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遠ざかっていく「本の雑誌 2023年5月号」

 S市の独立系書店で働いており、書店員目線で本のことを綴っています。

 さて、「本の雑誌」の2023年5月は、目黒考二・北上次郎・藤代三郎追悼大特集ということで、特別に分厚いということは事前に聞いていた。しばらく本の雑誌も買っていなかったよなあと思いつつ、書店にも仕入れていないし、読みたいなあ、でも予算がなあ、どうしたものかなあと思案していた。
 そんなおり、店のカウンターで、選書のために、本の雑誌編集部編『古典名作本の雑誌 (別冊本の雑誌19) 』本の雑誌社を眺めていた。(今気づいたのだが、この本は書誌を記載するだけで「本の雑誌」という言葉が4回も出てくる!)
 すると、ちょうど来店していた常連のお客様が、ちらっとその本を見て、「あっそうだ。本の雑誌の5月号の注文をお願いします」と言った。「わかりました。北上次郎追悼号ですね」と答えると、嬉しそうにうなずかれた。
 早速、本の雑誌社に注文のファックスを送る。その時、思ったのだ。これは「自分の分も注文せよ」ということなのではないか。
 結局、自分の分も含めて客注分として2冊の注文をした。すぐにokですとの返事。ぼくは入荷をワクワクして待った。
 そして、無事に2冊到着して、1冊はお客様がすぐに買っていかれた。自分の分は、早く読みたいものの、月末にお金が入ったら買おうと、客注棚にしまっておいた。
 そして、月末の前日の日のことだった。その日は出勤日。あと15分で閉店だ。明日になったら買いにこようと思っていた。
 すると、最後のお客様が、帰り際にこう言った。
「本の雑誌、まだ入らないですよね」
「本の雑誌は、普段、置いてないんですよね。もしかしたら、北上次郎追悼号のことですか?」
「そうです!あの4人の中で北上さんが最初に亡くなるなんてねえ。私、最近、懐かしくなって、『発作的座談会』読んだのよね。やっぱり面白かったの」
 2秒ほどぼくは逡巡した。だけどね。ここは書店。欲しい本があるお客様が目の前にいて、その人の欲しい本が、しまってあるのを知っている。しかも、ぼく以外が店番をしていたら、きっとその本を売ることはない。これも天の配剤か。
「あのお。実は、私、自分で買おうと思っておいてあるのがあるんです。よかったらお売りしましょうか」
「えっ。いいの? 嬉しいわあ。ありがとうございます」
 思っても見なかった展開に、お客様は大喜びされて、お買い上げいただき、帰っていった。
 まさか。こんなことがあるなんて。なかなか本の雑誌には近づけない。北上次郎人気、恐るべし。
 そして、結論。
 本の雑誌は店に常備しておこう。

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