支援級[非]該当な発達kids育児環境調整



以下タイプの
うちの息子の場合の話
(全体化する意図ZERO)

____________________________________________

・ADHD優勢型
・鋼メンタル
・嫌なことをすぐ忘れる忘却力
・過集中持ち
・ASD積極奇異
・癇癪文句垂れ
・解釈の独自性あり(認知の歪み)
・知覚推理凸で思考力があり理屈こき
・基本的に人好き

WISC
知覚推理:超凸
言語/WM:凸
処理速度:凹=平均値
____________________________________________


<経緯>

息子の幼児期は衝動性や不注意は強かったものの多動や癇癪はなく話せば理解し正答を会話で解説する子供だったので(≠行動できる)乳幼児検診で引っ掛かる事はなく私が医師・福祉ショッピングをして食らいつき、息子君は様子見だ療育不要だ卒業だと払いのけられながらも実費療育や医療に無理から繋げて来た経緯がある。早期療育の根拠の一つとして人間の脳発育安定が9歳との論説を見たので私が後々後悔しないように9歳まではとりあえず全部与えてみようと療育に奔走した。
後悔はないけど「知らぬが仏ゆえに可能な発達育児」のメリットもあると思うので、自ら診断を手繰り寄せた感のあるこの選択肢がベストだったかはまだ解らない。

ともあれ、こうして無理から方々に繋げて来たが、当地では高IQの息子には二次障害で病まない限り手帳は降りないし、当地の公立小学校では支援級にすら入れない。無理から入れる事も出来ない事はないらしいが、息子が就学当時はまさかの9年支援級固定で途中で普通級に在籍変えをする事が不可能だった為、必然的に公立高校への受験選択肢は断たれる状態だった。まあ今となっては公立は向いてないだろうから希望しないとは言え、そもそもスタート地点で選択肢が断たれる状況は、勉強好きな(就学前には今と変わらない学歴必須の将来の夢が決まっていた)息子だっただけに、9年固定は違うと思い私立小に進学した経緯がある。




<育て方の方向性>


つまり息子の様なタイプは、当地では福祉支援を受けられないままに定型社会で生きていくしか選択肢がない。こんな子供達の福祉支援拡充は求めていくべき運動だけれど対応が期待できないだけに、現実と向き合い、現実に迎合して準備していく必要がある。
生存維持の為に。



将来
・福祉支援を受けて生きていける発達キッズと
・その選択肢がない発達キッズ。

私は同じ育て方で良いとは思えない。
子供の多様性を認める時代、育て方のベストが画一的であるわけがない。

子供のありのままを尊重して配慮依頼によって社会の方を変えて行く方向に努力をする生き方も素晴らしいけれど、実はそれには将来支援を受ける権利・保険がないとリスクが高い。そして界隈に溢れる発達キッズの育児マニュアルの根幹は、前者の育児を前提とされている様に思える。だからその支援枠に混じれない発達キッズは、なるべく周囲に配慮を求めず折り合いをつける方法とライフハックを集中的に模索して獲得する必要があるのだろうと思うから、本人を「ありのまま」ではいさせてあげられない。定型社会に迎合して療育(矯正)して行く必要があるのが現実だと思う。
「幼い頃は支援を受けて、大きくなったら支援を無くして」という柔軟性が当地の福祉支援制度と、また子供自身にそれを受け入れる切り替えがあれば良いのかも知れないが、我が家の場合は息子の年齢や成長に関わらず一貫した論理でないと誤学習する可能性が大きいし、そもそもそんな年代別支援を受けられる場所が当地にはない。


定型社会でしか生きられないなら、或いは定型社会での生存を子供が希望するならば、定型の群のルールに合わせて折り合いとライフハック技術と擬態力を幼少から練習して身につけていかねば社会適応は難しい。


そんな視点で我が家なりに考えた環境調整
たくさんの無駄もあった。



<息子にした環境整備>


1)好きなもの伸ばし(生物)
息子が無になってリフレッシュできる大切な活動
・没頭出来る時間確保
・物などの環境整備(自宅昆虫マンションの棚発注などスペース確保)
・知識を得たり体験する機会(博士や研究員がいるコミュニティ)



2)息子に選択権を与える
・選択出来るように材料集めをする
・実際に体験させて説明もする
・それから選ばせる
息子が「自分で選んだ」と自覚するように意識した。

例えば小学校については年長の時に
6校の候補の中から見学や体験を回って
・学校の特色を説明して
・確率の高い進路や将来の職種
・職業別のだいたいの収入
・現在の生活水準と比較しての違い
・息子の希望する仕事に就くまで必要な学歴
を説明した。
そうして選択材料を提示した上で、学校を選ばせた。私が密かに良いと思っていた学校とは違ったが結果的には息子の志望校にして良かったと思う。「自分で選んだ」から息子は学校が好きなのだと思うから。


3)息子の学校以外の居場所(逃げ場所)確保
・1)で出た生物コミュニティ
・息子が好きな習い事だけをさせてそこの先生や友達と繋がりを持っておく
・不登校になった場合のフリースクールに何度か行って嫌いでない場所を見つけておく
・児発や放デイを色々見学に行って本人に決めさせて2つ位在籍しておく
・高IQばかりのSSTクラスには積極的に参加して気の合う仲間と繋げておく

学校以外にも居場所がある、という概念を脳みそにこすりつけておいた。


4)息子自身の相談場所(カリスマティックアダルト)の確保
・息子の心の居場所確保
・来たるべき思春期対策

親以外で何でも安心して相談できる大人、自分を理解してくれていると息子が心底思える大人、この人を探して関係を構築することを意識した。子供が年齢を重ねれば重ねるほど難易度が上がると思う。
3歳から児発や放デイを何箇所が回り息子自身が好きな支援の先生を探して、4歳からその先生にロックオンして関係性を構築し、担当替えの危機があれど契約形態が変われど食らいついてずっと一人の先生と週1で繋がるようにしている。専門性も相性も指導法も申し分ない。母子関係の問題や私が息子に理解して欲しくて伝えても私からの言葉が入らない時など、先生に相談して先生経由で伝えて解説して貰ったりしている。息子が癇癪大爆発で先生とのオンライン会話に入った後、終了時刻にはスキップする位ご機嫌になって降りて来る位先生が好きな様子。本人いわく「俺の心の安定のために必要な人」との自覚もある様で「受験がもっと進めば俺は余裕がなくなるはずやから、先生とのオンラインの時間は絶対確保しとかないと」と自ら話している。

学校の担任など流動的な関係性ではなく、放デイという18歳まで変わらずずっと繋がれる関係性の中からカリスマティックアダルトを見つけられた事は一つ大きな精神的な保険になっている。思春期を共に超えて貰うつもり。


5)私の相談場所確保
発達育児は超絶ハードモード育児。病んで普通だとさえ思う。
母子関係の悪化防止ひいては息子の健全育成のためには、私のセルフメンテナンスは重要だと思っていて定期継続的かつ経済的に発達知識のある臨床心理士と面談できる機会を確保した。
・何箇所、何人も巡って気の合う人を探す(中には最低だと思える人もw)
・教育相談センターや発達支援センターや教育委員会など(地域によって名称異なる)就学前相談を行っている部署に常勤相談対応している心理士さんで好きな人を発見し毎月通っている。相談というより愚痴。愚痴と雑談とたまに相談。病む前に精神メンテナンス。


6)ママ活
目的A:ママ同士が繋がる事で、子供が学校で起こしたトラブルについて謝り易い地盤作りをしておく
(連絡先を交換する事で、些細なトラブルがあった際に子供同士に電話で話をさせて謝らせる事で大トラブルへの発展を防ぐ)

目的B:私立なのでママ同士が繋がらないとプライベートで遊べない。プライベートで遊ぶといういわゆる秘密の共有心理により息子の友達関係強化の後押しをする=教室での味方を増やす(少なくとも敵を減らす)
(学級内で同じ趣味の虫友達を見つけてはプライベートで子供を預かり自然に連れて行くことで友情を育ませたり、目の前での友達への関わりを見て具体的にSST的な事を教えたりできる)

目的C:息子と登下校が同じだから関係性が回避できない同級生グループ、そのママ同士で仲良くなる事で、息子がヤラかしても「新民族ちゃんに免じて許してあげよう」をあわよくば狙う


→(大失敗)
基本的なAは必要だと思うが…Cなどあり得なかった。
登下校が同じなだけで息子からしても気の合う人間は一人もいないわけでトラブル発展は自然の流れだったし、いくら私が努力したとて余裕で排除された。好きでもないただ近所だからの定型ママ友グループとの、私個人は一切望んでもない関係構築の為だけに、擬態して迎合して同調してクソいらないクソダサい”友達の印のお揃い⭐︎”を買いまくった時間は、本当に私が私自身を傷つけただけの時間だった。そしてそのストレスは少なからず息子にいったかも知れないので、本当に無駄な時間だった。
定型群の秩序は尊重すべきだが、できない背伸びはしない、等身大で行くべきだった。
Bは息子と趣味が合う子=子供お仲間感満載=親もお仲間感満載 なのでママ活が楽しかったし今も継続中



7)「理不尽であれど群にいたければ群のルールを守るべし」の徹底
https://note.com/shinminzoku_007/n/n92f6df8799ae
多分ありのまま発達育児界隈ではタブーだと思うが、私はこれを鉄壁の硬さで徹底している。
大前提としてどの群にいたいかを本人に解説して選ばせている。

社会にいたければ社会のルールを守らなければ刑務所に行くのと同じで、学校にいたければ学校のルールを守るべし。理不尽なルール、無駄だと思えるルールは山ほどあるが、正式に改革出来ないのであれば黙って守るべし。どうしても理不尽だと思えて改革を望むのならば親として全力サポートするが、改革の権利が持てるのはルールを守った者だけだからとりあえず遵守せよ。
この基本概念を入学前から脳みそにこすりつけている(継続中)


息子が持つ”無駄と思える事に対する努力は微塵も出来ない病気”(私も患者)との折り合いは、この鉄壁ルールによって付けられているのではないかと思う。我が家では基本学校のルールを守れなければ、学校には行かせない。これが成り立つのは「息子が自分で選んだ学校」である点、この学校に自分が居たいこと>無駄に支払う労力 という優先順位がある点なんだろうと思う。

今のところ順調だが、この発達界隈ではタブーとされる矯正の弊害に対する正誤は息子が大人になった時に出るのだろうと思う。




8)学校へのスタンス
・私立なので基本的にこちらから特別な配慮は求めない(耳栓たまに使う程度)
・学校には平身低頭、学校のやり方を遵守する前提を伝える
・息子への個人攻撃(小3担任)とも取れることには都度お願いベースで抗議する
(※3学期の終わりに辛辣に言ってしまったがw)
・とりあえず挑戦させて事前にお膳立てはしない。

学校生活において特性による苦手で出来ない事は当然山ほどあるが「無理強いはしない」が「やらなくても良いという解放」もしない。ちなみに処理速度凹で板書はきちんと出来なかったし、見え方にも癖があるのか通っていたビジョントレーニングの先生からは「板書は諦めて支援を求めよ」と言われたが、とりあえず板書はさせ続けた。「板書する努力はさせるから、出来なくても注意くらいで厳しくは叱らないでやって欲しい」というお願いはした。

学校での板書自体にも本人からするとハードルは高いのだろうが、書字の微細運動による感覚統合や、眼球運動の療育的効果があると考えていたのもあった。それにより授業内容を聞けない部分はあったろうがそこは先取りでカバー出来るので、板書を本人の課題にさせた。これは結果的には良かったと思っている。これがあったから今塾の授業を聞きながら全部でないにせよ板書をすることが出来ていると思う。

_________________________________

上記の正誤は、息子成人後、息子が実年齢で30歳くらいにかなと思っている。暗中模索だけれどその都度のベストをやるだけやるしかない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?