見出し画像

傷つきながら癒される

 十一歳のある夜の遅い時間、芸能人から一般人まで複数人の出演者たちが、なにかシリアスなテーマについてテレビで議論していた。子どものころ、早く寝なさいと言われた記憶はほとんどなく、就寝する時間が親と一緒だったので、それを見ていた母の横にいただけだったのだが、ある俳優が「セックスこそが愛の究極だ」と真顔で語っていたりする、今にして思えば、その年齢で見るような内容ではとてもなかった。
 その番組のことを今でも思い返してしまうのは、ある出演者が口にしていた死生観に、当時の私が幼いながらに激しい憤りを覚えたからである。
 その人は、人の死というものは、所詮は「運」なのだと言った。寿命で死ぬか、事故で死ぬか、病気で死ぬか。それは結局人それぞれの「運」次第であって、どうにもできないことなのだと、その人は、そこには何の意味もないとでも言うかのような虚無的な口調で話していた。
 理由はわからないが、私はごく幼いころから死というものに怯えていた。死んでしまった人は文字通りこの世からいなくなり、二度と会えなくなる。そもそもせっかく生まれたのにどうして死ななければいけないのか? いずれはお母さんも死んでしまうのだと想像して、どうして人は死んでしまうの?と泣きながら尋ねて母を困らせたことは一度や二度ではなかった。死はこの世で最も恐ろしく、不可解なものだった。インフルエンザなどで高熱を出した日の夜は、ほぼ必ず自分が死んでしまった夢を見て、おかしなことだが、目覚めてからもしばらく自分は死んだのだと思っていたりした。だから、そういう受け入れ難いものを「運」という言葉で片づけてしまうことに、将来への夢に溢れていた少年期の私は腹が立ったのだと思う。
 私は、人は変わらないという考え方に基本的に反対で、それは、私自身がさまざまな変化を繰り返すことで今日の自己の思想を形成してきたからであるが、その死に対する恐怖は、当時から変わらずに私のなかにある。年齢と共にさまざまなことを具体的に想像できるようになった分、それはより現実感のあるものとして、私を息苦しくさせるようになった。こうしている次の瞬間にも、その人の言う「運」の悪さのために、死が突然訪れるのかもしれない。その、些か過敏すぎる想像を、ほとんど日常的にしてしまう人は、私だけではなく、確かに存在するのである。
 なにか自分にとって重要なことに取り組むとき、「死ぬ気で」とか、「これで死んでも本望」という言葉を使う人がいる。表現にのめり込むあまりに心身を病み、死に引きずりこまれてしまった芸術家への憧れを躊躇なく口にする人もいる。私にはそれらは、死というものを現実的なものとして生々しく想像していないからそんなことが言えるのだと思える。結局はその行為をしても死なないという楽観ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽがどこかにあるからヽヽヽヽヽヽヽヽヽ、そんなことが軽々しく口にできるのだと。それは命がけで何かをする「強さ」がないということだと言われたら、その通りかもしれない。それでも、私の中に死に対する恐怖は、何よりも大きなものとして深くあるのである。
 人間や個人の意思、あるいは意志というものの限界を知り、もしかすると純粋なる意思や意志などというものは存在しないのかもしれないとまで思うようになっている今の私には、死を「運」だと言ったその人の言わんとしていることが理解できる。たしかに死というもの、そしてその訪れ方は、個人にはどうにもできないことだ。記憶というものは可塑的なものであるから、その口調も、ことによるとそれほど虚無的なものではなかったかもしれない。けれども、その不条理を「運」というたった一文字で語り、納得してしまうことには、今でも強い抵抗と反発を感じる。
 私の死への恐怖はつまり、生への強い希求、執着であるということだが、他方で、何をしようが死によってこの生はどうせいつか終わり、宇宙的な視点で捉えるなら、私一人の生は塵芥となにが違うのかという虚無感も、同時に私のなかに存在している。
 そもそも私は、少なくとも、こうして人間の生き死にについて考え込んでしまう程度には、自らの生を納得できてはいない。物心ついた頃から両親、あるいは両親族の間に横たわっていた埋め難い断絶を目の当たりにしてきた。家族という紐帯のなかにさえそれがあるのだから、そうではない他者との間にも当然それがあり、人間は孤独なのだというのが、いつの間にか世界認識の根本になっていた。現代は、私が十代の後半の頃にはすでに大人たちが「先行き不透明」「混迷の時代」と呼んでいた時代であり、今日まで、「立ち上がれ」だの「がんばろう」だのという空騒ぎが繰り返されるだけで、世界がいい方向へと進んでいる実感はほとんどない。そういう世界を死に怯えながら日々乗り越えることは、身体的な実感として重く、数十年後に自分が生きている未来をうまく想像することができない。自分が真剣に何かを発しても、それと同じかそれ以上の真剣さを持っている人にしか届かず、悪い時にはその真剣さを搾取され、一方で、どう考えても適当なヽヽヽ人の発信が大多数の人たちの心を打ち、それが「感動」と呼ばれたりする。私にとって、そういう自分の生や世界を信じるヽヽヽことは、困難なことだ。

 自らの生を自らでがえんじられないのに、死を恐れ拒絶してもいる、生を強烈に希求してもいるというのは、なるほど矛盾かもしれない。今、前の段落の最後に、何かを発する、つまり表現することの報われなさのようなことを書いたが、矛盾と言えば、その表現することにも、生きることに似た矛盾がある。
 音楽を奏でたり文章を書いたり、あるいはそれらに向けて準備をしているとき、「命をかけている」という言い方は私にはやはりできないが、それでも確かに、自分のなかの芯のようなものを燃やしている感覚はある。率直に言って、表現することには楽しさしかないという表現者がいるとしたら、私はその人を表現者としては信用できない。ほんとうに切実なことを言おうとするときは苦しいはずだ。語りおおせたあとに、ほんとうに言ってよかったのだろうかと後悔することさえある。そしてそれは、たとえば健康という観点からはやらないほうがいいことであるには違いない。表現することは、自分の生を、ほんの少しだけだとしても、死に近づけることでもあるのかもしれない。しかしそれでもなお言わずにはおれないこと、語らずにはいられないことがあるから、自分を燃やしてでも表現することをやめない、やめられないのだと思う。そしてそれは、誰にも届かないということはない、少なくとも誰かひとりには届くはずだという楽観ヽヽがどこかにあるからできることなのかもしれない。
 けれども、それを語ることによって、どうなるのだろうか。死を恐れ、すべてのものごとや世界には意味などないという虚無を知っていながら、なぜそこまでして何かを語ろうとしてしまうのだろうか。実際、気力と体力、そして資金を表現や芸術のために注ぎ込んでいる最中、ふと、それでもいつか自分はこれらに触れられなくなるのだ、それならこんなに苦労することに何の意味があるのだろうという考えが頭をもたげてきて、虚無の谷に誘い込まれそうになるときがある。
 私は映画監督のクリストファー・ノーランが好きだが、彼の作品の根底には虚無があるという評言を見て、深く納得したことがある。時間の向きを逆に進んだり、夢が建築物のように幾層にも重なり、しかもその階層ごとに時間の流れ方が違ったりする、現実にはない、見方によってはたんなるパズル、荒唐無稽だとも言われてしまう世界を彼が映画で創るのは、代表作『ダークナイト』で、動機や理由なくただ世界が崩壊することだけを自己目的化させ、自らの死をも恐れず殺人やテロを繰り返すジョーカーのように、ノーランにとって世界は前提からして崩れたパズルのようなもの、つまり虚無であるのであり、だからこそ映画という虚構によって新しい世界を創出しているのだと論じられているのを読んで、私が彼の映画に惹かれる理由を端的に言い当てられた気がした。
 すでに述べたように、私にとっても、世界は前提からして崩れたもの──より正確に私の実感に合う言葉で言うなら、人と人の間の断絶に象徴されるような、ひび割れたものとしてあった。ノーランのような大物と自分を並べて語るのはおこがましいが、世界は虚無であり壊れたものであるという感覚を知っているからこそ、この世界に、自分の生に、言葉にならなくてもいいからなにか意味を与えて、世界のひびをほんの少しでも恢復かいふくさせたいと願う──それが、私を表現という営為に駆動しているものなのかもしれない。他者の表現、やはり特に音楽表現に触れて心動かされたときには、確かに、この世界の亀裂が少しだけ癒合したような感覚がある。そこではじめて、私は世界を、人間を、もう一度信じなおしてみようと思うことができる。表現し続けることは、自分のなかの虚無に対する抵抗なのだ。
 音楽をはじめとする時間芸術は、この現実とは異なる時間を生み出す芸術であり、それを創出したり、そこに没入することは、壊れた現実世界の時間から束の間解放されて、別の時間を生きたいという現実逃避的な側面が多分にあるだろう。しかし、「この世界のひびを恢復させたい」「人間をもう一度信じなおす」と書いたように、私はあくまでも、この現実世界から完全に逃れてしまうためにではなく、それを生きるに値するものだと信じるために、芸術を必要としている。どれほどそこで超越的な体験をしようとも、私が生きねばならないのはこの現実のほうであり、それを放棄して現実ではない時間に耽溺しきることは、虚無と死の淵へと落ちてしまうことと変わらないだろう。
 私にとってはだから、表現の向こうには常に人間が──他者がいる。その他者との対話が、世界のひびを癒合させてくれるものであり、そして表現という自分を燃焼する営為を通じてでなければ、そういう対話はできないのだ。表現したり他者の表現を受け取ることは、だから、傷つきながら癒されることだと言えるかもしれない。
 その対話のためには、何かを発するより先に、ほんとうに語りたいことは何なのかを、自分自身の内に孤独に聴き取らなければならない。そうしてようやく発せられた声も、切実であるがゆえに、しばしば小さな声になる。つまり「聴く」ということが対話を支えている。だから、そもそも聴く姿勢を取ろうとしない、あるいはこちらが聴こうとしているのに大きな声で話す適当なヽヽヽ者とは、どれだけ切実なことを語っても、対話は決して成立し得ない。しかしそれでもなお粘り強く聴き、語り続けることで、その適当なヽヽヽ者たちに、共感はされなくても、自分のいる世界にはこういう人間も存在するのだと知ってもらうことはできるのではないかと思っている。確かに存在しているのに存在していないかのように扱われる小さな声を、強い力で届けることができる唯一のものが表現なのだ。ただし、芸術は政治的な主張のための道具ヽヽヽヽヽとしてあるのではなく、あくまでこの時代のある場所にたまたま生を享けた個人の声を反映するものであり、政治性や社会性は、必然的に、あるいは結果的に帯びるものだということは、ここではっきり言っておきたい。
 今、「たまたま生を享けた」と書いたが、死を「運」だと言うのなら、出生もまた「運」だろう。自ら望んで生まれることなど、誰にもできないことなのだから。これもまた、私の虚無感を目覚めさせるひとつの事実だ。けれど出生にはじまり死に向かって進んでゆく生という時間、両極点が「運」という不条理に左右されているのなら、せめてその生の時間は自分自身で納得したい。それができれば、死を受け入れることは難しいとしても、この世に生まれた運命は肯定できるのではないか。そうもがくことが生きることなのだとするなら、表現とは生きることそのものであると言っていい。だから、生きることの矛盾と表現することの矛盾は似ているのだろう。生きるために、傷つきながら癒されることが必要なのであり、傷つきながら癒されることが、生きることなのだ。

 途中にも書いたように、語り終えた後にどこかで後悔することさえあるほど切実なことを語ったつもりでも、それが届くかどうかはわからないし、語り方の改善や内省の余地は常にあり、自分がよいと思った語り口がほんとうに最善なのかどうかはわからない。だから表現をはじめるときはいつでも怖いものだ。演奏会で鍵盤に触れて最初の一音を弾き始める瞬間。文章や録音を世に公開する瞬間。それは世界に、他者の心にこの手で触れて、届くかどうかわからない対話をはじめることであり、そんな大胆な行為をすることに、どうして怖れを抱かずにいられようか。
 けれども、はじめなければ、触れなければ、届いたはずの人にさえ届かない。誰かには届くだろうという楽観ヽヽや確信があるというより、その可能性を、対話の可能性を諦めたくないという思いで私は表現することと他者のそれを受け取ることを続けているように思う。諦めは常に、自分と他者への優しさとして持っているべき選択肢だが、このことだけは諦められない。それがいつか、この生を含めて何かを無条件に肯定すること──つまり信じるヽヽヽということがほんとうにできるようになることに繋がると、願っている。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?