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「古き良き」に尽くした、2023年

毎年、一年がはじまる頃には「今年の抱負」みたいなものをきちんと考えちゃうタイプの人間です。その抱負の壮大さは年によって随分とまちまちですが、2023年は「必要以上に新品ものを購入しない」と目標立てて生きてまいりました。

それは、個人の特性として、人の手垢がついているものに対する愛着が強く湧くタイプだから。歴史というにはおこがましいですが、誰かが愛情深くつかってきたものを、受け継ぎ、使い続けるという営みに、それ相応のロマン(ないしは、美)を感じる人間のようです。

いや、もちろん新品のものを購入する場面には幾度も遭遇したんですがね、作家さんの器とか、かわいいニットとか、ライブDVDとかさ……というこの時代に生まれた恩恵を存分に受けている人間の戯言ですが、今年も一年の締めくくりとして“まとめっぽい某”を書いてみるので、よろしければお付き合いください。


① もはやゾッコンなので「りんご箱まみれ」

現在、我が家には総じて12個のりんご箱が鎮座しております。1DKの部屋に対して、多すぎるのよと思いながらも、案外馴染んでくれている我がりんご箱。収納力も抜群にあるんですが、お部屋への適応力も高いよう。

このりんご箱、お部屋づくり界隈ではなかなか定番のアイテムではあるんですが、個人的には異なる理由で取り入れたのがはじまりです。上記の投稿のキャプションで、その話について少し触れているので引用してみます。

かわいいっていう理由以外にも
りんご箱を好きな理由っていうのがあって、
戦後、闇市が溢れてものに困っていた時代の頃、
家を失って小さな納屋やバラックで暮らしていた人が多く。

それでも豊かに暮らしたいと願ったとある人々が
残っていたものを家具に取り入れて工夫したそう。
そうして生まれたのが、りんご箱収納だったようです。

古民家とか古き良きという文脈は
今の時代に愛されるもはやトレンドのようなものですが
わたしは“ガワ”よりその意思に惚れ込んだのだと思います。

戦争を生き抜いた人たちの創意工夫や
苦しさを前にしても暮らしを諦めない心のありさま、
そういったものを尊敬していて
多少なりとも受け継ぎたいなと思ったのでした。

ちなみに、それを提案したのは『暮しの手帖』。
わたしが編集者になったきっかけをくれた雑誌でした📝

りんご箱収納については何度か『暮しの手帖』で掲載されているのを見かけたことがありますが、この話をはじめて知ったとき、自分の暮らしが目指すのはこういう人々の意思だなあと思いました。

ものが溢れている世の中は、それはそれで素晴らしい。だって、豊かな日々は経済的な発展によってもたらされているものだから。けれどもわたしは、決して数多くはない選択肢のなかで、暮らしを軽やかに、朗らかに営む人の心や工夫に、どうしても惹かれてしまうのです。

「かわいい」とか「部屋に馴染む」というのも大切なことだけれど、それ以上に、身の回りにあるちょっとしたものから着想を得て、自分なりに暮らしを営んでいく。そういう人間になりたいと切に願っています。


② 手元、足元を照らす「燭台たち」

ろうそくが好きです。好きです、というより、わたしの生活からろうそくを奪うと、随分とQOLが下がります。夜、よっぽど体調が良い日でない限り、わたしの部屋はろうそくのみによって照らされているからです。

というのも、わたしは“視覚過敏”という特性を持っており、人工的につくられた強い光がとても苦手。日光は特段問題ないのですが、特に夜、室内でLEDライトなんかが煌々とあたりを照らしている空間にいると、めまいや吐き気などの症状があらわれます(日によるし、程度にもよる)。

まあ、そういう背景があるため、基本的には夜の暮らしをろうそくで営むようになりました。もちろん、ろうそく自体は消耗品ゆえに現行品ですが、ろうそくを支える燭台は、現行品に出会えることのほうが珍しく、ほとんどが古い時代のものです。

今、自宅にあるものは、国内産のものと、インド、イギリス、旧ソ連のものなどさまざま。和ろうそくを購入していることが多いので、日本製だと相性がいいだろうなあと思いながら選んでいる気がしますが、案外どこの子も使い勝手がよく、温かな手触りなので気に入っています。

特に、一枚目の写真でセンターをはっている陶器の燭台は、今年の秋に訪れた北海道・根室の納沙布岬で購入したもの。納沙布岬のお土産屋さんには、目と鼻の先であった旧ソ連の手仕事品が今もなお残っており、それを販売しているとのことでした。

わたしははじめて旧ソ連製のものづくりを目にしたんですが、個々のゆらぎこそあるものの、穏やかな質感のものばかりで、とても丁寧なしごとだなあと感動(北方領土問題については思うところがありますが、単純にいい仕事だなと思ったという話です)。燭台ハンターとしては、購入せずにはいられないと思い、割れないようにヒヤヒヤしながら東京へと持ち帰りました。⁡

ろうそくは、わたしにとって生活の必需品ですが、いまや燭台の美しさに魅せられて、燭台使いたさにろうそくを灯すほどに相成りました。はるか昔から当然のように愛されてきた暮らしを彩る民具って、どうも魅力があります。

余談ですが、先日、祖母にこういう話をしたところ「ろうそくは、ばあちゃんの時代だとあたりまえのものだったけどねえ。いいものかね?」と不思議顔でした。「あんたは変な人なんだねえ」と、ずっと不思議顔でした。

ちなみに、お供にしているろうそくはこのあたりをメインに、そのほか旅先で出会うものがあれば、という感じです。


③ ずっと憧れていた「ただの引き出し」

作業机の上に置けるサイズの、小さな引き出しをずっと探していました。古道具でと限定していたわけではないですが、この部屋に置くなら古道具のほうが雰囲気的に合うのだろうなと思っていたから。

この子との出会いは、全然狙ったものではなく、たまたま遭遇して生まれたものでした。というのも、北海道から友人が遊びにきてくれていた際、谷根千〜上野観光をしていてふいに出会ったのです。しかも、出会いの先は、古道具屋さんではなく、文房具屋さん。千駄木の「GOAT」です。

以前から、ささやかに文房具好きをやらせてもらっておりまして、その流れもあり、良いお店があるからと友人を案内した先がここでした。もちろん店内は文房具だらけなわけですが、たまたまディスプレイしてあったこの引き出しを見つけて、脳天を撃ち抜かれてしまいまして。

うまく表現できないですが、理想の作業机を完成させるためには、なぜだか「この引き出しがなくてはならないのだ」と、直感的に確信してしまったのですね。

わたしにとって、身近な作業机というのは、冷熱設備会社を営んでいた祖父の机でした。ほとんど自営業のような規模の会社だったので、そこにあったのは、小さな引き出しが一つだけ置かれた、シンプルな作業机。子どもながらに、その様に対して、美しいという感情や、憧れみたいなものを抱いていました。

それと、加えてわたしの感性に影響しているのが、(写真でしか見たことがないけれど、)『暮しの手帖』の初代編集長だった花森安治さんの作業机と、展覧会や映像作品で映されていた劇作家・小林賢太郎さんの作業机。このお二人の作業机には、木製の横に長いデスクを広く使っているという共通点があります。

これらの憧れを詰め合わせた結果、木製の長いデスクに素朴な引き出しを設置するという結論にいたり、現在のような作業環境が完成しました。

この引き出しには、小さな傷も汚れもあるし、引き出しの一部が欠けていたりもします。だからか、GOATのオーナーさんは「これを買う人がいるとは思いませんでした。以前から置いてはいましたが、売れないだろうなあって思っていたので……」と不思議顔。

いえいえ、こういう受け継がれてきたんだなってことがわかるものにこそ、愛着って生まれるもんなんですよ、だなんて言いながら、この引き出しを文字通り抱きしめて帰路についたのが、今となってはいい思い出です。


もっと精進したい、2024年

古着だとか、古本だとか、古家具だとか、古鞄だとか、このほかにも、誰かの手から継がれてきたものを、比較的多く手に取ることになった一年でした。

それぞれにエピソードがありますが、とりわけ文脈が語りやすかったものを集めてみました。一気に書きすぎると息切れしちゃいますし、需要があれば追々続編でも書こうと思いますので、一旦はこんなところで。

最近、心の底から思うことなんですが、文化や資料、建築に意思、そういったものが、残り、脈々と次の世代に渡されていくって、並大抵のことではないなと感じています。博物館や美術館、資料館や歴史館などに訪れるたび、歴史が刻まれていることの奥深さを感じざるを得ないというか。

そんなこと、誰でも知っているわっていう話かもしれませんが、少なくとも数年前までのわたしはそういうことがどれほどに重要で、素晴らしいことなのかには気づいていなかったわけです。古民家を「かわいい」「エモい」の対象として捉えていた頃が、残念ながらわたしにはあるので。

もちろん、今だって文化的、歴史的背景をすべて理解したうえで、古き良きものと接しているわけではないと思います。表面的なところから興味を持ったり、あるいは、理解した気になったりもしているかもしれません。

けれど、少なくとも過去の自分よりは、そういった背景を知り、理解し、後世に残していきたいと願う人間にはなっているから、そういう営みに精進していきたいなと思うばかりです。

わたしは「部屋をなんとなくかわいくしている人」というカテゴリでくくられることが多いし、そう言っていただけることはすごくありがたいです。「かわいい」はなによりの褒め言葉ですのでね。

ただ、あくまで個人の思いとしては、ビジュアルとしての云々ではなく、なぜ今ここにあるのかという背景、そこに宿っている意思なんかに繊細でありたい。そんな人間を目指して、生きていけるようがんばります。

とまあ、堅い雰囲気のような文章をつらつらと書きましたが、相も変わらずの様子でぼちぼちお部屋をつくりながら、ぼちぼちで暮らしていこうと思いますので、今後もよろしくお願いいたします。

2024年、どういった一年になるか、今から楽しみなもんですね。それではみなさま、良いお年をお迎えくださいませ。2023年も大変おつかれさまでございました。

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