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ライフスタンスが共有出来るコミュニティ/空間の規模



覚悟を決めてライフスタンスに従う人生に踏み出してみて、ある程度してから思う事。
心地良くライフスタンスが共有できる空間/コミュニティの規模は果たしてどのくらいなのだろうか?
引き続き、ライフスタイルからのライフスタンスに向き合うことで思い悩む事の共有を試みてみる。

ダンバーズ・ナンバー

そのヒントがあります。
イギリスの人類学者ロビン・ダンバーが提唱したダンバーズ・ナンバー(ダンバーズ数)。
社会的な関係の認識と維持における人間が持つ限界数、人数。一般に150人程度と言われています。
ちょっと小難しい表現になっていますが要は、ちゃんとお互いの存在を認知し合い尊重し合えるコミュニティーの限界人数。
世代や育った地域で多少の差は生じるかもしれませんが感覚的になんとなく共感できる数字では無いでしょうか?
この限界、上限数は何処から来るのでしょうか? 2つあります。
それは脳の処理能力の限界、
そして、もう一つは感情への対応です。
前者は、脳の処理能力が優れていれば強化増加が可能かもしれませんが後者の感情対応はそう簡単では無いでしょう。相手との関係構築と維持はお互いの感情をコントロールし合いながら信頼を築いていく非常に多くのエネルギーと時間を費やします。
特に現代人は、とにかく日々色々忙しく、そこに費やせるエネルギーと時間が少なくなる一方。個人的には、人生とは、ある意味それを体験する場なのでは?と思うのですが、それどころでは無いというのが今の経済社会、現代の実情なのでしょう。
他人との間に”信頼関係”を築くといういうのは本当に大変ですよね?この基本プロセスが身についていたとしてもお互いの感情コントロールが必須になりますので。
どの程度の信頼関係を築けば良いか? どこまで自分をオープンにするか? どこまで相手のオープンを求めるか? 相手との考え/想いの相違を、受け止められるか?
そして、どこまで受け入れるか?/受入れられるか?
すべてのプロセスに感情が絡み、自分だけでは無く相手もあることなので、そこが一番タフ。
相手の感情は制御不能な要素も多分にあるので、そうならないように細心の注意を払い、
自分の感情もケアしながらお互いの信頼関係を構築していく。
意識無意識問わず日常これだけのことを重ねて1つ1つの信頼を構築して増やしています。
現代社会は、そこに費ややすことが出来る時間がどんどん減り、また感情制御出来ない人々も増えてきているので指数関数的に、信頼関係の構築機会が減ってきています。
上手く行かなければ、争いに繋がり、また妥協を重ね自分の感情を抑え込めば病んでいくというネガティブスパイラルに陥ります。
悲観的なことばかり並べても建設的展望を開くことは出来ないので、ここでは、ダンバーズナンバーという考え方への意識と、その視点で自分を取り巻く環境から自分がどのような”スタンス”で、どの程度の規模のコミュニティーなら健全にいられるか?のイメージの解像度を高めてもらえたらと思います。

NVC/健全なコミュニティー構築維持を実現させている方々が行っていること


事業の栄枯盛衰を共有しながら来年の幸運をお互いに語る

NVC(Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)という米国の臨床心理学者マーシャル・B・ローゼンバーグ博士によって体系化/提唱された自身の内外に平和を作るプロセスというものがあります。ティール組織で良く実装/実践されているケースを見る機会が多いと思います。
互いの相違を乗り越えて共感を生み出すコミュニケーションを行うために、
してはいけないことと
すべきことが明確化されています。
現代の日常に溢れている一般的なコミュニケーションとNVCが求めるコミュニケーションは何が異なるのか?
前者は、支配/対立/緊張/依存、という関係
であるのに対して、後者は
自由/思いやり/お互いを豊かにし合う、という関係。
一言でいうと「頭で考える関係では無く、お互いの心(ハート)に耳を傾け合う」という関係。
「そんなの理想だよ・・・」と撥ねつけられても、そこに向き合い続けて、少しでも平和を身近なところから拡げていこうという、こころと意志を持った人々の多くが実践している手法です。
その為には、
自分と相手を観察、双方の発言に対して、自身がどんな感情になったのか、
その感情はどこから来たのか?(自分が大切にしている何かに触れられて感情が発火している、その根本は何か?)、その上で、自身が感じている”満たされていないことを満たすための具体的な要求/リクストを行う、このプロセスです。
重要なのは特に、観察フェーズで、評価や診断を行わないこと、主観を出さずに事実にのみフォーカスすること。支配/対立/緊張/依存の関係から脱却するには、”評価や診断”を捨てることがコミュニケーション上、必須であるということですね。現代の一般的な組織運営の考え方しか頭に無ければこれは非現実的な手法に見えるでしょう。
ここまでのNVCの説明は非常に抽象的なので、もし初めてNVCの名前を耳にして、もう少し知ってみたいと思ったらまず下記のnoteあたりからが如何でしょうか?

ピラミッド型の組織形態では、支配/対立/緊張/依存の関係性から抜けられず、お互いの心に耳を傾け感じ合う組織を構築することが困難、そんな背景からティールのような考え方が求められ、その実現手法としてNVCの活用が広まってきている・・・そんな新たな時代の潮流が始まって来ているのかもしれませんね!

ダンバーズ・ナンバーを超えて平和な世界を実現できるのか?


離島の田んぼ

150とか、せいぜい数百とかが限界値のダンバーズ・ナンバーを超えて、果たしてこの世界に平和な社会を作ることは出来るのでしょうか?
平和の実現にはすべてのコミュニティーが1つに融合されることが必要なのでしょうか?
恐らくは中途半端な成熟度で1つを試みると結局、支配/依存の構造に頼らざるを得ないのでは無いかと思います。では他の解決策は?
長い歴史を振り返れば縄文にそのヒントがあるかもしれません。
1万年以上にわたって大きな争いが無かった・・・そんな時代。
その社会構造は、自律分散型でした。小規模コミュニティーがそれぞれ自立してる、しかし別のコミュニティーと断絶している訳では無く、むしろ密にヒトとモノが交流し合っていた、そんな社会です。
これを支えていたのは一体何なのか?
色々調べた挙句、個人的には大きく2つあると思いました。
1つは、狩猟採集のシステムであったこと、
もう1つは母系制社会、つまり女性が中心のコミュニティであったこと。
前者は、なぜ/何が重要なのか?
それは、”蓄えない”ということでしょう。 すべての対立/争いの根源は、蓄えたものの奪い合いになってしまう。動物の本能なのか?万人を理性で抑えるのは困難なのか?の領域です。
もう1つは、コミュニティー維持に関して、”考える”のでは無く、”感じる”、お互いの心を感じ合う。
この女性性は、競争では無い共創社会では必須の条件なのでは無いかと思います。
ティール、NVC、女性性。
グレートコンジャンクション後の、風の時代/みずがめ座の時代は、まさに女性性の時代。
これは偶然では無いでしょう。時代は、しっかりと風の時代に遷移していると考えて良いのだと思います。

量子学的に引き寄せ合い/無駄な干渉も無い世界

量子学的にこの世界、宇宙を俯瞰すれば、すべては波動/波で出来ています。
似たような想い/こころの周波数で振動しているモノ/コト同志は引き寄せあい、
逆にお互いに眼中に無い/価値観が全く異なる次元間では、お互い観測し合わない=そのモノ/コト同志は実体化しないので無駄な干渉も起きない、前者は縄文式の小さな自律分散型社会/コミュニティを生み、その社会/コミュニティ間を密連携させる理(ことわり)となり、後者は世界から争いを失くしていく理になります。

縄文式自律分散型コミュニティーへの回帰


今はゆっくりでも、これから加速度的に縄文式の自律分散型コミュニティーに回帰していくものと思っています。ここまで発展してきた文明と自律分散型コミュニティーがどう融合していくのか?は、まだ自分でも解像度高い分析が出来ていませんが、なんとなく概念的な世界観はイメージ出来ています。資本主義からの脱却は必須でしょう。コモン、コモンズ、共同体主義などが、じわじわと湧いてきているのは資本主義の終わりの始まりと言って良いと思います。
これまでの”支配/依存”の社会構造で多くの人々の”こころ”が痛めつけられました。”こころ”を隠した仮面社会で何とか居場所を確保して頑張ってきました。一方の支配側もこの現状で満たされるわけでは無く”満足を得る”などということは出来ないのだという事実、そして無限の欲求とその手にしたものを失う恐怖の日々、そう誰もHappyでは無いんです。みんな本当は気づいているんです。
だから天から女性性に遷移する機会が降って来たんですね。ちゃんと受け取りましょう、その天の恵みを。実は奪い合う必要なんて無いんです。この世界/宇宙に量子学的理(ことわり)がある限り無限なのだから・・・風の時代、意気投合した人たちと自律分散型コミュニティーを作って楽しく。
こころが病むなんてことが無い世界へ向かいましょう!♬

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