目指せ出版! 日本史のセンセイと行く全国制覇の旅16 法隆寺と薬師寺

 建物のうち世界最古の木造建築物である金堂など55件が国宝・重要文化財、仏像彫刻だけで600以上、この情報だけで法隆寺が日本初の世界文化遺産にふさわしいということが分かると思います。1949年に金堂の壁画が焼損、これをきっかけにして文化財保護法が制定されました。この金堂壁画がいかに素晴らしいものだったかは、1918年に奈良を旅した和辻哲郎が「古寺巡礼」(ちくま学芸文庫から出ている文庫を買えば、初版のものが読めます)のなかでこう言っています。
 
 本尊やその左右の彫刻には目もくれず僕たちは阿弥陀浄土(金堂壁画にあった図のこと)へ急いだ。この画こそは東洋絵画の絶頂である。剥落はずいぶんひどいが、その白い剥落面さえもこの画の新鮮な生き生きとした味を助けている。この画の前にあってはもうなにも考えるには及ばない。なんにも補う必要はない。ただ眺めて酔うのである。
 
 焼損した壁画は完全に失われたと思っている人も多いのだけれど、法隆寺の境内にきちんと保管されているんです。それを2021年からクラウド・ファウンディングで活動資金を集め、参加した人限定で見学できるようになりました(ぼくもこれは見に行けていません。ぜひ今年行きましょう)。

 現在、金堂の中には釈迦三尊像を中心として多くの仏像が並んでいます(正直なところ、中は暗くてよく見えない)。金堂の一般公開は1690年、江戸時代からだというのだから、昔の人もありがたい仏像を拝んだのでしょうね。607年に聖徳太子が建立した法隆寺は、実は670年に一度火災にあってすべてを失っています。その後、平城京ができるころまでに再建されたのが現在の西院伽藍(さいいんがらん、金堂や五重塔があるエリア)。一度焼失しているのに世界最古、というのが驚きです。

 明治初期、開国したばかりの日本は西欧の「進んだ」文明に驚き、いかに自分たちが世界から遅れているかを痛感したようです。そこで
「よし、自分たちの良さを生かしながら、世界の国々に追いつくぞ!」
とはならなかった。どうなったかというと、それまでに日本の歴史を否定し、「いきなりヨーロッパの国になろうとした」のです。ドイツ人お雇い外国人のベルツ「ベルツの日記」によると、日本の文化を「野蛮なもの」と言ったり、「日本はこれから歴史が始まるのです」と言ったりする日本人が多かったとか。ベルツはそういう日本人を批判しています。

 そしてもう一人、日本文化のすばらしさに気がついていたアメリカ人がいました。お雇い外国人のフェノロサです。来日してから2年がたったころ奈良を訪れた彼は衝撃を受けました。人類が産み出した最高の美術は古代ギリシアの彫刻だと信じていた彼から見て、奈良の仏像はそれに勝るとも劣らないものだったからです。彼は奈良市内で行った「奈良ノ諸君ニ告グ」という講演会で、次のように述べています。
 
「奈良は、宗教や美術のみならず、ほかにも多くのことで大陸と関係をもってきました。しかし、多くの国は滅亡し、あるいは戦乱を経て、もはや昔の面目を残していないのであります。当時の文物は、日本に存在するのみであります。それらを見たいと思う人は、この奈良に来なければ見ることができないのであります。 奈良は、じつにじつに中央アジアの博物館と称してよいのであります。」
 そして講演をこのように締めくくりました。
 
「今日此奈良に存在せる所の古物は、独り奈良一地方の宝のみならず、実に日本全国の宝なり。否、日本全国の宝のみならず、世界に於て復た得べからざるの至宝なり。故に余は信ず、此古物を保存護持するの大任は即ち奈良諸君の宜しく尽すべきの義務にして、又奈良諸君の大なる栄誉なりと。」

 それらの宝のなかでフェノロサが特に愛したのが薬師寺。天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気が治るようにと造り始めた寺のため、本尊は薬師如来。官能的な魅力さえ感じさせる日光・月光菩薩とともに金堂に安置されています。ただ薬師寺の最大の見どころは白鳳時代から立ち続けている東塔。裳階(もこし)がついているので六重塔に見えますが実際には三重塔。フェノロサはこれを見て「凍れる音楽」と評したと言います。まさに音楽が凍ってしまったような凛としたたたずまい、何度見ても感動します。そして感動すると言えば、東塔しか残っていなかった薬師寺伽藍を復興するために、何万、何十万もの人が写経をして資金を集め、ここに至ったことも素晴らしいことだと思いませんか? まさに「古物を保存護持するの大任」を果たしているのですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?