見出し画像

自分の足で立つ、ということ。

今年も無事にひとつ、年を重ねることができました。
去年は師匠からの独立、個展の準備が重なり、噛み締める間も無く過ぎていった10月。

1年前と比べると心も穏やかで、毎年書くこの文章に向き合う時間も、少しだけ落ち着いて咀嚼する余裕があるなと、キーボードを叩きながら感じています。

師匠の元から独立して1年。
幸運にも縁と運に恵まれることの多い人間だという自覚はあるのですが、そんな巡り合わせに感謝しながらも、毎日が綱渡りの日々でした。

フリーランスとしてはもう4年目になる私ですが、去年まではある程度安定した仕事もあり、会社員の時ほどではありませんが、時間にも心にも余裕を持ちながら生きていました。
そんな中、去年独立した時期に、いろいろなタイミングが重なり、継続で受けていた仕事の契約が終わることに。
自分のリソースの中ではかなり大きい部分でコミットしている仕事が、2ヶ月後には完全になくなってしまうことになってしまいました。

…正直焦りましたよ笑
いままで自分の時間(つまりは収入)の中心になっていたものが、突然無くなってしまう。
フリーランス経験者なら理解してくれるかもしれませんが、本当に怖かった。
それと同時に、会社を辞めてからの自分が、まだフリーランスとしては補助輪を付けて活動させてもらっていたんだなと、そんな風に感じるきっかけにもなりました。
(チームの皆さんには本当にお世話になったので、揉めて終わったとかそういうわけではないです笑。今でも尊敬できる大好きな人たちです。)

補助輪が外れ、いざ改めてフリーランスとしての生き方と向き合ってみると、個人として生きるのはこんなにも難しいのかと実感する毎日。
貧すれば鈍するとはよく言ったもので、仕事がないと不安で仕方ない。
来月は家賃を払えるのだろうか。
作品撮りに割ける時間は?
友人やパートナーとの時間だって大切にしたい。
やりたいこと、やらなきゃいけないことは沢山あるはずなのに。
考えないといけないことが常に複数あって、典型的なADHDシングルタスク型の私は、結局1日を何もできずに終えてしまうことの方が多かった。

フリーランス向いてるのかなとか、こんなにも心に余裕のない人間がいいもの作れんのかとか、夜が更けるたびに脳裏をよぎるんです。

まあ、自分で選んだ道なんですけどね笑

不安を表に出しても良いことなんてないから、みんなが見ているであろう「森川亮太」の皮を被って、なんでもないように日々を過ごして。
呼ばれたらどこにでも飛んでいくし、お金がなくても作品撮りは欠かさずに続ける。
外で動いている間だけは、誰かと一緒にいる時だけは、後ろから迫ってくる不安を忘れられたから。

そんな日々を送っている中で、自分自身と向き合って、今私が出来ることってなんだろうと。
少しずつ考えてみたんです。

やっぱり自分は写真が好きで、映像が好き。
人が持つ熱量を伝えることのできる仕事が好きなんだなと思いました。
これをきちんと自分の形にしたい。
そう考えて文章にしたのがこのnoteでした。

少しずつ、自分の価値を認めてもらえたらいいなと。
ゆっくり歩いていこうと決めた時に、光栄すぎるご縁に恵まれました。

1人のファンとしてずっと追いかけていたブランドの、バックステージムービーの制作。
自分の発信を見て声をかけてくれたディレクターの松井さんには感謝してもしきれません…
28歳の森川を象徴する作品になったと、今でも自信を持って言うことができます。

そして29歳。
いよいよ20代最後の1年を迎えることになりました。
私が想像してた30歳ってもっとしっかりした大人だったはずなのですが…

来週のスケジュールも決まらない、なんなら来月生活できているかもわからない。
そんな綱渡りの人生を歩んでいます笑

お世話になった皆さんへの感謝を忘れず、20代の内に「これが森川亮太です!」と自信を持って言える力と結果を残せたらなと。

最近はスチールカメラマン・メイキングディレクター・撮影補佐・監督補佐・映像現場制作など、いよいよ何の人間なのかよくわからなくなってきている森川ですが笑
尊敬する人たちが必要としてくれるなら、これからも二つ返事で飛んでいく所存です。
多分これが、1番私らしい生き方なのかなと思います。

自分にできることの言語化がまだまだ足りないなと感じる日々ですが、この3年でできることは随分増えました。
写真や映像でお役に立てることがあれば、ぜひ気軽に連絡してくれれば嬉しいです。

私の人生を共に生きてくれている全ての皆様へ、最大級の感謝を。
20代最後の森川も、どうぞよろしくお願いします。

photo by dear partner


サポート代は全額写真の勉強代に当てさせてもらいます…!