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心を鬼にして、気付いて欲しいと願うことは本当に良いことか

こんにちは、守屋です。

あるサッカー部の指導者が選手に対して、指導方法についてこんな言葉で記事になっていました。

「私は心を鬼にして、〇〇(選手)には気付いて欲しいために何度も同じことを言い続け、走らせ、問題点については絶対に答えを言わないようにしました。その結果、今は気付かなかったとしても卒業後にあの練習にはこんなメッセージが隠されていたと気付いてくれたらそれで良いんです。」

部活動を経験している人であればスパルタを売りにしている部活動の指導者が、あえて選手を突き放すようなトレーニングで成長させるというのは、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

また、部活動に限らず親と子という関係でも、心を鬼にして自ら気付かせるためにアドバイスや手助けしないという例は多いかと思います。

「気付いて欲しい」と「気付かせる」の違いとは

気付いて欲しいというのはアドバイスが全く無い状態に近いことを示すのではないかと思います。

例えば、親が小学6年の子供に対して自分から勉強しようとせず、ゲームやテレビに夢中になっていたとします。

すると親は勉強の重要性に「気付いて欲しい」ために無言でゲームを取り上げてしまいます。子供はそれに対してなぜ取り上げられたか気付きません。親に聞いても「自分で考えなさい」の一点張りです。

そんなとき、子供はどんな行動を取るかというと親が想像する、

・勉強するからゲームを返して欲しい
・勉強をしなさいと前にお母さんが言ってたことを思い出しました。と反省の言葉を親に言ってくる

などではなく、

・何もしない
・友達の家に行ってしまう
・別の遊びを考える

という行動を取ってしまうものです。

親として、本来であれば勉強の重要性に「気付いて欲しい」からゲームを取り上げたのに子供はその重要性に気付かないものなのです。

では、「気付かせる」というのはどういう状態かと言えば、自分で考えて行動するための手助けをするという行為だと感じます。

どういうことかといえば、子供から親がゲームを取り上げて勉強をして欲しいと願うのであれば、まず始めにやるべきことは子供を一人の人間として考え話し合うところがスタートになります。

上から目線でもなく、親目線でもなく、一人の人間として考えて問題改善に向けて、

「パパは〇〇がどうして勉強をやらずにゲームに夢中になるのか一緒に考えたいと思っているんだ。

ゲームを否定しているわけでは無いし、パパも好きだよゲームは。でも、勉強をしないことでどうなるか少しだけパパは知っているんだ。

〇〇が勉強に対してどんな風に思っているか教えてくれるかな?」

という風に切り出しながら子供が想っている言葉を感じ取ることが会話であり、「気付かせる」きっかけになっていくのではないでしょうか。

確かに心を鬼にして、気付いて欲しいと願い黙っている、あえて厳しい言葉を投げかけるというのは一つの手段かも知れません。

ですが、もしそういう風に育てた子供や生徒が、いつか教える側の立場になったときには、自分が昔されたようにコミュニケーションを取るという選択肢より、黙って分かるまで何も言わずに身体に教え込む(体罰やペナルティなどを科す)というサイクルを再び生んでしまうのではないでしょうか。


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