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書肆梓・詩集『その他の廃墟』刊行

書肆梓の最新刊、詩集『その他の廃墟』。

著者の山内聖一郎さんの第一詩集となります。
著者の山内聖一郎さんは、1958年鹿児島県生まれ。ラ・サール学園中学校入学。この頃から詩作を始め、その後、県立の鹿屋高等学校に。
実は、この高校で、ぼくは彼の同級生で、同じ文芸部に入り、早熟な彼の影響をかなり受けて、詩や、文学の魅力に取り憑かれてしまいました。
その頃の彼のことは、ぼくの第一詩集『ぼくたちはどうして哲学するのだろうか。』のあとがき「十七歳の詩人のきみへの挨拶」に書きました。

山内さんは高校の卒業式を待たずに、東京へ出奔。建築作業員、バーテンダー、店員、 事務員、清掃員などの職を転々とした。
同じ時期に、東京の大学に入学し、その後、出版社勤務などサラリーマンを続けていたぼくとは、数年に一度、会うか会わないかの関係になり、年賀状だけの付き合いになり、数十年が経ってしまった。
その後、知ったことだが、40代、精神疾患を患い、十年近く引きこもり生活を余儀なくされ、その間に、それまでに書いたすべての作品を全て破棄したそうだ。
皮肉にもこの時期、ぼくは、いささかはしゃぐようにして、詩集を出し、フランスに転勤したり、楽しく賑やかに暮らしていた。
そんな彼と、数年前に再会を果たし、何度か酒を酌み交わしているうちに、今回の詩集をまとめる話になったのだ。
十代の頃から、詩と真剣に向き合ったひとの詩集を一緒に編集するということは、想像以上に大変な作業だったけれど、2015年から「書肆梓」として、すこしずつ出版を続けて来たのは、彼の第一詩集を作るためだったのではないかと、ひとり勝手に、思っている。

膨大なる「索引」を巻末に置いた84篇の詩篇。
古い時代の戦争や厄災をなかったことにしようとする者たちへの呪詛のように、その他の廃墟として、形となった。

そう、この詩集をもって、戦後詩は完結した、と言ってみたい。

「晦渋」や「意味不明」の誹りを受けることも辞さない詩人の姿に、闇の中の光に照らされた「異形」を、われわれは読み解くことになるのではないか。

《「詩」は目的ではない、手段である。「詩」はあくまでも義務として書かれた。私の死が永遠の義務であるのと同様のことだ。「詩」を書くために生きる必要などない。「詩」は、精神の内陸地から海へ向けて吹く風のようだ。大陸から空と海の境界線は見えない。水平線という了解はただ逃げてゆくばかりで、ひとに囚われることなどない。世界は存在しない、と言う者もある。「無限」のなかをただ、「有限」が永遠に行く。
海と大陸との拮抗、きみが意味を怖れることなく、永遠を戦う有限であることを願う。そこには無限に繰り返された四十七億年の永遠が、ただ只管に打ち寄せるばかりだ。》 「あとがき」より

☆全国の書店、Amazon、楽天ブックス等で、ご注文できます。

定価3,300円(本体3,000円+税10%)
ISBN 978-4-910260-01-3 C0092
B5判・並製・360頁

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