しん

写真家として、人間として。 思ったこと、感じたこと、書きたいこと。 生意気かもしれない…

しん

写真家として、人間として。 思ったこと、感じたこと、書きたいこと。 生意気かもしれないけど。

最近の記事

何か起きろ。

僕は写真をやっていて常々思っていることがある。 「何か起きろ。」 何かには、事件や事故も含まれる。最低だ。 しかし、そんな簡単に事件や事故が目の前で起きても困るし、起きてほしくはない。でも、ただ日常を写真に収めるだけでは飽きてしまう。 SNSでこんな投稿をよく見る。 「目の前で事故!やばい!」動画が付いている。 その投稿のコメントにはテレビ局が動画を使いたい旨のコメントが多くある。 報道の現場にプロカメラマンが出向く時代は終わったのだ。 その場にいるスマホを持った人が出来

    • 写真を人に教えること。

      人に数学を教えるとき、先生は公式を教える。 そして、裏技的に早く解ける方法を教える。 公式があるから答えがある。 でも、写真に正解はない。 すべてが正解で、全てが不正解。 人の数だけ正解も不正解もある。 でも上達するには人に教わることも大事である。 写真を見て、沢山撮って、沢山見せて。 それが上達の近道だと考える。 写真を含む多くの芸術は生まれ持ったセンスや個性に大きく依存する。 それを教えるのは難しい。 でも、センスを伸ばすための材料を提供することはできる。 まだ食べ

      • はたちになる。

        あと数ヶ月で20歳になる。 小学生や中学生の時、20歳になることが数多くある夢の中のひとつだった。何故か、選挙に行けることにワクワクしていたし、お酒も飲める。きっとこれだけのことなのに無駄に羨ましかった。 でも、今それを目前としてもワクワクは無い。 法律は変わり選挙権は18歳。普通自動車の免許は卒業後取得。20歳になったから出来ることと言えば飲酒が出来ることしか思いつかない。人間として自立しなければならない節目ではあるが、大学卒業まで実家暮らしが確定してる身からすると、そこ

        • 竹馬。

          子どもの頃、竹馬に乗るとき乗る人と支える人がいた。 授業で慣れるまで2人1組でと言われてた。 竹馬に乗ると少しだけ背が高くなった気分になり優越感を感じられたから好きだった。でも、いつからか乗らなくなった。 バイトや学校など様々な場所で人と会話する時背伸びして、知ったかぶりなどカッコつける人がいる。高校の頃部活で知らないのに知った振りをして失敗して迷惑をかけたことがある。 背伸びして怪我をした。 これを竹馬に乗って怪我をすると言い換えてみる。 背伸びをして、竹馬に乗って

        何か起きろ。

          かさぶた

          かさぶたは剥がしちゃだめ。そう教わってきた。 でも日本にはそれを剥がす奴が多い。 怪我をして、自然治癒力で蓋がされてきて治るだけなのに。 勝手に剥がれて元通りになるのを待つだけなのに。 それをひっぺがす。無駄に。 他人の怪我をいじり、かさぶたを剥がし、また痛みつける。 そして一生モノの傷が残る。なんの意味があるのか。

          かさぶた

          コンプレックスの塊

          「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」をみた。 吃音で人前で話せない女の子とミュージシャンを目指す音痴の女の子の2人。 自分ではどうしようもないコンプレックスを抱える2人は学校でクラスになじめない。高校という社会で発言ができなかったり、音痴であることはとても生活しづらい。授業で先生に指名されたり、音楽の授業で歌うことがあったり。そんな2人が人間関係に悩み、音楽を通して何かを得ていくというストーリーだった。 どの分野や社会にも1人や2人どうすることもできないコンプレックスを抱

          コンプレックスの塊

          NETFLIX版「新聞記者」

          こんにちは。 今回見た作品はNETFLIX版「新聞記者」 2019年に公開された映画を見たのだが、映画と同じ藤井道人監督がセルフリブートしたということで見てみた。 この作品は2019年に公開された同名の映画を、同じ監督が作った作品である。 話の内容などは大きく変わっていないが、映画では約2時間、それをドラマ化したことで約1時間を6話にできている。それにより映画より細かく描くことが出来ていると感じた。 まず映画の話を少し。ドラマの感想を書くにあたってもう一度見てみた。 松坂

          NETFLIX版「新聞記者」

          否定するだけの奴

          僕の周りには否定するだけの奴が多い。 大学生になり学校の校風でそういう人は減ったように感じるが高校の時は教員や同級生にそういう人が多かった。人と違うことをすると否定される。でもこれはわかっているからなるべく足並みは揃えてきたし、人並みの生活をしてきた。友人に否定されるとほざいとけと思いすっと流せるのだが、教員や大人の人に否定されると完璧に否定された感覚になる。これには絶望する。だから否定するだけの奴は嫌いになる。あと、講評会などで否定だけしてなんか上に立ってる気でいるやつもよ

          否定するだけの奴

          皮を被って、嘘をまとって、

          いつしか、人は色を失った。 機械に夢中になり、SNSに操られている。 普通を普通以上に求められ、個性が死んでいく。 そして、それを取り戻そうとした派手な装飾や過度に意識された映えに目が痛くなる。 忖度のにまみれ、従順の檻になった人間に呆れた。 信じることを忘れ、疑うことでしか物事を見れない。 真っ白であることが正義で、一滴の黒すら許されない。 綺麗事にまみれ、本質を見失う。 そして、弱者が群れ弱者を叩き、弱者が世界を支配する。 弱いものいじめと言われかつて強かった人は消えてい

          皮を被って、嘘をまとって、

          生きること

          久しぶりに更新です。 作品を作る時に書いた文がお蔵入りしそうだったのでここに残します。 一生懸命に生きることを強いられ、休まる時間がない。 ときに体を、心を全ての活動を殺し休んだっていいじゃないか 精一杯生きることが良いと言われるが、限界はあるもんで、休ませないとやっていけない。 生きていくことの辛さを感じる今の時代だからこそ、生きなくても良いという選択肢を作ってもいいのではないか。 それは「死ぬ」ではなく、一生懸命ではなく適当に過ごし生きるという時があっても良いのではと

          生きること

          たりないふたり。

          明日のたりないふたりを観た。 コロナ禍になりはや1年。俺は一年前にhuluでたりないふたりに出会った。 ふたりに出会い「たりない」という言葉、たりないという事に出会った。そして、新米の僕を10年近く前の二人が仲間に入れてくれた。いや、勝手に仲間に加わった。 俺は、カッコよく見えるように、カッコつけて生きてきた。たりないから、たりて見えるように。 でも、意味はなかった。たりて見えるどころか、余計にたりなさを強調していた。 そんな時に、ふたりに出会った。そのままのお前で良

          たりないふたり。

          日本の時間。〜斉藤和義さんに学ぶ〜

          時間。これは人類皆平等に与えられているとされている。 しかし、日本人の時間感覚に違和感を覚えることがある。 何もかもに急ぎ、焦り、カツカツしている。 会社の始業や公共交通機関のダイヤ、人との約束など、様々な時間に追われている。しかし、終わりの時間にはとてもルーズである。残業バリバリで電車のダイヤも残業前提のような組み方である。 斉藤和義さんの「歩いて帰ろう」という曲がある。 「走る街を見下ろして のんびり雲が泳いでく 誰にも言えないことは どうすりゃいいの? おしえ

          日本の時間。〜斉藤和義さんに学ぶ〜

          10年

          東日本大震災の発生から10年が経とうとしてる。 当時小学3年生でイレギュラーな場所にいて戸惑った記憶がある。 関東にいたが大きく揺れた。 家の本棚の本は全て床に投げ出されたらしい。 帰ったら、家はぐちゃぐちゃだった。 東北で大きな地震があり、大きな津波が襲った。そして多くの人の大事な物や人、命を奪っていった。 この事実は10年経っても変わらない。 ただ、その事実を知らない人も生まれ、知っている人は歳をとっていく。知っている人が亡くなってるかもしれない。 それを忘れないため

          機械化

          全世界において機械化が進んでいる。 と、同時に人間の機会化も進んでると感じる。 何もかもを表面で見て、表層だけで判断してしまう。 漫画宇宙兄弟のセリフにこういうのがある。 「情をはさむなってなら、パソコンにでも決めさせりゃいい。人を選ぶのは結局人の''情''の部分でしょう。」 履歴書や成績表などの字だけで見てしまう。そこに人の中身を、性格やクセを見ようとしない。 とてつもないスピードでネット化、機械化が進み、直ぐに検索しする。 考え、試行錯誤するというプロセスを省きが

          機械化

          力を持つ者、持たざる者。

          最近、弱い立場にある者、下の立場にある者がその弱さを盾に強がる傾向がある。 例えば、戦後女性が権利を主張し、その主張が世間に浸透した。しかし、その権利があるがために男性は女性を前に屈することがある。そして、男性は何もできなくなってしまう。 もちろん、女性の権利は守られなければならない。 しかし、その権利があるからと言って強がるのはどうなのだろうか。 あくまでも個人の意見なので、反対の意見や肯定の意見などあれば頂きたい。 最近、深夜帯のメディアと昼帯のメディアを入れ替

          力を持つ者、持たざる者。

          笑顔

          日本人の笑顔が消えていく。 もっと余裕があれば、もっとのんびり生活していれば。 ネット社会、ストレス社会の弊害かもしれない。 幾多の情報が蔓延し、それを常に確認し知ってなければならない。 すこしでも、遅れたりはみ出るとおかしい奴扱い。 そんなの疲れるに決まってる。余裕が消えていくに決まってる。 個性が潰される社会とも聞いたことある。みんな同じ様なルートを通って生きて死んでいく。 すこしでも逸れたらその瞬間おかしい奴扱い。 そもそも通らなければならないルートはない。 決め