自宅のトイレには暖房がないため、特に夜など非常に寒い。トイレ用のスリッパなどないので、夜中に起き出し裸足でトイレに行くなどする場合は、爪先立ちでよろよろと個室の床を踏むことになる。布団から出て冷たい空気に触れた皮膚には鳥肌が立っている。 少なくともスリッパ、さらに言えば上着を置くべきなのだろう。 しかし考えてみる。トイレの個室の広さは二畳もない。その範囲のためにわざわざそんなものを置く必要が、本当にあるのだろうか? トイレ用のスリッパや上着だからといって、
マクドナルドが末期のソ連へ進出した際、客が行列を作っている写真を見たことがある。 ハンバーガー。自由の国の資本の味。 今日はハンバーガーにまつわる記憶について書こうと思う。 私は幼い頃はやや小食気味で、なおかつ見慣れないものを食べることをひどく嫌う傾向があった。 そのため、家族でファストフード店に行っても最も基本的なハンバーガーばかりを食べていた記憶がある。そもそも外食が多くなかったのも原因かもしれない。 そのマイルールとも呼べない傾向が崩れたのは
人間が主観でつける価値とは、相対的なものである。 例えば、無人の砂漠で遭難して死にかけている人物は、五億円よりも助けを呼ぶ道具が欲しいだろうし、もっといえば水と食料の方が緊急性が高いだろう。 どのような立場であるかに応じて、主観的な金銭の価値は変動する。 これをしみじみと悟ったのは私が高校生のときだったと思う。私が通っていた公立の小学校には医者の家庭の子供も貧乏人の家庭の子供もいたので、もちろん、その頃から漠然と感じたことはあったはずだが、はっきりと理解した
中学校にテロリストが侵入し、普段はパッとしない自分が素人ながらクールに対処して一躍ヒーローになるという妄想をしたことはあるだろうか? 私はある。その後の学校生活に影響しそうだな、参ったなーなどとそこまで考えていた。 「大したことじゃない」みたいな顔してクラスメイトの畏怖の眼差しをスルーし、唐突に転校するの格好よすぎるな、などと思ったものだ。 ちょうど中学生の頃である。 他には才能を見出されるパターンの妄想もあった。私は歌が非常に苦手でひどい劣等感を抱いていたので
今はもう冬休みになってしまったが、先日、平日の夕方に普段通らない道を歩くと、小学生がたくさん下校していた。親や教師に言われているのだろう、きちんとマスクをして、それでも元気そうに帰宅しようとしていた。 彼ら彼女らを見ていて、ふと小学生のときのことを思い出した。 あるとき、唐突に、クラスメイトにどんなお菓子が好きか尋ねられた。 これは何か含意がある質問ではない。正確な理由は覚えていないのだが、おそらくアンケートをとって壁新聞のネタにでもするか、あるいは次回の遠足で
今、私は机に向かって座ってパソコンのキーを叩き、自分の頭に浮かんだことを言葉に変換する作業をしている。だがそうしている間にも私の中に抑えがたい衝動が湧いてくる。 必殺技を繰り出したい。 何か特定の作品があるわけではない。 「何か技とか決め台詞やって」と頼まれた私の同世代が取るであろうポーズや台詞は思い浮かぶが、別にその中のどれかがやりたいわけではない。現在流行している作品でもない。 ただ、何でもいいので「必殺技」を繰り出したいのである。なんなら、タイトル
身内のスリッパに、目を閉じた猫のイラストの縫い取りと一緒に「inemurineko」と書かれていた。 私は猫の可愛らしさに目をひかれてその文字列を認識し、「インエミュライ……」と英単語らしく音読をしてしまった。だが「neko」を英語らしく読むことができず、ああこれはどうやら英語ではないらしいぞ、と察した。 見慣れたアルファベットを用いる知らない言語、例えば何だろう……と考えたところで、私はようやく気づく。 「居眠り猫?」 この結論にたどり着くまで何秒かかっ
音楽が嫌いというわけではないのだが、ライブやコンサートに行ったり新曲を買い集めたりするほど好きなアーティストがいるわけではない。身内が部屋でかけている曲や、ラジオからよく流れる曲あたりを知っているくらいだ。 しかし、先日身内が見ていたあるアーティストのライブ映像が印象に残っている。彼らは日本のアーティストなのだが、海外でライブをしたらしかった。 日本の公用語が英語やフランス語であればいざ知らず、日本語を公用語とする国家は世界中で日本しかない。 つまり海外で日
今は文章を書くことが嫌いではないが、子供の頃はあまり好きではなかった。特に、学校で書くようにと言われた作文を心底面倒に思っていたのが懐かしい。 今も印象に残っているのは「税金について」と「人権について」である。 どちらもコンクールがあったように記憶しているが、結局私の同級生から何らかの賞を獲得した児童や生徒は出たのだろうか。少なくとも自分がもらわなかったことだけが重要で、あとは自分の作文の詳しい内容さえ忘れている。 「税金について」と言われても、まだ義務教育
前にいつ髪の毛を切ったか、すっかり忘れてしまった。 自力で思い出す手立てはない。日記をつけていればいいのだろうが、誰に見せるわけでもないのに「何か興味深いことを書かないと」という強迫観念を抱いてしまうせいで、日記すら続けられないのである。 それにしても、記憶というのは曖昧なものだ。 特に、認知症になった祖母と暮らしていたときは記憶について常々不思議に思っていた。最近の出来事を忘れてしまうのはもちろんのことだが、昔の話はよく覚えているのかと思いきや、時期が混同して
「亭主元気で留守がいい」とは数十年前から言われる言葉であって、もはや世間の一面の真理のような扱いだ。 確かにそういう側面もあるのは事実だろう。毎日同じ献立の食事を食べていると嫌になってくるのと同様に、ずっと顔を付き合わせていれば飽き飽きしてくるのは当たり前である。 これは亭主だけではなく妻にも言えることだろう。 子供の頃、母が出かけた休日には、父が嬉しそうに私を外食に連れ出してくれたことを思い出す。人数が少なければ、高くつくものを食べることも可能なわけだ。配偶者が一
先日、自宅の盆提灯を片付けた。 私はこの提灯が購入されて我が家に迎えられたときを知らないので、値段がどの程度だったのかわからない。それに、盆の時期に知人の家をまわって「はー、お宅の盆提灯はこれですか」などと品定めするような趣味も持っていない。 だから、この提灯はおそらく、安物ではないがスタンダードな品なのだろうと勝手に考えるばかりである。 提灯そのものは、虫食いはさておき特筆すべき点はない。ただ私は、盆提灯を見るたびにその仕組みに感嘆するばかりだ。 内部
少々下ネタというか、少なくとも身内に食卓の話題として提供するのはためらわれる話題だったので、ここに書き留めておこうと思う。 先日、訳あってオンラインの和露辞典で調べ物をした。ロシア語の「знать」という単語は「知る」という意味だそうだ。その用例として、直訳すれば「とてもよく知っている」と思われる表現に「精通する」と書いてあった。 なるほど、よくわかる。 だが愚かでかつそのときに寝不足だった私は、「精通する……ああ、男児の成長過程のアレか? 『男になる』『女
画像か映像でも見たのか、身内が「エジプトのスフィンクスは思ったより小さいらしい」と話してきた。 私もそれはそうだろうと思う。よく目にする写真では、スフィンクスが手前に写っていて奥にピラミッドが見える構図が多いから、おそらく遠近法でスフィンクスかかなり大きく見えているのだ。 もちろん狛犬のように小さいわけはないが、そもそもスフィンクスがピラミッドほど大きかったら、観光客も目で見て形を認識するのが大変である。 そんなことを話しているうち、ふと思いついて、Google
ピザ屋のウェブサイトを見ていた。イタリアらしさが売りの店ではなく、アメリカらしさが売りのチェーン店である。 皆さんご存知だろうとは思うが、最近はいろいろなピザが増え、生地の固さから具の分割具合まで様々に選べる。 大陸のほとんど向こう側から、わざわざ二つの大洋とアメリカ大陸を経由して、こんなところまで伝わってきた。そしてここに来て照り焼きを乗せられるなどしている。人間の食への探究心には感心するばかりである。 それはさておき、私はウェブサイトの上部に小さなアメリカ
近いうちにアサガオの種を庭の植木鉢にまこう、と身内と話した。毎年植えており、その年の気候や植えたタイミングによって花の数が多かったり少なかったりと、実にいい加減なガーデニング方法をとっているのだが、少なくとも毎年、翌年の種まきに困らない程度の種子は確保している。 これがおもしろいもので、毎年自家受粉や近親交配を繰り返しているためなのか、だんだん花の色が偏ってきた。 当初は深い青色や水色、赤紫色など数種類の花が咲いていたのだが、どうしたことか、数年前から赤紫色ばかりが目