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救世主ディーコン

 

 高達さんにクラシエ河の情報をお願いしたが、どこにも情報がないと、お手上げのメールが返ってきた。この洞窟は、国立科学博物館の海部陽介さんも「人類がたどってきた道」(NHKブックス)の中で「クラジース河」として紹介している。

 海部さんにメールを出した。(4月21日 21:41)
「国立科学博物館 海部陽介先生、はじめまして、先生の「人類がたどってきた道」と、レイモンド・ダート博士の「ミッシング・リンクの謎」を読み、どうしても南アの洞窟を訪れてみたいと思って、来週土曜日から南アにいってみようと思っています。
   インターネットでいろいろと調べてみているのですが、ボーダー遺跡やクラジース河遺跡についての、情報があまり手にはいりません。
   大変、不躾なお願いで恐縮ですが、それらの遺跡についての情報を何かお持ちでしたら、お教えいただけませんでしょうか。お邪魔してもよろしければ、上野公園にまで伺うことも可能ですので、立ち話程度のお話だけでも結構です。よろしくお願いします。」
   23日の朝、海部さんから「クラジース河遺跡には私も行ったことがなく、現地の事情はよく知りません。少なくともブロンボスは私有地内ですので一般ルートからの見学はできません。他の遺跡もあまり観光地のようにはなっていない可能性はありますね。察するに、もしアクセス法がわかっても、少なくともあまり整備されていない道を、自分で車を運転して行くしかないと思われます。あまりお役に立つ情報がなく、すみません。」とかえってきた。こちらは必死だったので、再度お願いしたところ、24日に南アの考古学者ヒラリー・ディーコンとジャネット・ディーコンの本にあった地図と連絡先を送ってくれた。その地図では埒が明かず、26日(出発の2日前)に、結局、直接ディーコン博士のメールアドレスに祈るような気持ちでメールを出した。

「日本の自然哲学者はクラシーズ河口洞窟を訪れたい
   親愛なるディーコン博士、私は仏教徒で衛星システム解析者(通信、地球観測)で、自然哲学者です。学生時代から南アフリカの歴史に興味をもっています。たとえば、私はアンドレ・ブリンクの「白く乾いた季節」、リアン・マランの「我が裏切り者の心」、アンティ・クローグの「我が頭蓋骨の国」などを読んでいて、南アとそこの人々に共感を感じています。
   私はアパルトヘイト下の1980年と、アパルトヘイト後の1997年と2002年に、南アを訪れています。2002年の訪問はWSSDに関連しています。
   最近私はインドを訪れて「アンベードカルとアパルトヘイト」という短い講演をして、南アフリカのことを思いだしました。私は南アフリカを訪れて、現生人類の誕生の地であるクラシーズ河口洞窟を訪れたいです。4月28日にヨハネスブルグに旅立って、29日の午後、ポートエリザベスに着きます。情報がないために、その他のスケジュールは何も決めていません。お力を貸していただけませんか。(略)」

    これに対して、「メッセージをありがとう。科学者として自然哲学者としてのあなたの南アについての関心は非常に信用できます。
   あなたがステレンボッシュ大学のウェブページに「クラシーズ河へのガイド」をみつけたことは驚きです。なぜなら大学は、知恵があるからかないからか、考古学部門を1999年に閉鎖して、現生人類起源についての研究を実質的に終わらせました。悲しいことに、人類進化に関心や興味がなかったのです。(略)」と返信があった。そして出発日の朝、一人でドライブして洞窟にたどり着けるようにと、洞窟付近の詳しい地図と少し広域の地図をスキャンして電子メールで送ってくれた。


* トップ画像は出発日に受け取った地図のJPGファイル。➡が洞窟の位置を示す。

偶然の一致というのかもしれないが、ヒラリー・ディーコン(1936年1月10日-2010年5月25日)と荒川修作(1936年7月6日-2010年5月19日)は生まれた年が同じで、死んだ日が同じ年で6日違い。僕はヒラリーに三鷹天命反転住宅の写真を送ったのだが、彼は非常に興味を示した。二人は霊的なところでつながりがあるのだろうか。


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