Happyは伝播する

忙しい週末でした。

金曜日の午後、夫のロシアのパパが亡くなったとの連絡があり。
その午前中には、夫の大学時代からのロシア人の友人、いまは米国に住んでいるひとが学会でこちらにやってくるというので会う約束をしたとのこと。
土曜日、わたしは以前から申し込んでいた「大人の遠足」、奈良の窯元見学に行き、一方夫はそのロシア人の友達、サーシャ(アレクサンダー)と会って鴨川近辺をうろうろしていたらしい。

きょうも午前からサーシャと出かけ、ディナーはプロの日本人であるわたしの補助のもとでかけることになり、連絡をとりつつ、19時ごろ四条河原町で落ち合い、新鮮な海鮮居酒屋というところへ。そういうところにありがちな、あまりものを知らなかったり、「お前、バカですか」みたいなスタッフもいたけどそこはまあまあ。ひさしぶりのサーシャといろいろな話に花が咲きました。

夫はロシアでも突出した最高の工業科学大学の出身で、元クラスメートは頭脳流出で世界各国に渡り、そのうち何人かは日本での学会や、単なる観光として日本に来たりとかで、いままでたくさんの夫の友達を案内してきました。
非常におもしろいのが、日本では、いまではだいぶ変わってきたかもしれませんが、理系のひとは「科学おたく」で、文学的なことや身体的なことにあまり関わらない印象ですが(さいきんの若い研究者は違ってきているようですが)夫の周辺のひとは、大学時代からサッカーやったりキャンプに行ったり、文学的な素養もあり、どのひとも非常に頭がよく、そして相手に対する配慮や敬意をもちつつ、正直な話ができるのが素敵です。

きょうのサーシャも非常にオープンに、いろいろな話ができて、そして「実は、いままで言ったことなかったんだけどね…」と話をはじめました。

ロシアの頭脳流出組は、最初からほかの国に行ったひと、まず日本に来て何年かいて別の国に行ったひと、といるのですがサーシャは後者。最初日本に数年いて、それから米国に移住したそうです。その後、大学教授、技術者を経て自分で会社を立ち上げたとか。

「僕がはじめて君たちのうちに行ったときのこと、覚えてる?」
「ごめん、覚えてない」
「きみたちは一緒になったばかりで、赤ちゃんがいて…それがとても幸せそうで、これが家族のあるべき姿だと感じたんだ」

夫はロシアから、ロシア人の妻子を連れてきていたのですが、その結婚生活が幸せでなく、日本で知り合ったわたしと一緒になり、妻子をロシアに帰したのでした。当時あったロシア人コミュニティではそれは相当な反発を生んで(とくにロシア人の奥さんたちに)多くのひとから夫は縁をきられたり、すくなくとも自分たちのパーティーにはわたしは招待しない、と宣言されたり、非常に冷たい扱いを受けたりしましたが、何人かは「セルゲイ(夫)は前の奥さんと一緒のときには見せたことのない、幸せな笑顔をみせるようになった」といって受け入れてくれるようになりました。
日本にいるといっても、京都から離れたところにいたサーシャはその争いには巻き込まれず、普通にわたしたちに接してくれ、アメリカに移住したあとも学会だとかの機会があるたびに、我が家を訪問してくれていました。

実は、わたしたちの家庭を訪問したとき、当時の奥さんと諍いが絶えず、とても不幸せだったのだそうです。そんなときにわたしたちを見て、「別の幸せを見つける可能性」というのを感じたそうです。奥さんとは結婚して10年もたつし、それまでは別れることはよくないことだと思っていたけれど、わたしたちをみて、「幸せを追求すること」の可能性について考え始めたそうです。その後、米国に移住して夫婦関係はさらに悪化して、結局離婚したそうです。
それから、新たなパートナーを探して、ようやく見つけ、いまは2人の娘に恵まれた、笑顔の絶えないしあわせな家庭生活を営んでいるそうです。「その決断をするのに、きみたちのしあわせな様子をみたのが原点だったんだ」
と言われて、とてもうれしくなりました。

夫と一緒になったときは自分たちが招いたとはいえ、なかなか大変な時期もありました。そして、ほかの大変な局面もありました。けれど、わたしたちの幸せがほかのひとの幸せにも影響している、というのはとてもうれしいことだなあ…と思いました。

サーシャは日本大好きで、日本関連や日本発の映画やアニメをたくさん見て、すごく感性的な、ウェットな部分も語り合えるひとですごくよかったです。
お店を出て、地下鉄の駅まで見送り、あと4,5日京都に滞在するという彼と
「ダ・ザフトラ(また明日ね)」
と抱き合って別れました。

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