「髪を染めた日」というハッシュタグがあったので髪を染めていた時のことを思い出す

 高校生の時、校則も特にない学校に通っていたため、髪を染めること自体にあまり障害はなかった。もっとも部活動をやるうえで髪を染めることでプラスになることはなく、むしろ若干マイナスになりそうだったので(印象的に)部活を引退した高校3年生の夏に染めることにした。

 文化祭などで豪快にピンクとかグリーンとかに染める人もいたし、金髪にしていた人も希少種ではあったが存在していた(金髪は当時、流行っておらず、シンプルにあまりかっこよくないから、という理由で敬遠されていたと思う。ただ、ピンクとかグリーンに染めても時間が経てば色落ちするため必然的に金髪になる人は存在していた)。

 私のクラスは真面目な人が多く、髪を染めたとて地毛でもそういう髪色の人もいるしな、レベルの人間しか存在しなかった。しかし、そんなクラスにも変化が訪れる。

 3年生になってクラスメイトが1人増えた。要するに留年生だった。そいつは髪を明るい茶色にしていた。

 留年生はクラス内ではかなり明るい髪色に違いなかったが、学校、いや世間一般に見れば全くといっていいほど普通の茶髪だった。そして彼自身も留年したとはいえ普通の好青年であり、とても人当たりも良かった。同じ勉強を2回しているからか、留年したことで危機感を覚えたのかはわからないが、成績も悪くはなく、クラスに馴染むのは早かった。

 高3になった、部活を引退した、比較的明るい髪色の人が入った、こういった様々な要素が加わり、私のクラスの髪色も冬直前の落葉樹の葉っぱくらいの髪色になっていった。

 私はこういう波には乗るタイプの人間なので早速髪を染めることにした。

 自分で染めることも検討したが、結局美容院に行くことにした。

 美容院で「アッシュグレー」でお願いしたが、日光に当ててわかるかわからないかくらいのアッシュグレーで、翌日学校に行くと、髪を切ったことのみ指摘された。

 それから1週間経つと、アッシュグレーの色素が抜けて髪の色がシンプルな茶色になっていった。私はある日学校に行くと同級生から「髪染めた?」と聞かれた。私は「1週間前にね。」と答えた。

 それから卒業までひたすら1週間経たないと気付かれない染髪を繰り返していた私だったが、そのレベルでも思春期の私の頭皮へのダメージは凄まじく、脂漏性湿疹を引き起こした。

 私は卒業と同時に染髪をやめ、地毛の黒で大学デビューを目指す運びとなったのだった。

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