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「こちら」と「あちら」の狭間から響く声──ジェシー・ノーマン、クルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管弦楽団『R.シュトラウス:4つの最後の歌』【名盤への招待状】第14回
気晴らしや耳のさみしさを埋めるためばかりではでなく、なにかもっと根源的な渇きを潤すためにも音楽を聴いているのだとしたら、その渇きとはつまり厭世観のことであると言っていい。音楽を痛切に求める心性の根本には、つねにこの世界にたいする嫌気や失望があるはずだろう。こうした暗く重たい想念からは、現実とはべつの時間の流れのなかに身を置くことでしか解放されない。 だから、ある意味、あらゆる音楽の背景にはそうした厭世的なものがあるとも言えるのだが、その現実からの超越願望こそが主題として痛
モデラートの呼吸──アントワン・タメスティ&マルクス・ハドゥラ ほか『Schubert: Arpeggione & Lieder』【名盤への招待状】第12回
楽譜の冒頭にModerato(モデラート)と記されているとき、演奏者はそれを、「中庸の速さで演奏するように」という指示として受け取る。あるいは、Allegro moderato(アレグロ・モデラート)などのように、それがほかの速度表記と併せて書かれている場合には、前に置かれた言葉の指示する速さの程度が控え目であることを意味していると捉える。 この文章に目を通してくださっている方々は音楽に詳しい人が多いだろうから、何を今さらと思われるかもしれない。しかしよく考えてみると、そ