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翁物語

◆誕生

時は川端康成の伊豆の踊子が大流行した大正十五年。
十二月二十五日、病床に伏していた大正天皇崩御。次の元号は光文と決まったものの、諸々あり六日間だけの昭和元年となる。

そんな貴重な元年の年末、文京区本郷にて生を受けた翁。
父は軍需工場を経営し裕福な家庭だった。
その後次々に妹が生まれる

当時は色々なことがぞんざいだったらしく、本来昭和元年十二月に生まれていた翁だったが、モタモタしたのか出生届けが出されたのは昭和二年の春になる。
これが後に彼の人生を左右することになる。

将来の夢は船乗りだった翁少年。
大好きな父との外出は主に浅草。
演芸を見たり、どぜうや天ぷら、すき焼きを。
時には父が経営する工場の社員を引き連れて浜離宮から船に乗りお台場へ釣りに出掛けることも。
幼い頃の幸せな思い出。
晩年もこの頃のことをよく話していた。

◆父の死

だがそんな日々も長くは続かなかった。
翁が十代半ばだったころ、健康そのものだった父がある日露天で買ったジュースを飲み他界。
工場は親戚に乗っ取られ、翁と母と妹たちは路頭に迷うことなる。
裕福だった家族は地に落ちていった。

父が死に、母と翁兄妹たちはボロボロの一間の家に移り住み裕福だった毎日から極貧の生活に。
この頃、友人の家に行けば綺麗な畳に破れてない障子彼の家はササクレだらけのひどい畳だった。
この時感じたみじめさ、情けなさ、劣等感は後に綺麗で立派な建物を買い占めることに執着する理由となる。

◆アウトローへ

生活が一変し、劣等感は怒りへと変わり、意外にもその矛先は母へ向けられた。
「親のくせにロクな生活もさせねぇで」
そう思い、外では喧嘩に明け暮れ警察の世話になる毎日。
その頃既に銀座のアウトロー達の目に留まるようになっていた。

学校にろくにも行かず喧嘩三昧、補導される日々。当時少年事件の未決留置所は横浜の綱島にあった。
何度も何度も入るけど見捨てることなく必ず母は迎えにきた。
留置所は衛生環境が悪く、出る頃にはノミとシラミだらけに。
帰りは綱島の銭湯に寄りそれを落とすのが定番だったそう。

素行の悪さから当時通っていた明治大学を退学になり法政大学へ編入する。
この頃からゴロつき仲間と銀座に入り浸るようになる。
やがて関東大手暴力団、住吉会の組の人間とも深く繋がってくる。

翁は晩年私と話すと、この頃が一番楽しかったと何度も何度も話していた。
「金もない。明日どうなってるかもわからない。死んでるかもしれない。それでも楽しかなったなぁ…あの頃に戻りたいわねぇ」
少しでも当時の名残を感じることを出来るお店によく行ったものだ。

銀座のゴロつき仲間には寺の息子もいたらしい。繁忙期にはチンピラとわかっていつつも息子と翁を始めその友達も招集され、頭を刈り坊さんバイトをしたと。
「テキトーだけどなんとなく最もらしいことを言うんだよ、するとみんな満足して帰っていくもんなんだよな」
と。

そうこうしているうちに戦争は激化。
敗戦が見えてくるも国民は信じない。
ついに学徒動員。学生さえも徴兵し出征させることに。
翁の一つ上の人達までが出征したらしい。
最初のエピソードの出生届の遅れが翁の命を守ったのだった。

◆敗戦

ゴロつきながらも一応大学生だったので学徒動員に向けて訓練を受ける毎日。本土決戦という最悪のシナリオも見えてきた。
そんななかの玉音放送。
我が国は負けを認めたのだった。
第一線にいた軍人達は次々に腹を切った。

戦後も相変わらず翁たちは銀座にいた。街は一変し米兵だらけに。
この頃は主にパンパンガールを手懐け、米兵連れでしか入れないPX(現松屋、和光)で物を買わせ、とんでもない値段で闇市で転売、ということをしたり、米兵専用ダンスホール(現シックス)の用心棒をやったりしていた。

◆仁侠へ

そうこうしているうちに大学卒業の時期が。
先輩からこれから仁侠の世界入るのか堅気になるのか決めろと言われる。
仲間の中には家業を継ぐために、流石にワルはもうやめると堅気になるものも少なくなかった。
そんな中翁は迷わず仁侠の世界に入った

当時の住吉会はやり手の3代目阿部重作氏がトップにおり、銀座は「人斬りノブ」の異名をもつ浦上信之氏が取り仕切っていた。浦上氏は銀座の揉め事を解決し、その一派は「銀座警察」と呼ばれていた。
翁はそこに身を置くことになる。
その世界は多数の本やVシネに。

◆恩師との出会い

浦上一派には高橋輝男(異名は天寺のテル)という幹部がいた。
彼こそ翁が憧れた兄貴。
彼は普通のヤクザとは全く違いグローバルな志向、いち早く格闘技興行ビジネスを取り入れるなど実業家のような面があり上層部からの信頼も厚かった。

ある日私とのランチである写真を見せてくれた翁。
写真は白黒で掛軸の前に1人の男性。
「これが高橋輝男さんだよ」と。
写真の裏には日付と高橋輝男兄と手書きで書いてあった。
大事そうに封筒に戻し内ポケットにしまう翁。
よほど大切な方だったんだろうとそれを見てわかる。

高橋兄は従来のヤクザは古いと思い、いわゆる普通の事業を展開していった。泰明小の隣には輝寿司という寿司屋を開き、翁を始めとするお金の無いチンピラたちにご飯を与えた。
翁を始め舎弟数名は祐天寺の高橋兄の家に住み込むようになっていった。
高橋は派閥を超えて一目置かれる存在となっていく。

この頃のエピソードで翁が良く話してたのが高橋兄の家に居候してた頃、朝ご飯に生卵がひとつ入ったお味噌汁が必ず出たと。
数人の舎弟が転がり込んでも文句ひとつ言わなかった奥様が毎朝作ってくれたそう。

相変わらずダンスホールの用心棒などの仕事もしていた翁。
そこで奥様と出会い、後に結婚、一男を儲けることになる。
後に私が衝撃を受けた言葉
「あんな所にいたってことはあいつもズベ公だったってことだよなぁ」

その後も高橋兄の活躍は続く。
当時売り出し中だった安藤組や極東組、若葉会など住吉会外からも信頼を得る。
銀座の治安が守られていたのも高橋兄のおかげだと言うものも多かった。
昭和二十七年、高橋兄はあくまでも住吉会の中で、かつ事業の一環として「大日本興業」を設立。
翁はそこの幹部となる。

大日本興業設立の翌年高橋兄を更に飛躍させる事が起こる。
「三井不動産事件」である。
GHQが財閥を解体させ三井三菱住友が不動産会社として再出発、そこへ三井と三菱(陽和)だけが総会屋に株を買い占められた。
三菱は資金がありなんとかなったが三井銀行に力がなく乗っ取られる寸前に。

高橋兄は三井不動産の江戸英雄氏に頼まれ協力することに。
高橋兄の活躍で三井は持ち直し巨額の報酬、そして三浦義一、児玉誉士夫、三木武吉、河野一郎など政財界のトップ達とも交友関係を深めていくことになる。

高橋兄の側近として銀座で揉め事を解決する毎日。
順調に見えたがやはりヤクザの世界。
東声会との縄張り争いや大日本興業を恨むものも少なくなかった。
翁はこの頃のことを「命を狙ったり狙われたりいつ死んでもおかしくなかった」と。
翁はある事を考え始める。

この頃翁の考えていたことは家族のことだった。
母と妹達は相変わらず貧しく暮らしている。
長男である自分がいつ死ぬかわからないこんな生活をしていてはいけない、家族を養わなければいけない。
翁はヤクザから足を洗う事を決意する。
当然落とし前をつけて。

高橋兄に話がありますとついに伝える翁。
この世界を辞めるとついに言う。
兄は理由を尋ねる。正直に家族の面倒を見るからですと話す。
兄はわかった。と。
そして組の人間を全員呼び出したのだった。
翁はこの時どんな落とし前でもつける覚悟をしていた。
そしてみんなが集まってくる。

◆兄貴の人情

当時のヤクザ者は足を洗っても結局現役のヤクザたちにたかられてダメになってしまうのオチだった。
殆どがそうだった。
兄は翁がそうならないようにみんなを集めてこう言った。
「翁は家族のために今日でうちを辞める。お前ら今から翁に絶対近づくな。守らないやつは俺が許さない」と。

落とし前もせず足を洗った翁(翁は刺青もドラッグ経験もない)
とにかくお金を稼ぐことに必死だった。
銀座のアウトロー会ではすでに有名だった翁。
先ずは金貸し、いわゆる闇金を始める。トイチで沢山の人を追い詰めていった。
この頃の翁を知る人は極悪人だと思っているだろう。

その頃高橋兄は相変わらずの活躍ぶりだったがそれをよく思わない人物がいた。しかも内部に。
同じ住吉会の高円寺をシマにする向後平というヤクザ。高橋兄よりだいぶ先輩だがこのままでは自分より高橋の方が出世するのではないか…嫉妬は殺意へと変わる。
昭和三十一年、事件は起こった。

◆兄の死

浅草のお寺で幹部お葬式があり、沢山の組員が参列した。
向後はここで高橋兄を殺そうと計画。
高橋兄もそれに勘付いていた。
ある時向後が発砲、兄陣営も発砲、撃ち合いになった。
結果、向後、高橋兄、翁の同期の3人が死んだ。
ちなみに向後の舎弟は最近まで総裁だった西口でその現場にもいた。

西口を始め発砲したもの、銃を所持していたものは逮捕された。この内部抗争によって有望だった兄は死んでしまった。彼が生きていたら今の日本は違っていただろう。多くの人がそう言った。
翁が足を洗ったのはこの少し前。
辞めていなかったら兄の隣にいて死んでいたのではないかと思う。
やはり強運。

兄の死後、大日本興業は高橋兄の弟がトップを継ぎ、取り仕切った。
残された妻子。
妻はその後政治家と再婚した。
今だったら極道の妻が政治家の妻になるなんてありえない話だ。

◆ヤクザな日々

話は昭和二十年代、翁がヤクザだった頃に戻る。
ある日仲間とと三国人愚連隊の西と3人で並木通りを歩いていた翁
ちょうど三笠会館の前で渋谷の安藤組の安藤昇に出会った。
安藤は高橋兄と兄弟分の盃を交わしており、翁にとっては叔父貴的な存在だった。(翁が成り上がってからは立場は逆転する)

当時安藤は売り出し中のヤクザで一目置かれた存在だった。
それを気に食わなかった西は
「よう安藤久しぶりだな」と太々しく言う。
「お前に安藤と呼ばれる筋合いはない」と安藤。
睨み合う二人、ピリつく空気。
その瞬間西はポケットからナイフ出し、物凄い速さで安藤の頬を切った。

それは翁たちが止める隙もない速さだった。
そのまま西は新橋方面に逃げて行く。
顔から大量の血を流しながら安藤、翁、友人の3人は西を追いかけた。
西はみゆき通りを越え、次の交詢通りの薬局の2階に立て篭もった。
出てくるよう説得を続ける翁。
安藤は一先ず西銀座診療所へ

だいぶ経ってから我に帰った西は出てきたらしいが、安藤組に殺されると怯えてらしい。
案の定後日呼び出される西。
タマは取られなかったが半殺しにされたそう。
翁は彼はあくまでも外部の人間だったので口利きなどはしなかったと。
これに懲りた彼は愚連隊を辞め父の経営する店を継いだらしい。

翁が現役の頃の別の話。
翁には豊田という仲の良い兄弟分がいた。
彼は右翼思考が大変強く右翼の超大物玄洋社の頭山満の息子である頭山秀三に師事していた。
最大の権力者かつフィクサー児玉誉士夫はそもそも頭山満の弟子だった。
ある日事件は起こった。

豊田が児玉の秘書の太刀川恒夫氏をボコボコにしてしまったのだ。
友人関係だったはずなので恐らく喧嘩から発展し、そうなったのだろう。
太刀川を心から可愛がっていた児玉は激怒。
豊田を殺すつもりだったが、なんとか逃げ切り半殺しの状態で彼は入院した。

彼が入院中の神田にある薄暗い診療所で翁と仲間数名は「俺たち絶対児玉に殺されるよな…」と落胆していた。
だがその騒動をどこからか聞きつけた関根組(現松葉会)会長、関根賢氏登場。
児玉を説得し指一本で手打ちしようや、と解決に導いてくれた。
その後豊田は大物右翼として出世していった。

◆ビルを持つ

昭和三十一年に戻る。
高橋兄が内部抗争により三十四歳という若さで死に、翁は足を洗ったとはいえ闇金業でお金を荒稼ぎしていた。
銀座に事務所を構え、仕事のパートナーとも出会った。
まとまったお金を手にした翁は鶯谷に連れ込み宿を買い、母と妹たちをそこに住ませながら経営を任せた。

この頃の翁を噂でも知る人はみんな悪人だと思っていたはず。
「彼のせいで何人首吊ったと思ってるんだ」
こう言われたとき私はぐうの音も出なかった。
翁も罪悪感がなくもなかったと思う。
ひょんなことから金融時代の話になると遠い目をして口数が少なくなったのを覚えている。

とある日夜、銀座を歩いていた翁。
路地でチンピラがおじさんを虐めていた。
「堅気の人間を虐めるんじゃねえ」と
一喝しチンピラを追い払った翁。
おじさんは心から感謝し、何かお礼をと。
断る翁だったが、そのおじさんは久原財閥の政商 久原房之助をパトロンに持つ長谷観光の創業者長谷敏司だった

久原氏に可愛がられていた長谷氏は久原氏の自宅だった白金の八芳園を譲り受け観光地にしたり、老舗料亭治作の経営などをしていた。
翁に恩を感じた長谷氏は金春通りにビルを翁にタダで譲り、2人の頭文字を取って「松長ビル」と名付けられた。
このビルは現在も久兵衛の隣に当時のまま存在する。

この一件で長谷氏は事実上翁のパトロンとなり、権力のある政財界の人間たちとも繋がりを与えてくれた。
そして自分でビルを所有したという高揚感、この銀座でもっと欲しいと思うようになる。
これが翁がビル経営に目覚めた時だった。
しかし銀座でビル(土地)を手にするには相当大変なことだった。

ちょうどこの頃ゴルフ場を購入することになった翁。
すると会員権が飛ぶように売れた。
このビジネスはイケると確信し次々にゴルフ場を買収。
アーノルドパーマー氏に会いに行き設計を依頼し自分で作ることもあった。
ついでに会社のマークもパーマー氏にデザインしてもらった。

パートナーM氏の話術の上手さもあり、狙い通り会員権は飛ぶように売れた。
とにかく凄い勢いだったと。
この頃の物価で100億円以上の現金が翁の元に入った。
この資金で本格的に銀座に土地を買い、ビルを建てようと決意する。

翁は元ヤクザが成り上がってとんでもないお金を持っていると銀座では有名になっていた。
若い頃お世話になったという恩もあり、住吉会の大スポンサーとなる。
総裁すら翁に頭が上がらない、という図式になっていた。

そして大蔵省の官僚、警視庁、警察庁、政治家などにお金はもちろん、料亭で女性やご馳走をあてがい、ビジネスを円滑に進めるよう脇を固めていった。
バックには関東最大のヤクザ。
翁は無敵状態だった。

銀座で土地を買うのは大変だった。
大抵の所有者は江戸時代から代々受け継いでおり、何があっても絶対に手放さない。
結局裏金を積んで無理やり売らせる、という手法で次々と土地を買いビルを建てていく。
記念すべき1号館は7丁目のビル。そこの上に本社を構えることになる。

◆風水へ傾倒

ビルを建設している頃、とある易者に出会い風水に目覚める。
とにかく方角に敏感だった。
私と話していても方角の話になると人が変わった様に多弁になり、自分がこれだけの財を築けたのは全て方角に拘ったからだと言うほどに。

子供が産まれ翁は引越しを考える。
千代田区六番町、番町学園通りの現在の自宅である屋敷を購入。
当時は財界人の妾が住んでおり、風水的にも女大将に適した間取りになっていたと。
庭の池は埋め、風水学を取り入れ現在の間取りに全て取り替えたのであった。

◆あの事件

時は少し戻り翁が足を洗って四,五年後の話。
世間では昭和二十年代後半から実業家横井英樹が敬愛する東急創始者、五島慶太の力を借り、百貨店白木屋乗っ取りなど、やりたい放題の事業を展開していた。
頬を切られた安藤昇も横井サイドにつき、総会屋などと全面的に協力をしていた。

ある日安藤の元に1人の女性が相談にくる。華族出のその女性、横井に大金を貸したまま返してくれないと。
時は戦後、華族は斜陽族。
そのお金がないと生活ができないなんとかお金を返すよう言っていただけませんかと。
安藤はひどく同情し、横井の元へ向かった。

安藤は単刀直入に女性へお金を返すよう促すが、そこで横井が取った態度は驚くべきものだった。
借りた金は踏み倒すに決まっている。
なんなら君にも踏み倒す方法をおしえてやろうか、と。
激怒した安藤。
その場は帰ったが、横井を殺すことを決意。

世間の噂で安藤が自分の命を狙っていると知る横井。
怖くなりここで翁に連絡。
赤坂の旅亭でお会いできないかと打診され承諾する翁。
そこで
「安藤から命を狙われています。どうにか口利きしていただけませんか、と。」
敬意をよく知らなかった翁はわかりましたと安藤に話すことにする。

翁が安藤の事務所に行こうと思った日に事件は起こった。
安藤の舎弟が横井の会社に乗り込み発砲した。
ただ、舎弟は気が動転しており左胸を狙うはずが間違えて右胸を撃ってしまった。
そのため横井は一命を取り留め、後日熱海で逃亡していた安藤は捕まり、事実上安藤組は解散、出所後俳優となる。

横井襲撃事件から数年後、当時の一番のナイトクラブ、ラテンクォーター(現プルデンシャルタワー、当時は横井が所有するホテルニュージャパンのの地下にあった)で事件が起きる。
翁の舎弟だった大日本興業の組員、村田が力道山を刺して、結果死なせてしまったのだった。

村田が力道山と揉めて刺した経緯は諸説あり、死亡した原因も同じで、刺し傷は全く致命傷ではなかったが、本人が手術を拒んだため、亡くなったという話もある。
元舎弟が事件を起こし翁も口利きなどをしたそうだが、結局のところ翁の見解は以下の通り。

村田は大変な野心家で、とにかくこの世界で有名になりたかった。
そしてちょうどこの頃が売り出し中だった。
力道山を刺せば一気に自分の知名度は上がり出世できる、というのが村田の考え。
まさか死なせてしまうとは思わなかったが、出所後彼は若い衆から崇められ、組のトップに立つまでになった。

◆流行に乗って

時は流れ、福富太郎氏を筆頭に夜の盛場といえばナイトクラブからキャバレーになっていた。
当時の実業家たちはキャバレー経営に乗り出し、翁もその一人だった。
歌舞伎町、区役所通りから少し入ったところにかなり大きな土地を買った翁。
ここにキャバレーを作った。

この頃私によく話していた思い出は、年に一度大きなバスを借りてキャバレーの従業員全員連れて熱海の後楽園ホテルに慰安旅行に行ったと。
すごく楽しかったなぁ、と懐かしんでいた。

キャバレーの経営は長く続かなかった。
原因は女性が集まらなかったと。
ハコが大きいのである程度の人数がいないと成り立たないのである。
何年やったのかは不明だが、スパッとキャバレーは辞め、新宿のビルは銀座や赤坂と同様貸しビルとなった。
そこからクラブ全盛期となる。

キャバレーは続かなかったが色々手をだしつつも翁のメインビジネス 貸ビルとゴルフ場経営は極めて順調だった。
銀座の女帝と呼ばれた山口洋子女史の伝説のクラブ「姫」も翁のビルにあったらしい。
ヤクザも政治家も警察もお金欲しさに翁にコビを売っていた。

◆コンプレックス

この頃霞ヶ関ライオンズクラブが発足され、翁はメンバーとなる。
ここにいた人たちは今まで翁と関わってきた人達とは明らかに違っていた。
江戸時代から代々銀座で商いをする人たち、いわゆる育ちの良い人々だった。
ヤクザ上がりの成金翁とはまったくもって対照的な人たち。

持っているお金は格段に翁の方が多い。
だが育ちの良さは金では買えない。
私の想像に過ぎないが翁は彼らに憧れと嫉妬のような感情があったのだと思う。
その中でもひとり代々呉服店を営むYさんという親友ができた。他にも宝石商を営むIさん、代々鳩居堂付近に土地を持つお調子者Rちゃんなど

メンバーは沢山いたが仲良くしていたのは先に言った三人、裸一貫銀座に来て成功したJ寿司のJさん、歌舞伎役者、有名料理人、証券会社をやってるEさんなど。
毎月浅草の小柳で会合があり、二次会で気の合うメンバーと向島に来ていたのである。

彼らは翁に対し元ヤクザであるという色眼鏡で見ることをせず、1人の大らかな人間として見てくれていた。(それ以外もいたが)
翁がガタイが良く、とにかく食べる。
運転手さんから聞いた話では会合の前は先にご飯を食べておき、集まりのときには小食に見せていたとか。
可愛い人だと思った。

幅広い人脈を持ち、ライオンズメンバーからも頼られてた翁。
歌舞伎のチケットを買ってくれと言われれば行きもしないのに沢山買い、お医者を紹介してくれと言われればする、Mビルの社長が挨拶したがってると口利きされれば会ってあげる。
メンバーには尽くした翁。
大切な存在だっのだろう。

◆もう一つのコンプレックス

翁の子息は自宅から徒歩1分の番町幼稚園、小学校そして中学からは青山学院に進学。
だいぶ自分のこと棚に上げてるけど「ホントは東大に行かせたかったのに」という翁。
親子関係ははっきり言って悪かった。
子息も向島を使っていたので私も面識は多々ある。

子供が産まれようが翁はビジネスと遊びで家庭は放置、唯一同居していた母だけを大事にしていたようだった。
当然子息はお母さん子。所謂マザコンみたいな感じだったんだろう。
向島に来る時も子息はしきりに「仕事面では凄い思うところはありますが、僕は父が大嫌いです」と公言していた。

翁の息子であるという故、ヤクザがしきりに「若、若」とゾロゾロくるし、公立といえ名門幼稚園小学校、ヤクザ上がりの成金の息子と聞けば色眼鏡で見られるのは当然。
大嫌いな父に劣等感を抱えて育ったのだろう。
私が子息と初めて会った時の印象は捻くれ者。
そのせいか晩婚で子供はいなかった

そしてもう一つ大変だったのが誘拐。
資産家の子供はとにかく狙われる。
何度もターゲットになり大変な思いをする。
よくSNSで自分は親が資産家、自分は令嬢坊ちゃんだとひけらかす人がいるが「本物」は命がかかっているのでそんなこと絶対書けないのである。
上記は中途半端な人が殆どである。

大学を卒業し、大嫌いな父の会社なんで絶対継がないと決意していた御子息。
一般企業に就職するものの、合わなかったのか、やはりゼロからこんな資産を生み出した父は偉大だと感じたのか、跡継ぎとして翁の会社に入ることになる。

私がよく入ってたお座敷は子息とT工務店の名物社長たち
そういった席の場合、翁は面倒臭がりなので来ない。
するとT側の社長、副社長たちは「お父様はお元気ですか?お身体の調子はどうですか?」と翁の話ばかり。
面白くなさそうな子息。
でもなんでも買える生活には変えられなかったのだろう

◆悲劇

時はバブルも落ち着いた平成七年。
事件は起きた。
いつも通り車で帰ろうと駐車場へ向かう子息。
そこに銃を持った複数人の男に襲われる。
子息の両手両足を縛り車に乗り走らせる男たち。
向かった先は六番町の自宅だった。
そして家に押入り妻(翁の)も同様に軟禁したのである。

先に言うとこの事件の話は翁本人、当時の運転手さん、リアルタイムで知っているライオンズの仲間から聞き、私自身も新聞社のサイトなどで調べてまとめたもの,

自宅で妻と子息が拘束され、腹面の男達が更に自宅に入ってきて総勢十名位になった。
男達の要求は「十億円」だった。

そんなことは何も知らない翁。
いつも通り遊んで帰宅。
ガレージに車を停め運転手さんも帰っていく。
自宅の玄関を入るといつもと様子が違う。
妻と息子が拘束され銃を持った男達がゾロゾロいたのである。
最初に十億円よこせと言われたらしいが元ヤクザの血が騒ぐ翁、そうはさせんと乱闘になった。

体格の良い翁も歳であり、流石に若い男十人相手に敵わない。
肋骨などを折り、金を渡せ、渡さないの押し問答になったようだった。
日が明け、運転手さんがいつもどおり自宅に出勤してきた。
すると男達の指示で運転手さんを返すよう言われ、翁はガウン姿でガレージへ行き、今日は出社しないから帰りなさいと。

運転手さんは普通ならもう出ている御子息の車もあるし、翁の態度含めかなりの違和感を感じたようだった。
しかしそう言われてしまったからには帰るしかない。
そして、もう拉致があかないと思った翁は自宅にあった十億円をついに男達に差し出した。
そして男達は出ていったのである。

翁はまず知人の警察官に電話をして説明をした。
必ず犯人を捕まえますと約束し、翁は傷の手当てで入院をした。
そしてこと大事に。
三億円事件でも大変な騒ぎだった世の中。
十億円が家から強奪されたのである。
これは最初に知らされた警察官の誤りだと思うが、この件は日本中に報道された。

金の強奪事件ではこの翁の件が日本の最高額で、未だに抜かれていない。
当時は連日ワイドショーで特集され、週刊誌でも多数扱われた。
するとやはり疑問が湧いてくる。
何故自宅に現金十億円があるのか。
被害者の翁はどんな人物なのか、ワイドショーは調べ始める。
当時Twitterがあったら大変だ。

メディアは翁が裏社会の人間なんじゃないかと勘ぐり近所の人に聴き込みを開始。
翁の母が亡くなった時は番町学園通りに数えきれない黒塗りのベンツが来たこと、裏社会との接点、挙句の果てには翁がふらっと行く八百屋のおじさんにまで話をきき記事にしていた。
果たして十億円は普通の金なのか報道は過熱する。

被害者のはずが日に日に悪者扱いされていく翁。
会社にも取材が殺到。
広報担当者はあのお金はあくまでも会社のお金です、と弁解。
社主(翁)はあいにく海外出張中です。これ以上はご勘弁をなどと余計怪しくみえる回答をしていた。
そこでやっとみんなが気づく。

翁が捕まるようなことがあれはを芋づる式に翁から恩恵を受けていた政治家、警視庁、警察庁、検察、役人、財界人の偉い人達皆疑惑の目が向けられる。
そしてやっとある日を境にピタッとその件の報道は無くなった。
翁はいつも通りの生活に戻った。

今思えばMGビルのK氏もこのあたりをキチンと接待しておけば捕まるようなことはなかったはず。
そして犯人は捕まった。
主犯は翁の会社の元社員だった。
酒場で知り合った仲間達とこの件を計画し犯行に至ったと。
拳銃はすべて偽物だった。
時計や車に一億ほど使われたが九億は翁に手に戻った。

まだインターネットがそこまで発達していない時期だったのでいまや検索しても全く出ない。
ただ当時は大騒ぎだったそう。
でも人はすぐ忘れる。
私はその頃中学生だったが全くもって知らないしそもそもそんな事件の記憶もない。

◆最後の作品

時は経ち、翁は七十歳を超えていたが引退するでもなく毎日会社に出社。
まだまだ良い土地を買えないかと物色していた。
楽しみは月に一度のライオンズの会合。
この日のためにビスポークで仕立てた高級スーツを着て行った。
ある日、経済小説家の清水一行氏から連絡が入る。

清水氏から招待され料亭に行くと、あなたの人生を書かせていただけませんか、と。
先生といえば小佐野賢治の自伝小説を書いた大御所。
翁は了承し昔の話を先生と密にやりとりをしていたそう。
しかし先生が途中で病いで倒れ、小説は完成することはなかった。
決まっていたタイトルは「無法一代」

変わらず物件を探す翁。
ある日並木通りとみゆき通りの交差点、百坪ほどの土地を買えるかもしれないと交渉人から連絡が入る。
当時は「銀座きしや」という大正から続く老舗呉服店があったが土地の持ち主は裸一貫日本に来てウェイターから成り上がった中国人の男だった。

立地的には最高の場所。
方位学的にも問題ないと易者の許可も得た。
何が何でも手に入れたい。
並木通り沿いなので1坪1億はする。
敏腕交渉人に値段を釣り上げて提示しても難色を示される。
結局彼も税金を払うのが嫌なので妥当な金額で買い、更に裏金として土地代以上の金を彼に払い買うことにした。

翁は土地を買うと更地にして自分でビルを建てるので、老舗のきしやは移転を余儀なくされた。
この件は代々銀座で商売をするライオンズのメンバーもあれはやり過ぎだと本人にではないが苦言を呈していた。
翁は自分でビルのデザインをした。
最高の立地、テナントもすぐ決まった。

翁がちょうど80歳になる年、ビルは完成した。
こだわりの凹凸のガラス、高層階からは東京タワーも見える。
そしてスケルトンのエレベーターは夜になるとレインボーイルミネーションが輝く翁らしいセンスのビル。
地下〜二階はハイブランド店。この三層だけで家賃は一千万になる。
大々的にパーティも行った

この直後に私と翁は出会った。
彼はそれからも意欲的に土地を買おうと物色。
が、売ってくれそうな土地が見つかっても方位学的に易者NGがとにかく続いた。
一度、更地にして自分の駐車場にしたいからと本社ビルの隣のMGビルを買わせてよK氏に頼んだことがあった。

すると、既にお金に困っていたK氏、MGビルを全部買ってくれるなら売ります。と。
あんなオンボロのビル何十棟もいらんわ!とその話はなくなった。
その後も探してはいたが、結局土地を買うことはなく翁は九十歳でこの世を去り、並木通りのビルが最後の作品となった。

限られた期間だったが、私は毎日のように当たり前に翁と銀座にいた。
直々に話しかけてくる人はいないが、運転手さん曰くいろんな人に「社主元気そうですねっていわれるですよ」と言っていた。
晩年はお金目当ての人しか寄って来ず孤独だった翁。
それでも気にかけてくれる人がいたんだと嬉しかった。

翁が亡くなったことはライオンズのメンバーからだいぶ後に聞いた。

義理堅いヤクザたちが押しかけてしまうので誰にも言わず家族のみで葬儀をしたと。

どうか、天国では一等楽しかったチンピラ時代に戻って昭和二十年の銀座で兄貴たちと大暴れてますように。

翁物語 終わり

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