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全人類のはじまりの洞窟

4月27日、ディーコン博士から追加のメールが届いた。

 ポートエリザベスで車を借りて、西にドライブするようですね。ガイドと連絡が取れますように。もしダメだった場合には、国道2号線をヒューマンズドルフを過ぎて30kmほど西に行くと、クラークソンという出口があります。クラークソンは国道2号の北側ですが、南の海のほうに向かってください。未舗装道路を南に向かっていくと(左には決して曲がらないでください)、セメントでできた橋があって川を渡ります。これがチチカンマ河です。河の手前は、急なくだり道になっているので、わかると思います。河を渡って坂をあがっていき、左に曲がると家が一軒あります。

  これがトッキーとアッタの家です。彼らは素敵な人々です。彼らはアフリカーンス語ですが、奥さんのアッタは十分英語を話せます。電話番号は、xxx xxx xxxxです。アッタに話してみれば、クラシーズ訪問ができるかもしれません。アッタの家から車で少し走ると、洞窟まで歩けます。 


4月29日、ヨハネスブルグで乗り換えてポートエリザベスに着いたとき、ディーコン博士が教えてくれたガイドに電話したが通じなかった。それならと、洞窟付近に住むアッタおばさんに電話して、洞窟訪問のガイドを確保した。レンタカーを借りて、海岸沿いの高速道路を2時間ドライブした。そして地図にしたがってアッタさんの家を訪ね、近くの牧場で働くクボスという名の男性を紹介してもらった。


洞窟ヘ向かう

  クラシーズ河口洞窟に連れていってもらったのは、すでに午後も遅い時間で、好天だったが陽はすでに西に傾いていた。ユネスコ世界遺産に登録準備中の第1号洞窟は、海抜8mで、海が荒れたら波しぶきが飛んできそうなところにあった。すぐ上の海抜20mのところに第2号洞窟があるのだが、こちらは大きな蜂が巣をつくっていて近寄れない。遠目にみるかぎり、あまり住み心地がよさそうではない。

住めそうにない2号洞窟


 僕は、ヒトが裸になったのは洞窟生活のおかげだという仮説を確かめるために、南アフリカにやってきたので、二つの洞窟を見てがっかりした。失望感が顔に出たのか、クボスが、「ここから10分くらい歩いたところに、もう一つ洞窟があるが見たいか」という。すでに日が落ちて薄暗くなりつつあったが、せっかくここまで来たのだから、「もちろん見たい」と伝えて、薄暗がりの中、海岸沿いを歩いた。

3号洞窟(右中央の黒いとこ)にたどり着いた

「中学生のころ来てそれ以来だから、20年ぶり。道がわかるかな」とクボスは言いながらも、浜を東に歩き、崖沿いに登っていき、巨大な洞窟に着いた。これが第3号洞窟だった。

3号洞窟の中から見た景色

 洞窟の中に入ると、晩秋だというのにTシャツ一枚で過ごせるくらい暖かだった。手持ちの温度計で24度C。内部は体育館くらい広くて、炉の後だったのか石が環状に積まれているところがある。奥には長い長い回廊があった。天井がものすごく高い。ここならヒトは裸で暮らせる。


たくさんの石筍(3号洞窟内)

 奥の壁には緑色のコケのようなものが生えていて、向かって左手の壁際には石筍(石灰石溶液が天井から滴り落ちて筍状に伸びた堆積物)が並ぶ。西に開口した入口を振り返ると、インド洋に沈んだ夕陽の残光がみえる。こんなきれいなところでヒトは言語を獲得したのだろうか。言語は、とてもすばらしいものではないか。

西の空はまだ少し明るかった(3号洞窟内)

 すでに外は真っ暗だった。クボスがその日の宿を提供してくれるというので、泊めてもらうことにした。洞窟に泊まらなかったのは、たくさんコウモリが飛んでいて、一人で泊まる勇気がなかった。僕はこわがりだった。


助手のメルトンくん17歳


翌日はクラシーズ河口洞窟3号の昼間の写真をとった。それから携帯電話のSMSで送られてくるディーコン博士の指示にしたがって、海岸沿いに点在する他の中期旧石器時代の洞窟や岩シェルターを訪問し、カンゴ洞窟を訪れ、カルーと呼ばれる砂漠地帯とドラケンスバーグの山脈をドライブして、ステレンボッシュにあるディーコン夫妻の自宅に2泊させてもらった。ベッドの脇に南アに関する様々な本が置いてくれていた心配りがありがたかった。そのうち何冊かは書店で購入した。

 ディーコン夫妻は、妻のジャネットが考古学専攻で、夫のヒラリー(ヒラリー・クリントンをイメージして、ヒラリーは女性かと最初思っていたが、ヒラリーという名前は忍や司のように男でも女でも使える名前だった。)は鉱物学専攻から、考古学に入ってきたということだった。

 彼らは南アの中期旧石器時代を言語獲得と結びつけて考えていなかった。喉頭降下は直立二足歩行によっておきたと考えていた。でも言語の進化に関心をもつ僕のために、言語学者のキャヴァリ=スフォルザや『アフリカ創世記』を書いたアメリカ人、ロバート・アードレイの本を紹介してくれた。

 


助手のメルトンくん(左)とクボス(右)


ヒラリー・ディーコンと著者、2007年5月、ステレンボッシュにて

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