動物だもの

 少々下ネタというか、少なくとも身内に食卓の話題として提供するのはためらわれる話題だったので、ここに書き留めておこうと思う。

  先日、訳あってオンラインの和露辞典で調べ物をした。ロシア語の「знать」という単語は「知る」という意味だそうだ。その用例として、直訳すれば「とてもよく知っている」と思われる表現に「精通する」と書いてあった。 
 なるほど、よくわかる。

  だが愚かでかつそのときに寝不足だった私は、「精通する……ああ、男児の成長過程のアレか? 『男になる』『女を知る』みたいな遠回しな表現か、どこの国でも婉曲表現は同じだなあ」などとしばらく考えていた。数分ほどしてから「あっこれはよく知ってるってそのままの意味か」と理解したのである。仲間内で「六」を英語で言わせては喜んでいた中学時代のクラスメイトと同じレベルで、大変にお恥ずかしい限りである。 

 眠気などで判断力が鈍っていると、人間は動物に近くなるのかもしれない。そして現代に生きている動物たちの祖先は、その種の中で子孫を残してきたものだけである。
 当たり前の話だ。
 私の何代前の祖先も、絶対に少なくとも一人は子どもを残した。だから私はここでパソコンに向かっているのである。

  だからまあ、いろんなスタンスがあるだろうが、性を絶対悪のように言ってはいけない。偉そうな顔をしたあの人たちも真面目な顔をしたあの人たちも、おそらく半分かそれ以上が、中学生の頃に卑猥な単語を辞書で探しては喜んでいたのだ。

  しかし人間は社会というものを築き、恥という概念を生み出した。だから私は、外では「下ネタ大好きの中学生じゃないんだから、そんなこと日常的には考えてないんですよ」という顔をしているし、昼間から笑い話のネタとして身内に提供することはない。ただそれだけのことで、私は一人になれば単なる動物の一個体なのだ、ということを考える。 

 だからもう一つ、きちんとした判断力を保つためには睡眠は大切だということも、肝に銘じておきたい。 


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