シノダ(花)
短歌をまとめています。
ねこ ねこが歩いていない。 地に向けた面だけ灰色の雲は、欲張ってアルコールをべたべたに染み込ませた脱脂綿みたいに頭上に佇んではいない。今にもコチラめがけてマリオのドッスンみたいに落ちてきそうな威勢はない。 そもそも雲がない。 ねんど 朝七時の肢体は遊び終わった後の油粘土みたいに元のパーツの形だけを残して四角く箱に詰められている。 取り出してみる。 でと、という音を立てて机へ落ちた。さっきめくった机の側面のささくれの上へ落ちた。やだね。 粘土が落ちた音で、今は朝でおき
“ なんのために生まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなのは嫌だ ” やっぱりきらいだ。 「この歌詞」の意味に居心地の悪さを感じていることに気づいたのは意外にも最近のことだった。 それまでは嫌いな気持ちを飼い殺していたのだと思う。 今となってはそんな飼い殺すまでしなくてもって思うけれど、 みんな日本に生まれれば子どもの頃に空気を読むことを身につけていくわけだから。 「この歌詞」をよく耳にしていた当時も、いつどこででも「これ」を嫌いと言っては
ついさっき起きて、まだ覚えているところをメモしておいたやつ ↓ 私は花だから、水回りの家事とか光合成を獲得するための勉強を夜中から明け方まで、Zone2本の分の糖とカフェインに漬かりながら、まだやってない課題を四時くらいまでかかって終わらせた。 それで、次に目が覚めたのは授業に遅刻しそうな時間だったのに、夢にしては不気味で強烈な曲を聞いたから授業なんて放って、今こうしてこの記事を書いているわけなんです。 これを読んでいる人のうちの何人かは「夢の中で聞いた曲なんて覚え
どうしても帰りたくない、小学生だった日のこと。 先週と同じように昼前からだんだん雲行きが怪しくなり、教室に入ってきた先生が今日もプールの中止を知らせる。 えーやだな。 クラス中が巨大なパン生地みたいにうだうだごねている間に算数の授業はゆっくり進みはじめ、今日も反比例がわからない。 わからないからわからないなりに考えるけれど、プールに入れていないこととか空がこんなにも曇っているのに窓からは生ぬるい風しか吹いてこないことが、わたしのあたまをかたくする。 あんなに
この前読んだ「光のとこにいてね」が忘れられない。 話の内容が忘れられないというよりかは、読み切った時に完成された切なさが未だに心から出て行ってくれない感じで、ただでさえ悲観な考え方に拍車をかけられている気がする。 絵文字で表すならこれ。🥲 iPhoneのアップデートでこの絵文字が追加されたときは「悲しいか嬉しいかにしなよ女々しいな」って思っていた。 楽しいときに急に我に返って悲しくなることがあるけれど、その数秒後には何を思い出して悲しくなったのかを忘れている
さえずりと羽音の染みた鳥籠がまだそこにあるまだそこにいる One for all 負の選択で抜け落ちてわたしに還る城ヶ崎にて 年月がすべて繋いでこの星はフェルトのように化ける日を待つ (果てしなく生きていたいよ)殺人犯Aの奇行は語り継がれる ひとがうむものでわたしがうもれてもうもれてもまだひとりのわたし 8番の出口ねひとがすくないねさみしいよねえあえてとおるね
李徴ほど自惚れるには足りなくて 渇いた笑みで致命傷を負う (生きれてば良いんでしょ)って折り紙に命が吹き込まれる保健室 明日からプリキュアなので青髪でシフト入るしカメラも来ます 粉雪を指で固めて半袖で風を切る君すべて正しさ どの子にもかわいいを知る時があり サンリオショップは微笑んでいる 階段はグらリと揺れて恋を呼ぶチョキで一度も勝てない君へ 気づいたら6時間目になっていて 生きる意味より歴史が大事? おふたりで選ぶ子どもの有無であり 子はおまえらを選んでません
✧ 届かない願いがあるのシンデレラ 背伸びでガラスの靴を履きましょ ✧ まほろばにいますわたしは幸せでここに生かされ殺されている ✧ ハムとねこ、妹、親へ準備する 罪のない順にごはんを据える ✧ 紺色のおんぶ紐に背負われた姫の覚える妖しい演歌 ✧ 優しさに温度はいらない私です フレンチだってつめたいのだし ✧ いつまでも幸せに暮らしましたとさ。 誰と比べて?とか言わないで!
またそれもひとつの海です威厳ある牙は焼津の海噛み締める もふもふはぷにぷにさせて堰き止めて水飲み機には獲物の影か カラフルな春の芽吹き遠くても こころに在るのすずめにくらげ 『あったかい』陽の差す床に目を細めまあるく座る 魚の夢か 言霊のアイロニ部屋に彷徨って ニャーという声負を撫で殺す 明日さえも消えてしまうの 君だけの猫缶ストックは誰のため 『今僕を感じるのですか』こっくり 視線からそのあたたかさもらう 12時を過ぎても優しいかみさまは 幸を湛えて右腕にいる
自分の全てを嫌いになれば、誰かに自分の悪口を言われても、むしろ本心で話しかけてくれていると安心するのだと思う。 私のその考えは簡単に動じないお淑やかさに通じるし、全てに対して尊敬しつつ自然と卑下する美しい心だった。 競争社会を知ったときにはすでに自分は死ねと言われているから、もうすぐ死ぬのに余生を頑張る必要はないと思っていた。そしてもうすぐ死ぬからこそもうすぐここから救われるという気持ちが慈悲の心を芽生えさせ、むやみやたらに虫を殺さなかった。 こうして徐々に学歴社会から
. けせぱせが俺らのまちを襲撃することは、とても珍しいことだった。 そして今日がその日であるということは、俺らはもうすぐ死ぬということだ。 なぜかって?とにかくラヂオでキャスターが「今日は私たちの最期の日」という内容を言っていたのだからね。しかも涙ぐみながら。 けせぱせの襲来。それはもう、あっという間の出来事だった。日が暮れるうちに空は薄暗い桃色に覆われていった。 そのときの俺の行動を聞けば誰もが笑うはずだ。誰もが家に籠る中で俺だけ外へ出て、ひたすらけせぱせを見てい
生きる疲れを慰める方法の一つに仮死ごっこがある。これは「自分を死んだと仮定」する私の考えた一人遊びだ。これから仮死ごっこのやり方を説明する。 まずこの遊びは自室、又一人で家にいるときなら家のどこかしらでやることをおすすめする。公共の場でやると通報されかねない。 やる場所が決まったら、次にその場で自分は死んだのだと思い込むこれはただ思い込むだけでもいいし、クオリティを上げたいならば小道具を用いると良い。 例えば自分は首を吊って死んだのだと思い込みたいのなら、首を吊った後に