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アナログ親父が送ってくる「あの時」

雪がちらつく夕方、我が家の郵便ポストを確認したら茶封筒が一つ。

親父からの贈り物だ。

中学卒業と同時に親元を離れて寮生活をしていた為に、親との連絡方法はいまだに手紙だったり郵便物だったり。

大人になってから何十年も親に毎月仕送りをして、そのタイミングでメールや手紙を送ることでお互いの安否確認や現状チェックをしている。

年に一度、帰省する以外は親とのコミュニケーションは月に一度のメールくらい。

それでも毎月「繋がっている」と思わせておけば何か切り出したいときや、悩みなどあったときに言える環境にはなるだろうと思っている。お互いに。

「親に重い話は言い出せない」
「久しぶりに両親に何かを伝えるのは難しい」

そんな話を周りから聞いてきたから、自分なりの対策として取った手段は悪くなかったかなと思う。その結果として、自由にやらせて貰っているし自分に対して不満を持っている感じもない。

そんな親父から、たまに届く贈り物はその時々で様々なラインナップだ。

学生の時に贈られてきたのは、

もう聞けないカセットテープ(その当時はMDプレーヤー)

社会人になりたての頃には、

中学の時の先生からの手紙(なぜ書いてもらったか不明)

そして、今回は平成20年発行、PHP3冊。

実はこの3冊は自分で購入したもので、引っ越しや整理整頓する際に自宅には不要だけどいつか必要かなと感じたものは実家に送るようにしている中の3冊。(実家の自分の部屋は空き部屋になっている)


あまりにも荷物になりそうなものは送らないが、実家に戻ったときにあの時を思い出すラインナップを送っていたつもりだ。

なぜこのタイミングで親父が「あの時」を送ってきたかは定かではない。今の生活に悩みもないし不自由もしていない。

親父は「伝え方」が不器用だ。相手を喜ばすような表現力も無ければ、相手を楽しませるアイデアを形にすることも無い。おかんや子供たちをどこかに連れてってくれた思い出を作るような人でもない。


でも、親父には「あるメッセージを別の形で伝えること」に秀でている人間なのかも知れないと感じる今日この頃。40年以上、小さいなりにも会社のトップとして生きてきたわけだから何かを持っているわけで。


親父からの贈り物は「メッセージの宝探し」のような感覚になる。不思議だ。答えを見つけようとしても、すぐに見つからない。


ただ、いつだって親父からの贈り物は、必要と感じたときに答えが浮かんでくる。


もちろん答えが出てもメールで送ることはしない。


年に一度、帰省して一緒に酒を飲むときに答え合わせをすることが親父の「あの時」の楽しみ方のような気がしたからだ。

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