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美術や芸術の道に進みたいと言い出した思春期ASD息子

息子が美術の道に進みたいと言い始めた。

もちろん私は賛成。
もちろん夫は反対。

親の対立はさておき、今日は息子の幼少期を回顧したい。


息子は幼児園から制作が大好きだった。

保育園の降園時に、その日制作した作品におったまげたことがあった。

担任が困惑ぎみに「辞めるようにいってもなかなかやめられず、、、長い時間かけて作り続けました」と見せてくれた教室2部屋分位の長さのある新聞紙の筒。

本当に長かった。
なんだこれ!?とびっくりした。

まだ発達障がいとはわからなかった時期。

担任には謝罪し、迷惑をかける息子に対してネガティブな感情を抱いた。

「で、息子よ、これはなにや?」ときいた。
すると「消防車のホースや!!」とキッパリ答えた。

その瞬間、担任と私は顔を見合わせて「あぁ〜〜〜!!なるほど〜!!」とびっくりしたことを覚えている。

見事に消防車のホースを再現していたのだ。

これは、今では特性由来の過集中、こだわり、気持ちの切り替えが困難という事がわかる。

でも当時は未診断時期だったので、ただただ迷惑かけたことの申し訳なさと、でもちょっぴり可能性も感じ微笑ましく思った。


手作り絵本を毎年1冊創るイベントにも参加した。

振り返ると幼児期の絵が一番面白かった。
宇宙を描いたが、自由きままに、短時間で一気に完成した。発想力抜群。

岡本太郎の言葉で「5歳の子供の絵が一番いい」というのがあるが私もそう感じた。

無垢な感情そのままの表現にかなうものはない。

アトリエ教室にも6年間通った。

きっちりかっちりした絵画を描く教室ではなく、例えば海の廃材などを使い自由奔放に制作に打ち込むアトリエだった。

先生も個性的。
私との相性もよく、プライベートでも時々遊ぶ間柄に。

発達障がいの子は、家と学校以外の居場所があるといいよ。
担任や親以外の大人との交流も大切に。

そんな言葉をかけてくれた支援者さんを信じて通わせた節もある。


ここに通って本当に良かった。
息子の数少ない居場所になっていた。

小学1年生の国語の教科書は落書きだらけ。
でもよーくみると息子なりの世界感があった。

文章を読んでいると想像力が働きすぎて、ついついイメージしたものを描きたくなるらしい。


夫はただの落書きや!!喜んでる場合じゃないと私を叱った。

私は、なんでこの面白さがわからなんだろうと心の中であっかんべーした。

どんどん描いたらいいぞ!が半分。
授業についていけなくなったらまずい!が半分。
でも、これはとんでもない才能なんじゃないかとワクワクしたものだ。

親バカなのだが、「岡本太郎がここにもおった!」とよく思ったものだ。

迷路を描かせたら、仕上がった迷路の輪郭が人の横顔になっていたり、積み木をさせたら、とんでもない巨大なものをつくったり、とにかくアイデアマンで個性的だった。

そんな息子が、高校は美術科かデザイン科に行きたい!といいだした。

私は、、、そりゃもう願ったり叶ったり!
だって息子にピッタリな分野だと思うから。
応援するに決まってる。

一方夫は、、、というと、美術なんかで食っていけるかーと一喝。

息子がなぜ美術なのかなど聞く発想もない。

さぁ、我が家はこれからどうなることやら。
また波乱が起こるぞー

つづく

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