2.助走期間②

おじさんは、年上だから当然いろいろ経験があった。
地方の、いわゆる名士の類にはいり、世間体ばかりを気にして
子どもの幸せはかえりみないように思われた親に比べ、おじさんの家は自由で魅力的に思えた。
若造だったわたしは、ぐいぐいくる怖めのおじさんの断り方がわからなかった。

母親は、
中学生の時は「まだはやい、彼氏とかは高校生になってから」
高校生になってからは「まだはやい、彼氏とかは大学生になってから」
大学生になってからは「お姉ちゃんはしっかりしてるけど、あんたは・・・」
と、わたしが恋愛することをいつまでも認めなかった。

それに加えて「信じてるんだからね」という圧力の言葉。
真実を言えるわけもなかった。

自分の生きづらさに気づいて立て直そうとしてはいたものの
まだ自分の本当に欲しいもの、方向性、あれやこれや
自分の本音に自分が気づいておらず
何をどうしていいかわからなかった20歳のころ
3人と同時につきあって、妊娠。
一旦は生もうと思ったものの、あれこれ考えて断念、中絶。

自分で導いた決断なのに、後悔して、後悔して。
この自分の状態を救うには、誰が父親、と言える相手の子を生むこと、と思い、前の妊娠で「責任をとる」と言ってくれたおじさんに相手を絞り、妊娠。

母親に直接言う勇気がなく、手紙を送るとある日、下宿の留守電に
(当時はまだ固定電話しかなかった)
「信じてたのに、親を裏切った!あんたはもううちの子じゃない。
Nさんと勝手に生きていきなさい!」
というメッセージ。

実家を出る前に、自身の若いころの出来事、苦労を姉とわたしに語って
「・・・だから、親が子どもを見捨てるということはないからね。
なにがあっても」
と言っていた、その言葉を信じていたのに、あっさり捨てられてしまった。

いま思えば、親だって言ってることを変える、考えが変わることはあるというのはわかるけれど、当時は親の言葉は絶対で、親が一旦言った言葉は絶対で、変わることはないと思い込まされていた。

わたしは泣きながら、親が大学のために借りてくれて住んでいた下宿を出て、おじさん、Nさんの実家に移り、泣きながら妊娠生活を過ごした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?