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好きなことは続けなさい、と母は言う

今日の昼過ぎ、用事があって母に連絡をすると、すぐに電話がかかってきた。
急用なのかと思ったが、特に用があるふうではない。察するに、父が泊まりがけで遊びに行っているので、話し相手がいなくて暇だったようだ。

電話は40分にわたった。
「お父さんがいないと好きなテレビを見られるの、こんなドラマを見たけど別に面白くはなかった」だとか、「お友達の息子さんが今度百貨店でイベントに出るのよ。でも新宿なんて遠くて行かれない」だとか、母はとりとめもなく話した。

「好きなことがあったら、人と自分を比べないで続けた方がいいよ」と、唐突に言われた。
どういう脈絡で母がその話を始めたのかわからないが、話を聞いた。
母は子どものころ絵を描くのが好きで、自分では得意だと思っていた。でも私立の中学校に行ったら、周りは絵が上手でピアノも弾けるような子ばかりで、自分なんてちっとも上手じゃなかったんだと思ったんだそうだ。もっと頑張らないと、得意なんて言えないんだと。
つまりそれは、幼い母の挫折経験だったのだろう。

つい先週、私は進学塾のアルバイトの面接を受けた。
履歴書を見た先方が、「語学を活かした仕事をしようとは思わなかったのですか?」と、お決まりの質問をした。(私は外国語専攻である)
私は、どうすれば端的に答えられるのかわからず、「高校まで英語が得意だと思っていたけど、大学に行ったら語学マニアが山ほどいて、私なんか仕事で外国語が使えるレベルじゃなかったんです」と答えた。
つまりそれも、母と同じ挫折だった。

母は、あんたも何か好きなことがあるなら、細々とでいいから続けなさいね、と言った。映画の好きなお兄ちゃんが、いつか映画評論家になれたらいいんだけどねぇ、と呆れたように笑いながら。

私が唯一細々と続けているのは、書くこと、である。
小学校3年生のとき方眼ノートに書き始めた物語を皮切りに――もっと言えば日記を書くことは幼少期から好きだった――、中学生のときネットに小説を投稿したり、大学生になってから自分でエッセイ集や詩集を作ったり、2年前にnoteを始めたり。
形は変わってもずっと、書くことは続けてきた。続けてきた、というか、やめられなかった、に等しい。

子どもの頃は、ときどき学校で作文が選ばれてちっちゃな賞をもらうので、私には才能があるんだと信じていた。いつか作家になれるんだと。
優等生だった私はなににもなれないまま25歳になって、夫の金で冷房の効いた部屋で、親の金で買ったノートパソコンを叩いている。

ピアノを辞めて、書道を辞めて、勉強をやめて、絵を描くことも一度はやめて、それでも書くことだけはやめられなかった。
「声優になりたい奴が声優になるんじゃない、演技をしたい奴が声優になるんだ」と、津田健次郎が言っていたが、書きたくて書きたくて書かずにはいられない私は、いつか、なにかになれるのだろうか。

私の倍以上生きてきた母が言うのなら、ハートの数も、フォロワー数も、気にしないで書き続けることが、いつか、なにかに繋がるのかもしれない。
なににもなれなくても、続けてきた自分を誇れるかもしれない。


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