学びを科学する

こんにちは、みけです。

最近、自分の学ぶ力の低さに焦りを感じているので「学ぶ」ということについて考えてみました。
以下は、学ぶということについての僕の考えをまとめたものです。
ぜひみなさんにもこれを機に学びを捉え直し、日々の学びを促進してもらえればと思います。

1. そもそも学びが大事な理由

学びというと、どんなイメージを持つでしょう。

勉強をイメージする人もいれば、社会人がいろんなハウツー本を読んでる姿を思い浮かべる人もいるかもしれません。

学びとは、何かを知ることです。

何かを知れば、より人は正しい判断ができるようになるし、より自分がしたいと思った方向に物事を動かせるようになります。

例えば、人は慣性力を学べば電車が止まるときに進行方向側に慣性力がかかるんだとわかって踏ん張れるし、人は仕事の振り方を学ぶから部下に仕事を託せるようになります。

社会ではより正しい判断ができて、より色んなことができる人が重宝されます。だから学ぶ力が必要なのです。

人は生まれてから数十年間365日学ぶという行為でを続けています。そこで差がついてしまえば、その差はいずれ歴然で圧倒的に覆しようのないものになってしまいます。

そうならないためにも、僕らは学ぶということの本質を理解し、よりより学びを得ることが必要です。

2. 学ぶとは何か

じゃあ、学ぶとはそもそも何か。

これは僕の中では明快で、結論は

「物事それ自体についてと物事同士のつながりについて理解すること」

だと思っています。

物事についての理解というのは、例えば水素とはどういう物質か、自分とはどういう人間か、といったそれ自体の性質や特徴、本質を問うものです。

一方つながりの理解というのは、水に金属ナトリウムを入れたらどうなるのかや、国が教育を無償化できないのはどうしてなのか、部下に対して怒るとどうなるのかなど、ものとものとの関係性や因果関係を問うものです。

すべての学びというものは、この二つのどちらかに分類されます。
こうした事柄や事象を理解し、それを知恵として蓄積していくことを「学ぶ」と呼んでいます。

3. 受動的学びと能動的学び

学び方には二種類あります。
受動的学び能動的学びです。

受動的学びとは、自分が意図をせずに得られた情報から得る学びです。
例えば、人との話の中で生まれる学び、勧められた本を読んで得る学び、ニュースを見て知る学び、思わぬ体験からの学びなどです。

一方能動的学びとは、自分が主体的に疑問を持って調べて学ぶことです。
例えば、問いと仮説を立てている研究論文や、自分が授業で疑問に思って先生に聞きに行くこと、また疑問を持って調べることもそうです。PDCAサイクルや仮説検証という言葉も、すべてこうした能動的学びを生み出すためのフレームワークです。

つまり、これらの学びを本質的に分けているものは、「問いと仮説を持っているか」です。問いや仮説があれば能動的学び、なければ受動的学びとなります。

ここで勘違いして欲しくないのは、能動的学びの方が優れていて能動的学びを行うべきであるというわけではないということです。それぞれに優れているところがあります。

能動的学びは、確かに明確な問いと仮説に基づいているため学びに昇華されやすく、また記憶に残りやすいという反面、自分が問いを発せる範囲でしか学びが得られないことや検証を行う為学ぶのに時間がかかります。

一方、受動的学びは、何の準備もない状態で情報が入る為学びとして昇華されにくい(自分の生きる知恵になりにくい)反面、思わぬ学びが得られたりたくさんの情報を気軽に得ることができます。

このような違いを理解しつつ、どちらの学びも深めていく意識を持つことが非常に重要です。
過度にPDCAばかりを意識したり、逆に本などからのインプットばかりを意識することは、学び方が偏りあまり効果的ではありません。

4. 学びのプロセス

2種類の学びがあるとわかった上で、これらの学び方には少し差異があります。それぞれ順番に説明します。

能動的学びは一般的なものと同じで、

問い→仮説立て→検証(調べる/試す)→結果を言語化する→知識として体系化する

です。例えば次の例だとこんな感じになります。

「どうして朝寝坊しちゃうんだろう」(問い)→「夜寝るのが遅いからかな」(仮説)→「今日は早く寝てみよう」(検証)→「昨夜早く寝てみたら今日は早く起きれた」(結果を言語化)→「朝寝坊しちゃうのは夜寝るのが遅かったからだったんだ」(結論/体系化)

一方で受動的学びは難しいです。

情報に触れる/体験をする→そこでのハッとしたポイントを「もともとの認識」→「新しい認識」で言語化する→得られる結論を体系化する

例えば、これも当てはめるとこんな感じです。

「今社会で求められている能力はリーダーシップです」という文章を読む(情報人触れる)→「今までは専門スキルが求められている」と思っていたが、実は「社会ではリーダーシップの方が重要視されている」(ハッとポイントの言語化)→「自分は学生生活においてリーダーシップを磨くべき」(結論の体系化)

(※この場合、例えば自分の興味分野が「自分が社会で必要とされるにはどういう能力が必要なんだろう」というところにあればこういう結論になり、得られる結論はその人の関心や捉え方で変わってきます。)

このような形で学ぶという作業は行われていくと、僕は考えています。

5. どうやって学び力を上げるのか

ここまで学びというものが何か、それがどう言ったプロセスで行われるのかを話してきました。

それでは、学び力を上げるにはどうしたらいいのか。
端的には以下の4つだと思ってます。

1. 問いを意識することで、受動的学びを能動的学びに変える
2. 仮説を立てて検証しきる
3. 得られた情報/結果をしっかりと言語化し体系化する
4. 学ぶ量を増やす

「問いを意識することで、受動的学びを能動的学びに変える」というのは、例えば本を読むときに疑問を持ちながら読む、授業を聞くときに疑問を持ちながら聞くなどです。こうすることで脳が主体的に情報を探そうとして、学び力が高まります。

そして、「仮説を立てて検証しきる」。例えば疑問に思ったことや問題に感じたことがあっても、多くはもすぐに忘れてしまいます。ただそうした疑問や問題意識を見過ごさずに、考えて仮説を立てて検証するということをやりきるかどうかが大事です。仮説を立てても検証しきらなければ、事実かどうかわからないものを考えたという結果で終わってしまいます。

「得られた情報/結果をしっかりと言語化し体系化する」も大事です。これをしないことで、日々何となく学んでいる気がするし考えている気もするけど、いざというときに何も出てこないということがなくなります。人は言語を使って考える生き物なので、何となく学んだ気になっていてもそれが言葉に落ちてこないうちは何も学んでいないのと変わりありません。だからこそSNSなどの発信の場を持ったりすることがとても重要です。(と、ホリエモンが前に言ってました)

最後に当たり前ですが、「学びの量を増やす」こと。そもそもたくさんニュースに触れたり、たくさん行動したり、本を読むなどのことが学びをする上での前提です。

6. 最後に

以上つらつらと断定調で偉そうに述べてきましたが、これらは僕がまだ短い人生の中で持っている「仮説」でしかありません。

これは、僕が「最近の日々の学びが薄く感じるのはどうしてだろう」と疑問を持ち、「それはそもそも学ぶという行為そのものを理解していないからではないか」という仮説からこうした文章を書くに至りました。なので、これは三宅の短い人生経験を踏まえた「仮説」にすぎません。

ぜひ検証を経て、自分たちの学びへと昇華させてください。

僕もこの仮説含め、多くの学びを得られるように日々精進していきたいと思います。


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