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Unforgettable #時分記

今日も淡々とリハビリを行う。

ほとんど反応しなくなった高齢のおじいさん。
目は開いているものの、こちらの声かけを理解しているような、していないような。
こういう場合は、理解している方に賭けてみて、なるべく声かけしながら口腔ケアを続ける。

視線は合わないが、ブラシをあてようとすると口はわずかに開いてくれる。
意識が朦朧としているのか、はたまた認知症の影響なのか、口の中が乾ききって汚れていることに気づいていない。時折、声をあげるけれど、ことばになっておらず不明瞭でよく聞き取れない。進行した認知症の人たちには、よくあることだった。この高齢者もそのひとりなのかもしれない。コミュニケーションらしいことは、こちらの推測でないと成り立たないようだ。
でも、彼なりにケアには協力してくれているようだった。

その部屋には、家族が自宅から持ってきたラジカセとCDが置いてある。
おじいさんが昔よく聴いていたのだろうか。「できるだけ聴かせてあげて欲しい」と家族から言伝られていたので、介入中に音楽を流すことにした。

ここは個室だった。他患者に気を遣うことなく音楽は流せる。
でも一歩部屋を出れば、アラームやナースコールが鳴り響く病院の廊下。
せわしなく駆け回るスタッフを横目に、この部屋だけは、フランク・シナトラ、ビリー・ホリデー、ナット・キン・コールなど、オールディーズの音楽が流れている。

「これは、ナットキンコールの歌ですか?いい声ですね」と、わかってるかわかっていないかわからないおじいさんに尋ねると、ぼくの目を見てはっきりと、うなずいた。

次々に流れてくるジャズ・ボーカルの歌を聴きながら、あまり表情が変わらないおじいさんも少し満足げにみえる。こころなしか、さっきより少しだけ口を大きく開けてくれるようになった。ケアに協力してくれているのだ。

そして4曲目が過ぎる頃に気がつくと、すっと穏やかな寝息を立てて眠っていた。

オールディーズの独特なカドのない音は、窓辺からみえる色づきはじめた木々をゆらす風とともに、安らぎの場所を演出してくれた。この部屋だけは、特設された秋の隠れ家のようだった。

ケアを終えたぼくは、おじいさんが起きないよう、静かに部屋を出ることにした。


#時分記 #エッセイ #ナットキングコール #unforgettable

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