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わらべうたと童謡の違いについて考える①

◼︎作曲者のいるものが〝童謡〟、民間伝承であり作曲者のいないものが〝わらべうた〟


今まではそう説明してきましたし、けっして間違いではないと思います。端的に間違いないく表現しようとすれば、そうなります。しかしそこから『童謡よりもわらべうたをやろう』という語りを安直に広めてしまうのは、なんだか違う……。伝えたいことの本質は何だっただろうか? と最近自分の中がモヤモヤしていました。

ふたつの違いを本当に考えるならば、作曲者の存在や伴奏(ピアノ)の有無はもちろんとして、さらに、目的ねらいや、歌のもつ機能などといった、部分部分をひろいあげて分析することが大切だと思いました。




本当に子どもの側に立った時、どんな〝視点〟でわらべうたと童謡を語るか


そもそも、子どもを健やかに育てるという目的ねらいにかなうものならば、それが伝承のものだろうと創作だろうと構わないわけです。大事なのは、勉強で〝視点〟を仕入れたあとには自分自身の頭で考えることだと思いました。そもそもの目的ねらい(やりたいこと・課題)を明確にすることのほうがよほど大事であり、それを私はちゃんと言語化できているのだろうかと。

そのための整理を、今やっておきたいと思い、このnoteを書いています。

本当に子どもや子育ての側に立っている人が、どんな〝視点〟でわらべうたや童謡を語っているか。

調べる際にはそこに注目しました。ものを考えるときは、まず〝視点をどこにもつか〟ということから始まります。そしてそれが、自分が語る側となった時にも生かされていくはず……。




◼︎明治・大正・昭和という流れを見ていく


瀬田貞二の評論から


最近、瀬田貞二の評論集をたまたま読んでいたところ、驚くほど核心を突いているような文をみつけ、ガーンと衝撃を受けました。以下に引用します。

『明治・大正・昭和の児童像』
>>明治は大幅にゆれ動いていた時代だった。1887年を振子の中心として、はじめは先進諸国の夢中なとりいれ、のちはその反省、あるいは国粋的な反動というふうになった。

瀬田貞二 ≪ 児童文学論(下)≫ 福音館書店


私は特に、『国粋的な反動』という一文に注目しました。瀬田貞二さんはこれを明治・大正のこととして語っていますが、私は現代令和にまでこの微妙な揺れとブレは引きずられているように感じます。

西洋化の反省・反動として「やっぱり◯◯の方がいいよね」というブームに乗りすぎると、芸術や文学を、何をもって評価しているのか軸を見失う。
こういう〝視点〟と語彙が、今もって教育者側に足りていないのでは……。と思いました。

(今回はこうして、瀬田さんの着眼点や、論点整理の感覚のようなものをお借りして書いています。
もちろん童話(文学)と童謡は別のものではありますが。こうした児童文学論のように、時代の振り返りと、児童像の変化全体を俯瞰して語ってくれるものが、音楽教育のフィールドにはまだまだ少ない気がするので……。)

そこから私の考えたこと


近代化の反省と反動から、やみくもに〝古来日本の精神〟というものを誇張したり、その煽りを民族主義や優生思想に利用されたりする。
カタにハメる教育からの解放が、いつしか、ゆきすぎた放置になるような、逆ブレ現象のことも思い起こされます。

目には見えない揺れとブレが、いつも子どもの教育界隈を取り巻いてきたし、日本人の思想・考え方に影響してきたこと。これがハッキリと自覚されたのはいつからでしょう、まだ無自覚に振り回されている場合も多いんじゃないでしょうか。

ここから私が思うことは、物事はいつも相対的に動くものだということです。何かが新しくなる時には、ことさらに前時代のものへの侮蔑的な見方がはたらいたり、逆に変化を拒むゆえのバックラッシュ(反発・反感)が起こるものである。
こうした人間性の揺れ動く癖を頭に入れた上で、時代と時代を繋いでいくような考え方が大事ではないか? 人は反動で揺れ動くのだということを頭に置いた上で、流れを汲んでからそれぞれの詳細を語っていくことが必要ではないか、ということです。


「童話や童謡が変化してきたということは、大人が子どもに求める『児童像』がいつも変化してきたということ」
この瀬田貞二さんの論にならって、子どもの歌にもその視点を注いでみたいと思います。

(とはいっても、童話(文学)と童謡(うた)の機能や役割はまったく同じではありませんので、変化の流れのさらい方を別にしていく必要はあります。)

ここからは未熟な自己流のやり方にはなりますが、自分なりのまとめを表にしてみました。


表にして考えてみる


ここでは優劣や正しさを決めたいわけではありません。(比較することは、どちらが良いか悪いかを即時に決めるものではありません。)ここから順々に考えていきます。


◼︎唱歌
・明治、学校教育の開始
・近代化・西洋化
・政府から依頼されて作られた歌

唱歌といえば、いわゆる文部省唱歌(『尋常小学唱歌』1910(明治43))がいちばんイメージしやすいところです。

その他、官から雅楽課に依頼されて作られた『保育唱歌』1877(明治10)、
それから文部省・音楽取調掛に編集が移った『幼稚園唱歌集』1887(明治20)などもあります。


雅楽をもとにした……
明治10年 『保育唱歌』
明治20年 『幼稚園唱歌集』
::::::
東京音楽学校の編纂
明治43年 『尋常小学唱歌』
(〜昭和に入って出た教材『新訂尋常小学唱歌』にまで多くの唱歌が引き継がれる)

唱歌』という言葉は、筝やお琴などの楽器の練習方法をさすこともあります。節をまずは口で唱えてみるだけの練習のことです。
(いきなり楽器を触るのではなく、まずメロディを口で歌ってみる、というのはどんな楽器でも上達のコツですよね。)

練習のため、教育のため。この言葉自体に〝歌わせる〟ものという意識が強くあるように思います。歌う側から自発的に生まれてくる、というよりも、教えたい!という目的が先にある、と考えればいいでしょうか。

歌いたいかどうかよりも、歌ってもらう、歌わせる、教える……という意識。明治には「学校唱歌、校門を出ず」と揶揄されていたそうで、学校教育の開始とともにいきなり教科書的なものが登場して、馴染みのない歌をいきなり歌わされたという実感が見えます。


しかし瀬田貞二の言うように、おおきな変動の時代には反省・反動もあり、官省のなかでの様々なすったもんだのあとに、実際に子どもが好んで歌うようになっていったことも分かります。

先日観た映画、窓ぎわのトットちゃんのなかでは、『犬』や『うぐいす』などの唱歌がたくさん歌われていて本当に素晴らしかったです、のびのびとして、楽しそうで……。

私も児童合唱団にいたときには多くの唱歌を歌わせてもらいましたし、なかでも『一番星みつけた』は特に好きだった思いがあります。

一番星みつけた
あれあの森の
杉の木の上に

二番星みつけた
あれあの土手の
柳の木の上に

三番星みつけた
あれあの山の
松の木の上に

昭和7年 作詞:生沼勝/作曲:信時潔 (尋常小学唱歌)

このような唱歌に愛着をもつ人は本当に多いでしょう。

そして……。お分かりのとおり、『一番星みつけた』は、わらべうたが元にあり、わらべうた調のメロディがはっきりと表れています。


私にはなんとなく
唱歌 ⇔ 童謡 ⇔ わらべうた
という大きな3つのくくりをつくって比較をしたいという感覚がありました。

唱歌は西洋音楽的で、童謡はわらべうた調の(日本語のイントネーションの)取り入れがあって、わらべうたは日本語の言葉と声そのままだ、という比較意識です。

そのため『一番星みつけた』をあらためて見たときに、私も一瞬、これは唱歌なのか童謡なのか?と狼狽えてしまいました。童謡に分類するか、唱歌に分類するか、非常に悩ましい……?! というか、昭和以降の歌に関しては「童謡・唱歌」の区別はほぼないと言ってもよいのかもしれません。

やはり便宜的な分類をしてそれぞれの説明をひとことで片付けようとするのには、無理があるのでしょう。
単語で検索をしてヒットするような内容ではなく、それぞれの歌の〝なかみ〟詳細を、時代の流れのおさらいをしながら丁寧に見ていかなければと思いました……。



(歌の例として、いきなり難易度MAXのものを持ち出してしまいましたが、次回②以降にはもっと例を出しながら書いていくつもりです。)

参考資料 



執筆中(2024.1.1)
続きは後日アップします!


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