落ちない顔をしているJくんにドアの仕組みを伝えると、「………うーん、そっか。気付か、いや、分からんかった。うん、まあ噂話なんて所詮そんなもんだよな」とだけ呟いた。

もう、僕らに出来ることは何もないな。
「一応、形だけでも押してみようか、ドア」
Jくんはまだ神妙な面持ちだったが、頷いてはくれたので僕は取っ手を持ち、踏ん張った。

瞬間、

ぎぎいぃっ

と金属が擦れるような音がして、ドアが開いた。

何が起きたのか分からず、構造的に無理なはずではと逡巡していると、

左側のドアのロックは外れ、追随するように開いていた。

あれ、いつのまに、さっきまで。

その刹那、車を所有している人なら誰でも嗅いだことのある匂いが鼻腔を刺激した。

ガソリンの匂いだ。

開くはずもないと思い、存外力を込めたのだろう。
部屋全体が見える程度までドアは開いていた。

立ち込める不快な匂いの中、部屋の中央に佇む物陰が視界に飛び込んできた。

トルソー、四肢と頭のないマネキンだった。
そして頭にはロングヘアーのウィッグが乗せられていた。

さっき開けたときはこんな匂いも、こんなものもなかったのに。

「…………なんで、なんで、さっきはなかったのに、なくなったと思ったのに、俺は、あれを」

Jくんは見るまでもなく狼狽えていた。
僕は僕で、部屋の中央を陣取り鎮座する、その異質な物体から目が離せないでいた。

そのうち、そのウィッグとトルソーが何かでびしょびしょに濡れていることに気が付いた。
ガソリンが、かかっているのか。

それに気付くや否や、ぼうっとウィッグから火の手が上がり忽ちウィッグとトルソーは火だるまになってしまった。

先程まで部屋を支配していたガソリンの匂いは、あっという間に人毛を燃やしたときや火葬場で嗅ぐ、硫黄を多く含んだタンパク質を焼いた悪臭に立ち代わった。

燃え盛る火柱を見ても、異臭に纏わりつかれても、僕らは動けなかった。

そのうちトルソーの腹部が爛れ、薄い皮膚のようなものが焼け落ち、内臓が人体模型のように露出した。脈動が感じられるほど生々しい、ぬめりとした質感はどう見ても生きた人間のそれだった。

一頻り燃え盛ったのち、突如スプリンクラーが作動した。
使われてない建屋でも作動するのかというふと浮かんだ疑問は霧散した。何故なら、内臓物を露わにしたトルソーのようなものは鎮火したことでより一層に悪臭を放ち、至るところが焼き付き焦げ果てた身体は焼死体そのものだったからだ。ウィッグは頭頂部が少しだけ焼け残っていた。

全身が水浸しになりスプリンクラーが止まったところでハッと我に返り、狼狽していたJくんを引き連れて急いで車に戻り、アクセルべた踏みで帰路に着いた。

Jくんは車内で「なんで………なんで………」と繰り返していた。僕は何も話しかけることはしなかった。怪現象を目の当たりにし、かけるべき言葉は出て来てくれず、気を反らせるような他愛のない話題も提供出来ず、ただひたすらに逃げることしか出来なかった。

結局、僕はJくんの家に着くまで何も喋れなかった。

未だに茫然自失としているJくんを家へと降ろし、近くのコンビニで塩を買い、気休めに肩に撒いてから自分の家へ戻る。

あれは、やはり幽霊のようなものだったのだろうか。
明日お祓いに行こうか。それとも寝て忘れてしまおうか。

そんなふうにまとまらない思考を繰り返していると、スマホが鳴った。Jくんからの着信だった。

「…なあ、今日のことなんだけどさ」
「うん、見たよ。ほんとにあるんだね、心霊現象って。お祓いとか行ったほうがいいのかな」
「…違うんだよ」
何が違うの、と問いかけようとする僕を遮りJくんは話し続ける。
「違うんだ、今日のことは、あの場所は心霊スポットなんかじゃないんだ。全部嘘だったんだよ、あれは俺が考えた嘘の作り話
Jくんは続ける。
「ドッキリ、仕掛けたつもりだった。トルソーとウィッグは俺が準備しといて、部屋の真ん中に昨日の夜置いといた。もう使われてない施設ではあったけど、カルト宗教団体がとかは俺が考えた嘘なんだよぉ」

そうだったのかと一瞬納得しかけるも、それではあまりにも辻褄が合わないことに気が付く。
Jくんもそれを察したように続ける。
「でもさあ、俺が置いといたままなら、なんで最初に引いて開けたとき、部屋にはなにもなかったんだろうなぁ、何で急に押して開くようになっちゃったんだろうなぁぁ」

なにも、言えない。

「燃えるようになんてしてねえしよぉ、そもそもあんな本物の髪と本物の身体みたいなものじゃなかったしさあぁ、普通のトルソーとウィッグなんだよぉ、あれ、なあ」

気が動転しているのか、語尾が荒々しく叫ぶように続ける。

「俺が考えた嘘なんだよおぉ、引いたら大丈夫だってぇ、ドアは引いたら大丈夫だってぇ、大丈夫だっていったよなあ、だからあの部屋も、最初は何もなかったあああぁ」

一旦落ち着いてくれ、とスマホに呼びかけるも僕の声は届いていないようで、Jくんは叫び続ける。

「家帰ってさあぁ、ドア、引いて入るよなあ。普通に考えて、家のドアは引いて入るだろおぉ、引くんだよお、だから、だから大丈夫だろ、大丈夫な、大丈夫なはずなのにい」


なんでおれんちにあのトルソーとウィッグがあるんだよ


ブチッ、と通話が切れた。

それから何度掛け直してもJくんが出ることはなかった。

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