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グレートティーチャー、虫

学校の池を覗くといつもアメンボがいた。アメンボとはみればみるほど不思議な生き物である。そのスイスイと動く様をずっと見てしまう。

校庭の隅にある、課外学習用の畑のキャベツの中にはいつも青虫がいたし、クラスメイトがどこからともなくカミキリ虫を捕まえてきて見せてくれたこともあった。

同じ畑にあったヘチマにはいつもクマンバチが沸いていて、危険だと言われている割には動きが鈍くて全然怖くなかった。

カマキリ、バッタ、シジミ、モンシロ、クロアゲハ、子どもの頃、昆虫との距離が今よりもっと近かった。カブトムシへの憧れがあったが、僕の住んでいた街には、残念ながらカブトムシはいなくて、代わりに蝶々に詳しくなった。

ベニシジミ、キチョウ、アゲハ、カラスアゲハ、アオスジアゲハ。身近な種類なら今でも言えるし、幼虫から成虫までアゲハチョウを育てた事もあった。

自由研究では毎年蝶やトンボの標本作っていた。胸部を指で潰して気絶させ、羽を傷つけないよう三角紙で包んで冷蔵庫に入れ、それから温めて柔らかくしながら広げ、背中を針で指し、防腐剤と一緒に箱に入れる。

ここまでの作業を一通り教えてくれたのは父でも母でもなく、実の所、母の不倫相手のおじさんだったのだが、しかし、今回の話の主役は彼ではないし、実は蝶やトンボでもない。

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近所の生け垣や植えこみの土を掘り返すと、必ずと言っていいほど、ワンサカいたミミズ、ムカデ、ダンゴ虫。

つまり昆虫界の日陰者達である。

一体、あんな気味の悪い生き物達にどうして興味なんか持って遊んでいたのか今になっては定かではないが、とにかくミミズはさわるとぬるぬるしていて、独特の油っぽい匂いがした事はよく覚えている。今でも植込みの下を見るとミミズはいるのだろうかと時々気になるが、土を手で触りたくないし、靴が汚れるのすら嫌だと思ってしまう。大人になるのは悲しい。

後はダンゴムシ。こちらも植込みや、大きめの石の下などに必ずいる。つついて丸くなるのが面白く、ひっくり返すとたまに腹側に卵をぷつぷつ孕んでいるのがいる。
とりあえずみつけるとつついてみる。
しばらく丸くなり、うぞうぞともがいて、ころりと起き上がるとまた歩き出す。

それからハサミ虫、ムカデ、蛾の幼虫、ああいう類いのはうかつに触ると刺したり噛んだりするので手で触らない。小枝などを駆使して捕獲したり、後でカマキリなどと戦わせたりする。

蝶やバッタやカブトムシが陽の側の昆虫なら、やつらは陰の側の生物。その存在感は半端じゃないはずなのだが、大人になるとどうも彼らの事は視界に入りづらくなる。

最近ふとした瞬間目に入るのは、やはり蝶やセミやバッタ、陽の側の生物だけなのだが、しかし子供は生き物で遊ぶのが大好きである。つまり差別をしない。平等に殺す。

特大の蛾の幼虫を道路で車に轢かせて遊んだり、スタンドを立てた自転車のペダルを全力で漕ぎ、その後輪にザリガニをつっこんだりする。

惨劇が起きた後にギャハーっと笑ってその場から逃げるあの感じ。太古の昔より野蛮な男子だけのものかと思えば、そういう場には必ずと言っていいほど男子と遊ぶのが好きな女子が混じっている。

そういえば母と不倫していたおじさんはザリガニが苦手だった。理由を聞くと、子供の頃ザリガニをバケツに入れて、それを棒ですり潰して遊んでいたら、夜にザリガニ喰われる夢をみたそうだ。
まさにザリガニの祟りである。


そんなある日、夕方にボーっとテレビを観ていたら、「日本むかし話」が放映されていた。一体何のエピソードだったか全く覚えていないが、ある一つのシーンが鮮明に焼き付いている。

あるお寺でお坊さんが座禅を組んでいたら、その首元にメスの蚊がぷーんと飛んでくる。

お坊さんは蚊が止まった事に気づいているのだが、「これもまた一つの命。殺さずにそのまま血を吸わせてやろう」と何もしないで冥想を続けるのだ。

やがて血を吸い尽くした蚊はぷーんとどこかへ飛んでいく。僕はそれを口をポカンと開けたままじっと見つめていた。

クールだと思った。

それはゴミを回収した後に、回収車の後ろの出っ張りの所に颯爽と飛び乗る清掃局のおじさんと同じくらいクールだった。

その時確実に、そのお坊さんは殺戮の権化だった僕を改心させたのだった。

数日後、団地の前のベンチに寝転がると蚊が止まるのを感じた。ベンチは植込みの近くにあり、そこにいると藪蚊が大量に群がってくる。おそらく、元は川に挟まれた湿地だったという事も関係しているのだが、とにかく夏場は蚊が異常発生していた。

しかし僕は何もせず、そのまま血を吸わす。
不思議と痛みや不快感はなく、一体どのくらいそこでじっとしていたか定かではないが、結果的に全身を六十ヶ所くらい刺された。それはある意味自分のなかの最高記録でもある。ギネスに申請しておけばよかった。


なんでこんなになるまで何もしなかったのよ!と母にはめちゃくちゃ怒られたが、僕は何も言わなかった。もはや悟りに達した僕の境涯を言葉で説明する事は不可能だった。


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そういえば団地にミケという猫がいた。野良猫だが、よく人になついていて、だれかれとなく餌をあげていた。団地には必ずといっていいほどこういう猫がいる。

ミケは大らかだったので子供にも自由に撫でさせてくれるし、手を出すと舐めてくる。
猫の舌がざらざらしてる事を最初に教えてくれたのはミケである。

つまり小さな生き物たちは、いつでも子供に命の何たるかを教えてくれる、偉大なる師匠なのである。

なーむー。

ちーん。

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