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コスモポリタン考


#多様性を考える

一昨日のお昼ご飯、鶏むねと茄子のトマトソーススパゲティの残りを使って
耐熱皿にキッチン鋏で短く切ったスパゲティ、その上にトマトソース、
それからさっき作ったアスパラとむきえびをいれたホワイトソースを流しいれ、ミックスシュレッドチーズをまんべんなく乗せてパルメザンチーズをふり、アラディントースターで200度、10分ほど。表面をこんがりさせて、出来上がり。

いまは閉店してしまったけれど、
25年ほど親が経営していた個人経営のファミレスみたいなお店があった。
ファミレスという名前もなかったその頃、
スパゲティ、ピザ、グラタンといった
当時の田舎にしてはおしゃれば洋食や焼肉定食などの和食系定食も、そこそこの値段で悪くないクオリティのものが食べられ
パフェ類も充実していたので地元では老若男女問わずに人気の店だった。

子どもの頃の休日はよくそこに昼や晩御飯を食べに行ったものだった。
お気に入りのメニューは、鶏ももソティがぜいたくにはさまれた「アメリカンクラブサンド」やハンバーグののったミートソーススパゲティか「コスモポリタン」。

「コスモポリタン」はスパゲティベースにチキン、えびとマッシュルームのはいったトマト味のソースにとろけるチーズののったグラタンで、ノスタルジックにきょうはそれを思い出させるメニウ。

「きみの家は、真のコスモポリタンだね」
とは、もう20年ちかくも前の、カナダ人の詩人である大学時代の恩師の言葉。

我が家は日本人のわたしにロシア人の夫、在日韓国人との子であるわたしの連れ子である上の子と、現夫との子である日本とロシアのハーフである下の子。

「いろいろなのが、あたりまえ」。
なーんて言ったら、イマドキのかっこいい言い方みたいだけれど
なにも考えずに突っ走ってきたらこういうことになっただけで、
キレイごとではすまないいろいろもありました。

そしてやはり、ロシア人の夫と日々暮らしていると自分にとっての「あたりまえ」がそうではないことをさまざまな場面でこまごまと思い知らされておもしろい。

もともと、日本だって縄文人弥生人の混血だけでなく、いろんないろんな血や文化が入り乱れているわけで、親がいう「日本人なんだから、白いご飯を食べるようにしなさい」とか「日本人は素晴らしい。なぜなら~」という押し付けが大ッキライだった。

日本に生きてきて、伝統文化や工芸など、素晴らしいと思うことはたくさんあるけれど
どんな国だって文化だって、いい人はいるし素晴らしい伝統、文化、食文化などはあるわけでまた逆にどんな国だって悪いひと、嫌なトコロはあるのだから「だから〇〇国は素晴らしい/ダメだ」という考え方はしたくない。

二人の子どもが巣立ったいま、夫とふたりで平和にたのしく過ごしているわけだけれど
25年一緒にいて、いまだに文化の違い、考え方の違いを発見して目を開かされる思いをして(「スープ」と認識したらみそ汁もおすましもスープ皿にいれてスプーンで食べるとか、、、)「うむ、凝り固まった考えではいかん」と思わされる新鮮な日々。

互いの文化を否定するでなく持ち寄って、「わたしはこうだったよ」と話し合い、お互い自由に無理なく融合させてゆく。そうして我が家は我が家で我が家の文化をつくりだしてきた。
子どもたちはまたそれぞれの家庭でそれぞれの文化を創り出すのだろう。

それでいいじゃないか。

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