「勉強しろ」と言うから勉強嫌いになる…「勉強しろ」と言わなくても勉強するようになる方法

京大生でも、勉強しろと親から言われた、っての、ほとんど聞いたことがない。
https://maidonanews.jp/article/14588830

学生の頃からこれは不思議に思っていて、関心をもって観察していた。すると、親が「勉強しろ」と言うから勉強が嫌いになり、子どもは勉強しなくなること、親が勉強しろとは一切言わず、子どもが能動的に学んだら驚くという姿勢だと、子どもは学ぶのが大好きになるという観察結果が得られた。

どの時期からその分かれ目があるかというと、どうも小学校入学から。子どもが小学校に入学すると、「勉強しろ」と親が言うように。やがて子どもは辟易し出し、勉強が嫌いになり、やろうとしなくなり、強制されてもなかなかやらない子どもになるらしい。
他方。

子どもに勉強しろと一切言わない親は、小学校入学前と後とで態度が変わらない。子どもが新しいことに挑戦したり、工夫したりなど、能動的に動こうとすることに驚き、喜ぶ。すると子どもは学び、成長することで親を驚かすことがずっと好きなままで過ごす。学ぶことがずっと好きでいる。

子どもが小学校に入るまでは、大差ないように思う。多くの親が「勉強しろ」とやかましいこと言わないし、子どもは学ぶのが大好き。歴代仮面ライダーの名前を全部覚えたりとか、我が子の記憶力に驚かされることが多い。だから親も驚く。親が驚くから、子どもも学ぶのが大好き。

ところが、小学校に入学したとたん、少なからずの親が変貌する。子どもの先回りをし、「宿題やったか?」「勉強しろ」。子どもも最初は親が驚いてくれると思って喜んでやるけど、どうも先回りするばかりで、宿題しても当然だみたいな顔して驚かなくなるのに気がついて、勉強が嫌いになるらしい。

他方、勉強しろとか宿題しろとか言わず、子どもがもし何も言わないのに宿題したり、学んだりしてると「おお!」と驚いたり、「あんたはえらいなあ」と感心したりする親だと、子どもはしてやったりと嬉しくなり、学び、成長することで親を驚かすという楽しみがあるから、学ぶのが好きなまま。

「勉強しろ」とやかましく言うようになる親が発生する原因の一つが、宿題の出し方だと考えている。小学校によっては、「宿題をきちんとさせるよう、親がちゃんと見て上げて下さい」と、入学時に親に伝える。真面目な親御さんが多いから、これを真に受けて子どもが宿題するよう、監視する親が増える。

子どもが学校から帰ってきたら「今日は宿題は?」しばらくしたら「宿題はやったの?」、夜になったら「宿題は?!」。子どもを追い立てるように、先回り先回りして宿題をするように迫るようになる親が少なくない。その結果、子どもは辟易し、宿題をはじめとする勉強が大嫌いになる。

他方、勉強しろと言わない親は。宿題をしなくても「子どもなんてそんなもん、仕方ない」と考え、先生から宿題するように言われたらスミマセンと頭を下げながら、「でもそれで学ぶのが嫌いになったら本末転倒だしなあ」と、子どもが能動的に学ぶことの方を大切にして、言わないようにしたり。すると。

たまたま宿題をしたときに「え?宿題したん!お前、親が何も言わんのに、えらいなあ」と驚くと、子どもは嬉しくなる。翌日も「宿題やったよ!」と子どもが言うと「おお!」と驚きの声を上げる。すると、宿題も含め、学ぶことが好きなまま推移するらしい。子どもは生まれつき学ぶのが大好きだから。

子どもが勉強すること、宿題することを親が期待すると、親は驚かなくなる。やって当然と考え、むしろもっとやれと急かすくらいになり、子どもはいくらやっても親が驚かないことに気がつき、嫌気が差す。
逆に、勉強することを期待しない親は、子どもがたまたまやったときに驚くので、学ぶのが楽しい。

小学校によっては、宿題を強制してるけど、それをきっかけに親を子どもの監視役、牢番に変えてしまい、結果的に子どもを勉強嫌いに追いやってる可能性がある。これでは本末転倒のような気がしている。

言葉かけを工夫し、無意識のうちに行動の変化を促すのをナッジ(ひじでこづく)というけれど、「宿題は親が見て上げて下さい」という学校からの通告は、ナッジとしては大失敗のように思う。親を牢番に変えてしまう魔法の言葉として働くから。

どうせなら、こう声かけしたらどうだろう。「学校から宿題が出ますが、親から宿題するようにとは決して言わないで下さい。しなくて構わないものですから。でももし子どもが宿題をたまたましたら、驚いて下さい。そんなものです、宿題は」
すると、親は牢番でなくなり、「驚き屋」になれるのでは。

みんながみんな、東大京大に行けるわけではないかもしれない。定員があるし。けれど、学ぶことが好きであり続ければ、人はずっと成長し続ける。工夫し続ける。できることが増え続ける。ならば、とりあえず勉強嫌いに追い込まず、学ぶことが好きな子どもに育てばよいのではないか。

私の体感だと「勉強しろ」という親は8割、勉強しろとは言わない親は1~2割。もし「勉強しろ」に効果があるなら、母数がこれだけあるのだから、東大京大に入学している学生でも「勉強しろ」と言われて育てられた人が多そうだが、どうもそうではない。少なくとも、「勉強しろ」は効果がなさそう。

勉強しろと言わずに済むのは、生まれつき勉強が大好きで、言わなくても勉強するからだよ、素質だよ、という反論があるかもしれない。実際、そうした反応が返ってきている。しかし私は、これまでの指導体験で、親が勉強しろと言わなくなったら学ぶのが好きになった、という学生が多い。

全部のケースを説明はできないだろうが、「勉強しろ」が子どもの学ぶ意欲を損なっているし、逆に、「勉強しろ」と言わなくなったら、子どもの学ぶ意欲が回復する、というのは、私の指導体験では再現性が非常に高い。「勉強しろ」と勉強嫌いは、かなりな相関がありそう。

そして、親が「勉強しろ」と言わなくなり、学ぶことが楽しくなるような適切な指導を受けさえすれば、学ぶことが好きになり、成績が向上する、という再現性の高い体験を考えると、子どもはもともと学ぶことが好きだけど、嫌いになる原因がある、と考える方が妥当なように思う。

ただし、「勉強しろ」と言う親が、何の介入もなしにその発言をやめるという現象が起きる確率は低い。「勉強しろ」という親は、ずっと言い続ける傾向がある。このため、子どもが勉強嫌いから脱出する機会がない。問題は、親が「勉強しろ」と言わないようにすることが、第三者の介入なしには難しいこと。

「勉強しろ」と言わずに、子どもが勉強し始め、やがて学ぶことがそれなりに楽しくなってくる、かなり確実性の高い方法がある。子どもと一緒に机を並べ、親も学ぶこと。1日1時間なら1時間、子どもと机を並べ、一緒に勉強すること。

たとえば「中学3年生になったら、お父さん(お母さん)と一緒に勉強しよう」と、あらかじめ宣言しておく。そして決まった時間、親も一緒に勉強する。本を読むのでもよいし、何か資格の勉強をするのでもよい。

その時、できれば「集中するとはこういうことだ」という見本を見せるつもりで。背筋を伸ばし、姿勢よく、身じろぎもせずに集中して本を読む。子どもは最初、背もたれをギイギイ言わせたり、突っ伏したり、集中できない様子を見せるだろう。けれど何も言う必要はない。集中の見本を見せ続ける。すると。

自分が集中力を欠いて、始終ムダな動きをしているのに対し、親が身じろぎもせず集中しているのに、だんだん恥ずかしくなって、「しゃあねえ、勉強でもするか」となってくる。何も注意しなくても。すると、次第に集中して学ぶようになるので、頭に入りやすくなる。すると楽しくなってくる。

できなかったことができるに変わり、知らなかったことが知っているに変わっていくとき、快感を味わう。学ぶことが楽しくなってくる。親が勉強しろ、とやかましく言わないのも気が楽。それどころか親は一切干渉せずに自分の勉強に集中しているのを見て、内心、感心する。

中学3年生になって、1年間、机を並べて親も一緒に勉強すれば、相当に成績が上がる。勉強しろなんて言葉を使うより、一緒に勉強すると、非常に効果的。成績が上がり、学ぶことが楽しくなってくると、子どもは勝手に集中して学びだす。

子どもに勉強を教えなくてよい。ただひたすら、机を隣り合わせて、自分も勉強し、集中とはこのことか、という見本を見せる。それで子どもは勝手に成績が伸びる。「勉強しろ」というより確実に勉強するようになるし、学ぶことを楽しむようになるので、試してみてほしい。

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