路上で必殺技を繰り出したい


 今、私は机に向かって座ってパソコンのキーを叩き、自分の頭に浮かんだことを言葉に変換する作業をしている。だがそうしている間にも私の中に抑えがたい衝動が湧いてくる。 

 必殺技を繰り出したい。

  何か特定の作品があるわけではない。
 「何か技とか決め台詞やって」と頼まれた私の同世代が取るであろうポーズや台詞は思い浮かぶが、別にその中のどれかがやりたいわけではない。現在流行している作品でもない。

  ただ、何でもいいので「必殺技」を繰り出したいのである。なんなら、タイトルにも書いてあるように路上で実行に移したい。

  何の作品の影響でもないとは述べたが、先日、道で見かけた少年が印象的だったということは理由の一つだと思う。
 小学校低学年ほどの少年が、今最もホットであろう漫画の技を駆使して道端の見えない敵と戦っていたのである。彼と一緒に歩いていた母親は黙って受け流していた。おそらく見慣れているのだろう。  端的に言えば、少年が羨ましかった。

  彼と同じ行動を今の私が取れば、他人には遠巻きにされるだろうし一緒に歩く連れは止めるだろう。
 当たり前だ。空気と戦ったり技を叫んだりしないのが社会の構成員として望まれる姿であり、子供は例外的に許されているだけなのだ。

  私には姉がいたものだから、幼児期には不必要に背伸びをしていた。おねしょをするような子供のくせに、幼児向けの番組を「子供っぽい」と批評していたらしい。
 だがおぼろげに残る記憶では、決して嫌いだったわけではない気がする。幼児向け番組を見ている自分を姉や親に見られるのが嫌だったのだろう。

  もったいないことだ。幼児のうちに幼児らしいことをなるべく多くしておくべきだったのだ。
 幼児でないとできないこと、許されないことがいくらでもある。成長しなければできないことがたくさんあるように。

  必殺技を出すのも同じだ。今さらやれない、だからこそ欲求は募るばかりである。

 しかし、私が年老いてみると、昔を思い出して「若い頃にアレコレをもっとやっておけば良かったかな」と感じるのかもしれない。死に際には「さっきアレをしておけば……」と考えるのかもしれない。

  きっと人生はそれの繰り返しだ。

 だから幼児の頃の私を責めることはできないし、同時に、未来の私にも今の私を責める資格はないのである。 


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