アサガオ家族

 近いうちにアサガオの種を庭の植木鉢にまこう、と身内と話した。毎年植えており、その年の気候や植えたタイミングによって花の数が多かったり少なかったりと、実にいい加減なガーデニング方法をとっているのだが、少なくとも毎年、翌年の種まきに困らない程度の種子は確保している。


 これがおもしろいもので、毎年自家受粉や近親交配を繰り返しているためなのか、だんだん花の色が偏ってきた。
 当初は深い青色や水色、赤紫色など数種類の花が咲いていたのだが、どうしたことか、数年前から赤紫色ばかりが目立つようになってきたのである。

 こうして見ていると、かつてメンデルがエンドウマメの実験と観察を繰り返して遺伝の法則を見出したのもわかる気がする。他人の家族づれや自分の親族たちをしみじみと眺めるたび、遺伝とは有機的な繋がりであるように感じられるけれども、決してそれだけではない。
 私も詳しくはないが、遺伝は無機質で物質的なものでもあるのだ。

 また、人間の遺伝について文学的な表現をするにあたっては「血」という言葉が多く使われるが、血の流れていない植物による実験が遺伝の法則を明らかにしたというのもおもしろい。
 生命とは動物でも植物でも大差ないのかもしれない。


 さて、私の家のアサガオの話に戻る。黄緑色の葉の中に赤紫の円形がぽつりぽつりと潜んでいるのは風情があっていいのだが、あまり一種類になってしまうのも寂しい。

 そこで去年、身内が、別色の小ぶりな花が特徴となっている品種の種子を買ってきた。去年の花壇にはいくらかのバリエーションが生まれ、私たちを楽しませてくれたのである。

 だが今年はそれらから取れた種をまく。すなわち、去年のアサガオたちがどれほど交雑したのか、今年のアサガオが咲いてみるまでわからないのだ。

 アサガオの家族が一体どのような「血」を受け継いでいるのか。それを確かめることを楽しみにしながら、夏まで家で生き延びようと考えている。


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