意識高い系に言いたいこと。
僕は結構、人の心理に興味がある。
この人はどうしてこういう行動を取るんだろう。
この人のこの行動とあの行動にはどういう一貫性があるんだろう。
とか。
僕は、人は何かしら一貫したプログラムを持ったロボットみたいなものだと思っている。
こういうことに触れたら悲しく/嬉しくなる。
こういう時はこういう反応をする。
そうしたプログラムは、人の環境や経験によって培われ、人によって全然異なったプログラムを持っている。
そうした人の持っているプログラムを、人の行動をみながら考えるのが一種の僕の趣味みたいなものだ。
そんな僕には一つ苦手なタイプの人がいる。
それはいわゆる、「意識高い系の人」だ。
たとえばチェーン店のカフェなどに入ると、そこにはちょっと小綺麗めな格好をした学生がとあるプロジェクトの話をしていたりする。
そういう話を聞くと、いったい彼らはどういうモチベーションで、どういう背景で、それをやっているのかが見えてこないことがある。
僕は人の行動の背景にあるプログラムが見えないと不安になる。
そういう感覚を、意識の高い人には感じるのだ。
彼らはいったい何を考えているんだろうか。
推測しうるそういう人たちのモチベーションとは、
・なんとなく自分を変えたくてそういう活動を始めてみた
・お金が欲しくてやっている
・なんとなくかっこよく見えそうだからやっている
・本当に社会/他者のためになりたいという強い使命感でやっている
などのモチベーションがあると思う。
お金や本当に社会のためを思っているならいいのだ。
恐らく、この世にはきっとなんとなく自分を変えたいから、なんとなくかっこよさそうだからという理由で意識が高い活動をしている人がたくさんいる。
それって、でも本当にやりたいことなんだろうか。
自分が望んでいる活動なんだろうか。
それが見つからないから、見つけるためにやっているというなら結構。
社会のあるべき像に捉われ、自分のやりたいことや自分だからいいと思える、”自分のプログラム”を見失ってはいないだろうか。
僕は世の学生に叫びたくなるのだ。
意識が高いことは必ずしもいいことだというわけじゃないぞ。
あなたの"プログラム"は、本当にそれを選択したいのか。
と。自分のプログラムに心から従って、生き生きと自分のやりたいことをやれる、そんな若者であふれて欲しい。
僕もそんな人になりたいと願うばかりである。
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