生い立ち 3 彷徨い

鮭を釣って夜のために皆んな解散して夕方私の家に集まった、3年生の秋からなので皆んな受験の為学習塾に行く用意をして集まった!

母の味付けした味噌ダレが絶妙に美味く、楽しくちゃんちゃん焼きパーティーを終えて皆それぞれ通ってる学習塾に行く為後片付けの準備をしていた、そんな中私は寒気と少し頭痛がしてたが『朝早く釣りをして疲れてるんだろ。。。』位に思い皆んなでチャリに乗り学習塾へと向かった。

塾も終わり家に帰ってきたがそれでも寒気と頭痛は治らなく早めに布団に入って寝た。

ついにその日を迎えてしまった。

朝母の目覚ましの声で目が覚めたが今までに経験のした事ない世界が待っていた。

目を開けるとぐるぐるバットをやったような平衡感覚がなく天井の模様はうねってみえた!今までこんな目覚めの朝は体験した事なかった(後にもう一度同じ朝を迎える笑)

起きたくても起きれない、母を呼び現状を伝えても『どうせズル休みしようとしてるんだろ!』って信じてもらえなかった、ただ母が私の目を見て話してるうちに『すぐ病院行くよ!』と急に態度が変わった、後から聞くと当時私の目は縦に凄い速さで痙攣してたみたいで母は『尋常じゃない』と察知してくれたとの事。

どこに行ったらいいのかわからずかかりつけの小児内科に行ったら『風邪ですね、食欲ないなら好きな食べ物かチョコレート食べて安静にして下さい』と言われ血液採取されて家に帰った。

医者の言うように好きな食べ物を母にリクエストしてチャーハンを食べた一口食べて1分もしないうちに嘔吐したのを覚えている。

時間をあけてチョコレートを食べても嘔吐。。。

次の日も平衡感覚は無く肩を借りないと歩けなくカタカタ身体の震えも出てもう一度同じ病院に行って症状を事細かく説明するとすぐ紹介状を書いてくれ脳神経外科に行く事になった。

紹介状もすぐ呼ばれたまたま見てくれた医師が医院長で目にライトを当てた瞬間『すぐ髄液採る用意して!』とバタバタし始めた診察室から隣の処置室のベッドで仰向けになっていると先生か入ってきて『壁見るように寝て海老のように身体をくの字に、おへそを見るような体制になって動かないでー🦐』と言われ一生懸命身体を丸めた

その瞬間腰にチクっと痛みが少しありその後骨伝導で『グズグズ』と何かが刺さってきてる音が聞こえた!初めてのことなので怖くてじっとしているとそれは脊髄液を採る為に注射針を刺している音だった。身体を丸めたのは骨と骨を開かせる為との事。2.30分で採血ならぬ採液は終わりその液体を見た医院長は『すぐ入院だわ!』と言って私は処置室のベッドで寝て待っていた。

この後1ヶ月半入院する事になる。

隣の診察室に母が呼ばれ先生の説明を受けていると、隣から母の小さな悲鳴のような物が聞こえ涙目で処置室の私のところに『少し入院だって。。。


髄膜炎】って病気みたいで、病名わかって良かったね笑』と明らかに私に何か隠してるのがわかるような行動を取っていた。。。


そこから入院生活が始まった。点滴も両手にされ当たり前に食事は無し、前触れもなく脊髄液を採りに医院長がやってくる何故髄膜炎が分かったかと聞くと物は見せて貰えなかったが脊髄液は透明で炎症を起こすと濁るとの事。君(蟹)には2つのウイルスが入っていてそれを調べてるから〜と軽い感じて言っていた。。。

入院したての頃は3日に1回位で医院長の回診がある、医院長の時はもれなく病棟ベッドで脊髄液採取される。3回目の時に1つのウイルスがわかったと話があった『風疹のウイルス』だった。。。

こんな辛い思いをするなら予防接種受けとけば良かった。。。もう一個が解らないとも言ってた。。。

それから数日して母が呼ばれ医院長のから『家で鳥飼ってるか?』と話があって私の実家は鳥は飼っていないがデカイ大型車3台位入る倉庫がありそこに鳩が巣を作っていたのと入院するまでやっていた釣りの岸壁にはカモメや鳩がいた。

その事を伝えると『やっぱり』と鳩が持っている菌がありそれが原因ではないか!?となった、これでようやく全ての原因がわかり薬の量も少し増えて私は回復に向かっていった。それからは脊髄液採取も回数が減り見舞いに来る家族も増えた。

そんなある日少し熱が上がり看護師さん(当時20代半ばから後半の女性)に座薬を指すよう言われ、手と足に点滴をされていた私はその綺麗な看護師さんに処女を捧げた笑

入院生活もあっという間に終わり退院の日を迎えた、ここから半月位の自宅療養生活がはじまる。


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