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自己紹介


はじめに


遅咲きながら(まだ咲いてはいないかも笑)なんとなくTwitterを始めてみたところ、思いの外面白く、勢いでnoteの記事も書いてみることにしました。
初めての記事は自己紹介です。身バレも怖いものがありますが、私がどういう人間か分かってもらえることは嬉しいことですので、徒然なるままに自己紹介をしていきたいと思います。

私は「しん」という名前でTwitterをしている30代男性です。新卒で総合商社に就職し、気づいたら10年以上勤めています。アフリカ大陸には上陸したことはありませんが、20カ国程度の出張経験があります。最近もしょっちゅう飛び回っており、皆様の商社パーソンのイメージに近い働き方をしているのではないかと思います。

<基本情報>
🔸年齢:30代半ば
🔸体型:170cm台前半
🔸住所: 東京
🔸学歴:旧帝大卒(体育会)
🔸本業年収:2,200万円
🔸趣味:不動産、ジム、グルメ、旅行、温泉、読書
🔸性格: 温厚。但し、少し変。
本業は使命感感じながら楽しんでおり、不動産が副業になりつつあります。
国家資格であるキャリアコンサルタントの有資格者でもあります。

幼少期から大学時代にかけて

幼少期は経済的には恵まれてないない部類に入る家庭で育ちました。父親がサラ金に手を出し、自己破産。それでも離婚をしなかった両親、たくさんいる兄弟に支えられて精神的には何とか安定を保つことができ、一応真っ直ぐに育つことができました。勉強も運動もわりと得意でしたので家庭でのストレスは学校で発散できていた気がします。田舎の小中学校でしたので治安はとても悪かった(いじめ、喧嘩(顎の折れるシーンを目の前でみたこともあります、、、)、先生を泣かせる学級崩壊具合)のですが、兄弟の中に地元では武勇(喧嘩ではなく闘う系のスポーツです)を誇るものがおり笑、結果いじめられることもなく、勉強と運動に勤しむことができていました。(兄弟に感謝☺️)
一方でお金を使わない、家に負担をかけないということを兄弟が皆考えており、スポーツ特待での大学進学やら新聞奨学生で高校、専門学校進学といったことをしながら、可能な限り家に負担をかけずに大人になりました。ここでは書きませんが私も高校、大学の学費は親に払ってもらってはいません。自分の力で何とかしました。高校時代は1年間は塾に通いましたが、その費用も自己解決していました。まっとうな方法で。(気になる方がいましたらご連絡ください。大した話ではないですし今もある仕組みではないかもしれません。)
そんなこんなで無事第一志望の大学に合格し、そこからは例に漏れず学生生活を楽しみました。主に、とある体育会の部活にのめり込みました。講義は休めるものは休んでテストの点数だけは取るというスタイルで単位を獲得していました。部活では最終学年で主将を勤め、勉強では成績優秀者ということで大学院入試免除の権利を獲得し、本来必要であった院試の勉強の時間は全て部活に充てていました。(知り合いに学部主席とかもいるのであまり誇れることではないのですが、真面目さやそつのなさが伝わると嬉しいです。) 部活のメンバー、研究室のメンバーに恵まれ、今でも集まれるメンバーで仲良く飲みに行ったりしています。
大学時代でもう一つ言及しておかないといけないことは妻に出会ったことです。大学一年生の時に出会い、お互い初めての彼氏彼女の関係で交際をスタートさせ、結婚に至っています。いまの世の中ではかなり稀なケースではないでしょうか。Twitterで元カレ、元カノに関するツイートを見ながら、そもそも僕には元カノがいないな、と自分でもよく分からない感情を抱きながら心の中で1人ツッコミをいれています。

就職〜若手時代

就職活動を行なったのは大学院一年の時です。ベタなのですが、海外のインフラプロジェクトに携わり、日本の技術を売り込んでいきたいたいとの想いがあり、また、育ちが育ちでしたので強固な経済的基盤を作りたいとの思いも強く、総合商社のインフラ部門を第一志望に、電力、ガス、鉄道、不動産などの業界なども見ながら就職活動をしていました。面接のネタには事欠かなかった為、無事に第一志望の会社から内定を頂くことができ、晴れて商社パーソンになりました。(ほぼ面接無双でした。)
就職に際して、一点付け加えておきたいのが、大学・大学院生時代は奨学金をもらっていました。今もあるかは分かりませんが、私がお世話になった奨学金(大学院時代のもの)は返済免除の制度があり、学生時代の学業での実績(学会での受賞実績)
等があれば奨学金の返済免除を認められることがありました。私はこの制度を活用することで返済免除を勝ち取り、経済的基盤作りを加速させることができました。この制度を事前に知り、戦略的に経済的メリットを得られる様学生生活を過ごすということが、その後の経済的独立には大きく寄与していますし、採用面接時のネタの一つにもなりました。当時はまだ返済免除が確定してはいなかったのであくまで目標にしているという話にとどまっていましたが。日本の学生は意識が低い人が多いので、戦略性をもって生活を送れば自ずと道が開けてくることが多いのではと思っています。
さて、意気揚々と社会人生活を開始することになったのですが、順風満帆だったかというと決してそういうわけではありません。
体育会上がりなので、体力と礼儀だけはちゃんとしていたのではないかと思いますが、インストラクターには「なんか恐い」とか「堅苦しい」とか言われていました。一般職のお局さんを意図せず怒らせてしまう失敗をし、以降2年かけて信頼を取り戻す為に身を粉にして働いた経験、残業過多で咳が一年止まらない経験なども経ながら商社パーソンらしい商社パーソンに成長していきました。(自分で言うな笑)
尚、妻とは社会人1年目の終わり頃に籍を入れました。
指輪の代金が貯まったタイミングですぐプロポーズして結婚しました。いろんな人からもっと遊んだほうがいいと言われましたが、何も思わず、躊躇なく結婚を選びました。

30代を迎えて

気づいたら30代になっていました笑 子宝にも恵まれ、現在は3児の父です。週末は家事育児に追われています。平日は家を空けることが多く、出張も多いためワンオペにしちゃうことが多いです。
子供が2人だった時に海外単身赴任をしていた時期があり、この時は完全にワンオペで、妻を疲弊させてしまいました。当時はまだ理不尽な制度も残っており家族が不幸になりかけたので、会社と掛け合って制度を変えてもらうような交渉もしました。(総合商社の古臭い体質も変えることができるという気づきを得ることができ、以後水を得た魚の如く会社経営に物申すようになったり、交渉事が好きになったり笑)
第三子が産まれた時には育児休職をとり、自分なりに育児も頑張りました。、Kindle Unlimitedで無料の書籍を読み漁る中で不動産本に出会い、読めば読むほど「これは自分にも出来るわ」との想いが強くなり、満を持して2021年に土地を購入して、土地からの一棟マンションのスタイルで不動産デビューを飾りました。
不動産で得られるキャッシュは全て新たな不動産に充当し、最終的には妻と子供達に残す資産にしたいと思っています。(幼少期にお金に苦労した反動ですかね笑) また、扶養しないといけなくなるであろう兄弟もいるので、その兄弟の住まいを提供することも可能ですし、大家業を代行する仕事を与えることも可能ですし、将来の不安は着実に小さくなってきています。
10年も勤めるとそれなりに脂が乗ってきて、仕事も楽しくなってくる時期だと思います。部下を盛り立て、好きな上司を担いで、会社の成長に貢献しながら、やりたい放題やれる仕事が目の前にある幸せに感謝しています。子供らの成長も楽しみながら、新たな趣味としての不動産に勤しむ日々。他にも色々したいことが多くて困っちゃいます。
今後も定期的にいろんな記事をかいていこうと思います。引き続き宜しくおねがいします。

TwitterのIDは@Shingentlemanlyです。


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