2.助走期間③

臨月だった1月の、あれは中ごろだったろうか。

どのようにしてこちらの連絡先を知っていたのか詳細は忘れたけれども、
そのころには籍をいれた夫と二人で住む郊外の古いアパートに、夜、妹から電話があった。
「とうさまが、倒れた」

母親から「あんたなんて、もううちの子じゃない」とのメッセージが留守電にあった後、
「〇月〇日にそちらに行く」という父親からの連絡があった。
会ったら連れ戻され、中絶させられるだけだと思った。
「この子は絶対に守る」とNさんの家に逃げた。
父親があきらめて帰ったであろうころに下宿にもどってみると、
散らかし放題だった部屋が片付けられていた。

いつも家のことは母親に任せて、自分で家を片付けたことなどない父親が
悲嘆にくれながら部屋を片付けている想像すると、胸がしめつけられた。

その父が、心筋梗塞で倒れたという。
幸い、いろんな状況から死にはいたらず、現在地元の総合病院に入院しているという。
泣いてうろたえるわたしを、Nさん
(結婚しても、周囲がそう呼んでいたこともあり、「兄さん」と呼んでいた)
がすこし年上で元板前の中村さんと、娘婿(Nさんにはわたしと同い年の娘がいた)で
やんちゃ仲間の山本くんを連れて車にのせ、9時間かかるわたしの実家へむかった。
なぜ中村さんと山本くんを連れていったかというと、
運転交代要員というよりかは、Nさんが運転免許を持っていなかったからだ。
運転技術は、レーサー並みというだけあってうまかったが。


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