フリーランスとして独立して2年が経過した私へ。2年後の私からお手紙が届いています。

2017年11月の鈴木詩乃さん、こんにちは。2019年11月の鈴木詩乃です。今、あなたの出身地、名古屋駅の駅前にあるタリーズでこのnoteを書いています。

冒頭から余談ですが、2019年、あなたは好き好んで11月までに四度、名古屋を訪れます。相当落ち着くんですね。わかります。

さて、11月といえば、私がフリーランスとして歩み始めた月です。2017年10月31日、両親の大反対を押しのけて、(正確には一番許してくれなさそうな父には伝えず、)通っていたデザインの専門学校に中退届を提出してフリーランスになりましたね。

中退後、父に伝えたとき、ものすごい青ざめた顔をしていたので、もうそういう無慈悲な行動はしないでください。

とはいえ当時は、カフェでコーヒーか紅茶のどちらを頼むか決める、くらいの軽いスタンスで中退していたと思うので、我ながら決断のハードルがガバガバだなと感じるなどしています。

その日から今日まで、2年間で、なんだかいろいろありました。振り返りnoteを書こうかなと思ったのですが、振り返るだけも面白くないので、せっかくならと2年前の自分に手紙を送る気持ちでこのnoteを書いてみることにしました。

初心を忘れそうになったときなんかに、ふと思い出して読んでもらったら嬉しいです。


結論から書きます。大学に次ぎ、専門学校を辞めるという破茶滅茶な選択は、間違っていなかったと思います。というか、間違っていなかったと胸を張って言えるような行動が、2年間でできていたと思います。

「カフェでコーヒーか紅茶のどちらを頼むか決める、くらいの軽いスタンスで中退していた」と書きましたが、それは、専門学校に求めるものが明確だったからです。

デザイナーを夢見て、デザインの実務を学ぶために入学してくる人ばかりの校内で、一人だけ「ライターでご飯を食べられるかどうかの検証期間」「デザイナーとしっかり話ができるようになるための基礎知識の醸成」「将来、一緒に仕事のできるデザイナーの仲間との出会い」が学校に通う目的でした。

入学式の日から中退を決めた日まで、その想いが揺らいだことは一度もありません。その目的を達成したら、潔く辞める、と考えていたことも。

結果として、ライターとしての助走期間を有意義に使えたし、(多少だけど)デザイナーとの共通言語が多くて困りにくくなったし、将来も一緒に仕事がしたいと思える仲間もできた。良かったことだらけです。


2016年8月にライターを名乗り始めて、2017年11月に独立して。1年3ヶ月で知ったことは「生き残る市場を決め打ちしないと、淘汰される」ことでした。

当時は、ライターの仕事が表に出る機会が増えて、Webライターが一気に増えたタイミング。独立したとき、当時憧れていた「文房具で仕事がしたい」「旅と書くことを切り離さずにいたい」という想いは、叶えることが厳しい状態でした。

その環境下で2年前に決めたのは、ビジネス系のライターとして生き残ることでした。20代の女性が稀有な存在になれて、ライティングの需要の多い市場だったから。

誰かに想起されやすいことが、受託ばかりのライターがごはんを食べていくためには一番必要なことだと感じました。

選んで良かった道でした。需要はたしかにあるし、稀有でもありました。誰かに想起してもらえることが増えて、それが故にいただけたお仕事も数多く。

「しのさんにお願いしてよかったです」と言っていただくことも多く、喜びとやりがいと充実感を得るには十分すぎるほど十分でした。


その反対に「もう、しのちゃんとはお仕事なんてしたくない」だとか「仕事、舐めてるの?」だとか、厳しい言葉をもらうこともありました。誰がなんと言おうと、あなたの責任で招いたできごとで、人間力と実力不足とが重なって起きます。

真摯でいたつもりなのに、つい積み重なったタスクを前に、真摯さを失っていたりするんです。

でも、ありがたいことに、私が出会う方々はみんな怒ってくれます。教育義務なんかないフリーランスを前に、面と向かって怒ってくれて、その理由をきちんと伝えてくれます。

その優しさに甘えることなく、自らを律して歩けるフリーランスになってください。2年後の私は、今のあなたよりはましだけれど、まだ少しだけ苦手そうです。なる早でなんとか頑張ってほしい。

フリーランスになってから、食えなくなりそうとか書けなくなったとか、それなりに辛いことはありました。でも、なにが一番辛いって、信頼してくれていた人からの期待と信頼を裏切ってしまうことなんです。

大好きな人と、大好きな文章でお仕事をできることは、当たり前なんかじゃない。それを、何年経っても、忘れないでください。絶対に。


ふう、情緒が滲まないように淡々と書いたつもりでしたが、つい長くなってしまいました。そういうところは、相変わらず今も昔も変わっていません。

さて、少し前、デザイン専門学校を卒業したらフリーランスになると伝えた娘さんにお父様が送った手紙がバズっていたことがありました。

なぜかわからないけれど、私はそれを父と母に送っていました。当時の私の気持ちと、その娘さんの気持ちとがリンクしたからでしょう。

普段はテキストでなんて長文を打たない父が、そのLINEの返信に、驚くほど長文を返してくれたんです。

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私は、一般的に言うエリートではありません。胸を張って良い人生だと、周囲から見られるような生き方でもありません。親戚から「詩乃ちゃんは、学校を辞めたんでしょう」と悲観的な言葉をかけられることもあります。


でも、どうか忘れないでほしい。私には、どんな道を歩んでも良いから幸せでいてほしいと願ってくれる、大好きな大切な両親がいることを。

そして、私の周りには、拙い私をいつも救ってくれるこの上なく大好きな仲間もたくさんいることを。

だから「自分が一番、自分の人生を愛していたい」と、いつだかぽそりつぶやいた自分の言葉を忘れずに、これからも生きていてください。

自分のために、誰かのために、頑張る人生はとても楽しいです。これからの2年間は、たくさん笑って、たくさん泣きます。もう無理だ、とか、生きた心地がしないとか思うこともあります。

でも、それを乗り切った先の2年後の私は「誰よりも愛せる人生を送っているよ」と誰かに胸を張って言えるようになっています。それだけ保証します。


どこかでちらりと書いた「文房具で仕事がしたい」「旅と書くことを切り離さずにいたい」の想いも、2年経った今、夢のままではなく形になってやってきてくれそうですが、その話はいつかどこかで。

では、また私は愛せる人生を探しに出かけてきます。


2019年11月の、私より。

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