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太神楽が変えたジャグリングの歴史 - ロシアサーカスと太神楽

こんにちは。
ハードパンチャーしんのすけです。
ジャグリングの講師として、ジャグリングを伝える活動を日々行っています。
その他にもこんな活動しつつ、ジャグリングで生きています。

「ジャグリング」と聞くと、西洋由来のものであるイメージを持つ方もいるかもしれませんが...
明治の日本人曲芸師が、海外のジャグリングに大きな影響を与えたのはご存知でしょうか。

今回はそんな話をお伝えしたいと思います。

偉大なジャグラー エンリコ・ラステリ

ジャグリング史に名前を残すジャグラーの一人に、エンリコ・ラステリ(Enrico Rastelli)がいます。ロシアで生まれ、活躍したサーカス芸人です。1896年に生まれ、1931年に亡くなっています。34歳にして亡くなる、短い生涯でありましたが、偉大なジャグラーとして語り継がれています。
 彼の演技が動画として残っているので、お時間がありましたら、まずみてください。

太神楽の曲芸に馴染みのあるひとならば、ピンと来たかもしれません。

そう、太神楽曲芸で現在でもみられるような技の数々をラステリは披露していますね。

”Enrico Rastelli”でWikiをみてみますと、こんなことが書かれています。

He practiced his juggling skills tirelessly and by the age of 19 was performing a solo juggling routine. His earliest performances involved the manipulation of sticks and balls in a typical Japanese style; he even wore a Kimono as his costume.

日本式のスタイルでジャグリングのショーをしていた...日本の影響を受けていた訳ですね。ラステリが19歳の頃、すなわち1915年頃のことです。日本では、大正時代に当たりますね。(明治時代は1912年まで)

もう少し細かく見てみましょう。

ロシアに渡った明治のサーカス芸人とラステリ

ラステリは、どのようにして太神楽の技術を学んだのでしょうか。

サーカスプロモーターとして長年活躍され、現在も「サーカス学会」を立ち上げ活動する大島幹雄先生の著書「明治のサーカス芸人はなぜロシアに消えたのか」にはこのようにあります。

このタカシマ・マツノスケがシベリアで公演しているときに、イタリアのある若い芸人と出会った。これをきっかけにこのイタリア人の運命は大きく変わり、ジャグリングの歴史を変えることになる。

このイタリア人がラステリです。ラステリはロシア生まれのイタリア人で、サーカス一家に生まれました。

タカシマ・マツノスケは、当時ロシアやワルシャワにて公演をしてまわっていた芸人です。1879年生まれ。

ラステリはタカシマと出会い、そこで彼の太神楽仕込みのジャグリング技術を体に叩き込み、西洋と東洋を融合させた彼自身のスタイルをつくりあげたのだ。
ラステリは日本から来たというタカシマの演技を見て、大きな衝撃を受ける。その演技は今までに見たこともない技で、観客から大喝采を浴びていた。このとき、この芸こそが自分が身につけるべきものだという霊感を受けたのだった。

このようにして、偉大なジャグラー エンリコ・ラステリに太神楽の技術が伝わり、ジャグリング史の1ページが刻まれることになるのでした。

ロシアのサーカス学校に受け継がれる太神楽の技術

さて。
"The Art of Juggling"という本があります。
これはモスクワサーカス学校の教授であるNikolay E. Baumanによって書かれたジャグリング教則本の英訳版です。原本は1962年に出版されました。

意図としては、サーカス学校に通う生徒向けではなく、アマチュアに向けてジャグリングのトレーニング方法を紹介するものであるようですが、アマチュアの枠を超えて実に充実した内容になっていて、読み応えがあります。

具体的な内容については、機会があれば稿を改めて書けたら、と思います(ジャグリングやショーの技術に興味があるひとは、実際に手にとって見ることをお勧めします。)

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本題に戻り、日本からロシアへと伝わったジャグリングの話です。

本書では、様々なジャグリングの道具の扱い方やバランス芸について触れています。
Juggling Sticks
クラブではなく、棒をジャグリングすることが紹介されています。これは、冒頭のラステリの動画を見てみるとわかると思いますが、太神楽で使われている撥と同様の形状をしています。(ちなみ、本書にはこの棒のサイズの記載もあります。)

Balancing
傘回しや皿回しが紹介されています。
【追記】
※皿回しをここに入れてしまったのですが、太神楽の文脈で含めるのは違うかもしれません。皿回しの歴史については、皿回しの第一人者であるまさやんさんのこの記事がとても面白かったです。


Balancing Large Balls
太神楽での咥え撥のような技が紹介されています。先の動画でもラステリが演技していましたね。

...というように、1960年代のロシアのジャグリングでも、明治の時代に日本から渡ったサーカス芸人たちの技が生きていることがわかります。

時代が明治になり、いち早く海外に渡ったのは、サーカス芸人たちでした。彼らが海外のサーカス芸人に影響を与えたばかりでなく、教則本としてもこうしてきちんと形に残っているのを目の当たりにすると、胸が熱くなります。

ちなみに、今回の話、かつて海外にインパクトを与えたのは19世紀末頃から20世紀初頭。それから1世紀ほどを経て、再び日本人ジャグラーたちが世界のジャグリングにインパクトを与えるのですが、それはまた別の話。

ここで取り上げたようなことがありつつも下火になっていた日本のジャグリング。日本でジャグリング文化に再興の兆しが見えるのは1999年頃からになるように感じます。
いずれまとめられたらな、と思いますが、今回はここまで。




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