功夫(カンフー) たくさんの人が知らない本当の意味
功夫(カンフー)って皆さん聞いたことがあると思います。
この言葉から連想するのは、ジャッキー・チェンやジェット・リーなどの俳優、または中国拳法やアクションなどではないでしょうか。
功夫は、厳密に中国語読みすると「カンフー」ではなく「コンフゥ」ぽくなります。
功夫の本来の意味は「練習・鍛錬・訓練の蓄積」、またそれに掛けた「時間や労力」の意味のようです。
中国拳法を題材にした漫画で本来の意味を知りました。
中国武術の達人やそれなりに修練している人は、他者が行う武術の型を見ると、功夫(どれだけの修練がされいるか)がわかるようです。
私は武術の達人ではありませんが、高校・大学を通して7年間少林寺拳法を練習した経験と、一年ほどですがダンスを学んだ経験、そしてダンスが好きで何度も何度もYoutueでダンス動画を見てることから、修練の蓄積が見えるようになったと思います。
見えるというか、感じるというのも正しい表現かもしれません。
功夫は私の言葉では「修練の蓄積」です。
功夫は武術だけではなく、他のスポーツでも芸術でも一緒だと思います。
例えば、野球をやってる人はピッチングや素振りを見ると素人であることがわかったり、芸術家も滑らせる筆の動きや画材の扱い方などで素人とわかるのではないでしょうか。
私は武道をやっていたので、特にドラマや映画で殺陣を見ると気になって仕方がありません。
拳の握り方や構え方、ちょっとした動きで素人であることがすぐわかってしまい、ものすごく気になります。
どれだけカメラワークでごまかしても、武道の素人であることが露骨にわかってしまい気になるのです。
先程功夫は武術だけではないといいましたが、功夫の行き着く先は、「美しさ」なのだと思っています。
そしてこの美しさは大きく人の心を打ちます。
実は修練によって紡ぎ出される美しさを超えるものがあります。
それはセンスです。
一握りの人が持って生まれたセンスは、修練だけでは超えられないときが往々にしてあります。
スポーツや芸術の世界はまさしくそれがわかる縮図なのではないでしょうか。
私見ですが、ダンスの世界で例えると、菅原小春さんというダンサーの方は天才です。
修練も積んでいるのだろうけれど、それを凌駕するものすごいセンスを感じます。
また、修練とセンスによって表現される美しさは、たまらなく自分の感性をくすぐってくれます。
功夫は、人の生き方でもあると思います。
いかに自分を磨き自分が信じるものを積み上げていくかで、大きく人生が変わります。
私の場合は読者とビジュアルシンキング。
いつかそれが実って、「あいつの功夫はすごいな!」って言われるよう、これからも続けていきたいと思います。
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