稚内旅行記 ② 【宗谷本線】
[前回はこちら]
2021年3月3日、朝5時過ぎに起床。旭川駅に向かう。
列車の運休が心配されていたが今日の宗谷本線は無事動く予定らしい。
今回の旅行の(個人的)メインは宗谷本線である。
宗谷本線は旭川-稚内を結ぶ約260kmの地方交通線である。
最北の町稚内に至る現在唯一の路線であり、かつては樺太への連絡路線としての機能も果たしていた。
しかし現在では国内有数の過疎地を駆け抜ける路線であり、終着地である稚内市(人口:約3万人)も含めて沿線自治体の過疎化が著しい。
また、宗谷本線は冬にはラッセル車(雪かき列車)が毎日運行されるほどの豪雪地帯を走っており、乗客が極僅かな上に冬の路線維持費がかさむためJR北海道にとっては大きな負担となっている。
その為JR北海道は名寄-稚内の約180kmの区間(宗谷北線)を単独維持困難であると発表している。
今のところ具体的に廃止に向けた議論は進んでいないものの、いつ廃止されてもおかしくない状況である。
では早速列車の入線するホームに入る。発車案内表に表示された「稚内」の文字に心が躍る。
この私たちの乗車する列車は旭川から稚内まで、宗谷本線を全線走破する列車である。
その所要時間はなんと約6時間。北海道のスケールの大きさを感じる。
列車は3両で入線してきた。
宗谷本線は1両のみの運転だと思っていたが、後ろの2両は途中の名寄駅で切り離されるようである。
私たちは先頭車両のボックス席2つに腰掛けた。
6:03 旭川駅 出発。ついに宗谷本線の旅が始まった。ここから途中駅の紹介をしていく。
6:25 比布(ぴっぷ)駅に停車。
難読駅名であるが、ピップエレキバンという家庭用磁気治療器のcmのおかげで意外と有名らしい。
比布町は人口約3,500人の小さな町であるが、駅舎はなかなかに立派であり掲げられた駅名標も味がある。そして雪が多い。
比布駅を出て僅か数分、6:30 北比布駅に停車。
太陽が昇ってきて初めて気づいたが、今日は快晴のようだ。
北比布駅は写真では分からないが、板張りの簡素なホームである。
この辺りは人家が少なく、辺りは一面の雪景色である。
これといって特筆すべき事は無いように思われるが、実はこの駅は2021年3月13日をもって営業を終了している。
よって現在は既に廃駅である。
宗谷本線では、北比布駅を含む12駅が同日に廃止された。
これらの駅を一目見ておきたい、というのも今回稚内に行きたかった理由の一つである。
また、比布駅の南にある南比布駅も廃止となった。
この駅も写真に収めたかったが、私たちが乗る列車は当駅に停車しない為撮る機会を逃してしまった。このように普通列車ですら通過してしまう駅が北海道にはちらほらと存在する。
廃駅は残念なことであるが、比布町には北比布・南比布・比布と3つもの駅があった。
これを考えれば廃止は当然で、逆に令和の時代まで駅が3つとも残っていることの方が不思議なくらいだ。
6:44 塩狩駅に停車。
駅名標が完全に雪に囲まれてしまっている。
駅名は旧天塩国・旧石狩国を隔てる塩狩峠に由来しており、小説「塩狩峠」の名でも知られている。
この小説は1909年に当駅付近で制御不能になった列車を身を挺して停車させ殉職した実在の鉄道院職員の話を基にしており、駅付近には事故の顕彰碑や小説に関する記念館が存在する。
7:15 士別駅 着。
当駅は旭川市より宗谷本線を北上して初の市、士別市の中心駅である。
駅名標には北剣淵、下士別の文字が表示されているが、両駅とも現在は廃止されている。
旭川を出発して約1時間40分、7:45 名寄(なよろ)駅に到着。
先述したように当駅で2両を切り離す。
列車はこの先、所謂宗谷北線と呼ばれる、より人口希薄な地域を通っていく。
切り離しの為約7分停車するので、私達は列車外に出て休憩した。
ここまで長時間乗車したように思われるが、まだ1/3程度しか終わっていない。
名寄市は人口約2.6万の市であり、特急列車も停車する道北地方の主要都市である。
かつては宗谷本線の他にも深名線・名寄本線が通る交通の要衝であったが、早い段階から過疎化が進行してしまっているらしい。
ちなみに乗ってきた列車は上の写真に写っているキハ54と呼ばれる国鉄型車両であるが、近年H100という新しい車両への置き換えが急速に進んでいる。
この古い車両に乗って宗谷本線を旅できるのも残り僅かな時間かもしれない。
8:04 北星駅に停車。
駅といってもあるのは板張りのホームのみで、遠くに写真のような待合所がポツンと佇んでいる。
当駅は待合所に掲げられた「毛織の北紡」と書かれた赤いホーロー看板が有名だ。
会社は疾うの昔に無くなっているが、広告だけは昔から変わらず残り続けている。
しかしこの駅も時代の波に呑まれ、廃止されてしまった。
なお、廃止後このホーロー看板は取り外され名寄市北国博物館に寄贈されたらしい。
8:30 紋穂内駅に停車。
駅舎は車掌者を改造したもので、北海道にはこのような簡易的な駅舎が多い。
これは利用者が極僅かな駅の維持費や固定資産税といった費用を節約する為だ。
当駅もかつては立派な木造駅舎を構え駅員も配置されていたそうだが、現在は廃駅。
また、当駅は秘境駅としても有名であり、このバキバキに塗装が剥がれ落ちた駅舎はマニアならば駅名を隠されても紋穂内駅だと判別できるそうだ。
8:44 豊清水駅に到着。
当駅は写真から分かるように線路が二本あり、宗谷本線の中では珍しい列車交換が可能な駅だ。
駅と言っても雪のせいで線路に侵入しているように見えるかもしれないが、ここはホームから線路を渡り駅舎に向かう道だ。
当駅では約5分の停車をし、稚内からやって来る特急サロベツとの列車交換を行う。
特急列車が雪を舞い上げて通過していく。
近くで見ていた為もろに雪を被ったしまった。物凄い迫力だ。
例に漏れず当駅も廃駅となったが、前述したように列車交換が可能な駅である為、豊清水信号場として現在も存続している。
しかし旅客扱いで当駅に降り立つことはもう出来ない。
9:05 音威子府(おといねっぷ)駅に到着。
乗車時間的にも距離的にも折り返し地点だ。
当駅の位置する音威子府村は宗谷本線唯一の村であり、人口僅か約600人の北海道で最も人口の少ない自治体だ。
その一方でかつては天北線(音威子府以北の宗谷本線の前身で、現在の宗谷本線は天塩線と呼ばれていた)が分岐する宗谷本線の主要駅であり、現在も特急列車の停車駅となっている。
当村は殻を付けたまま製粉した真っ黒な蕎麦が特産品であり、かつては駅でもその蕎麦を食べることができた(後継者不足と某ウィルスの影響により2021年2月に閉店)。
音威子府駅を出発。
宗谷本線はここまでも日本4位の長さを誇る天塩川の近くを走っていたが、音威子府より先天塩川の右岸にピッタリくっついて進んでいき、列車左手には写真のような原野が続く。
このような場所を走っていると、突然列車が停止した。
どうやら鹿と衝突したらしい。
北海道の列車が鹿にぶつかるなど日常茶飯事であるとは聞くが、実際に衝突する場面に遭遇したのは初めてなので驚いた。
運転手は列車から降りて状況を確認し、数分すると何事もなかったかのようにまた進みだした。
10:06 糠南駅に停車。
当駅は秘境駅として非常に有名であり、一面雪景色の原野に佇む板張りホームと、物置を利用した待合所は何とも言えぬ雰囲気を醸し出している。
「原野」と述べたように、辺りに人家は無い為乗客は皆無だが、当駅は廃止を免れている。
これは秘境駅としての知名度を町おこしに利用しようと幌延町が維持管理費をJR北海道の代わりに負担しているからだ。
10:14 雄信内(おのっぷない)駅に停車。
味のある古い駅舎が魅力的だが、それもそのはず、当駅は改修を受けているであろうものの大正14年からその姿を保っているらしい。
駅舎は立派なものだが、駅付近の建物は廃墟と化しており、幌延町自身も駅付近をゴーストタウンであると認めている(雄信内の集落は駅から離れた場所にあり、こちらはゴーストタウンではない)。
次回訪れた時は是非降り立ちたい駅の一つだ。
10:35 幌延(ほろのべ)駅に到着。
当駅はかつて留萌から伸びていた羽幌線の終点であり、宗谷本線の主要駅だ。
当駅で21分間停車するようなので名寄・豊清水に続いて3回目の下車をする。
乗客は長時間の乗車に疲れたのかほぼ全員が休憩の為に下車し、車内はもぬけの殻となった。
私たちも飲料などを買って休憩し、再び列車に乗り込む。
もう宗谷本線の2/3を超えたので稚内まではあと少し(?)だ。
11:13 豊富駅に停車。
この辺りで出発時は快晴であった天気が崩れ、雪が降り始めた。
豊富駅も特急停車駅であり、日本最北の温泉郷である豊富温泉が有名だ。
11:48 抜海(ばっかい)駅に停車。
当駅は日本最北の無人駅だ(これより北に位置する南稚内・稚内駅は有人駅である為)。
抜海駅には後程訪れる。
宗谷本線はここまで内陸を走ってきたが、抜海駅付近はグッと日本海に近づく。
車窓左手からは写真の様に海が見えてくる。
宗谷本線は原野、山、から海まで見える素晴らしい路線だ。
稚内までは残り僅かであり、海も見えた為テンションが上がる。
そして旭川駅より6時間。
12:08 稚内駅に遂に到着である。
稚内駅に到着すると
「ご乗車ありがとうございました 日本最北端の駅 終点 稚内駅 到着です」
というアナウンスが流れる。
遂に最北の駅に到着した。
次回に続く。
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